米のあれこれ 143 田んぼに古墳がある地域を歩く

また寄り道をしてしまいましたが、いよいよ昨年6月の周濠や環濠集落を訪ね歩いた遠出の最後の日です。

 

今回の散歩の前半は、行くところ行くところ雨雲がそれてくれたのですが、この日は奈良盆地全体に天気が悪そうです。

JR巻向駅西側の「東田」「太田」の古墳群と環濠集落を歩こうと思っていたのですが、地図を見ていると桜井駅から出ているコミュニティバスが、大和川右岸へ入り古墳群の辺りをぐるぐると回っているようです。これなら大和川両岸の田んぼを眺めることができそうです。

 

8時32分、桜井駅北口から西北部循環線に乗りました。桜井市コミュニティバスですが、奈良交通が運営しているミニバスで、PASMOも使えて一律220円でした。

日常生活の中での交通費片道220円は大きいですが、旅行中はこの額であちこちの風景を見ることができるので助かりますね。

 

もう一人の乗客と私を乗せて出発。雨がポツリポツリと窓に当たっています。お天気はもつでしょうか。

 

 

*環濠集落から環濠集落へ*

 

桜井市の市街地にも灰色の瓦屋根の民家がけっこうあって、クチナシの花や街路樹が梅雨の空に映えています。「木の街桜井」と表示がありました。車窓を振り返ると、三輪山に見守られているようです。

 

ちょうど通勤時間帯で、一人一台の車が連なるどこでも見る風景です。レジ袋なんて比にならないのにあれはなんなのでしょうね車を買わせることで経済を回し公共交通機関や市街地が衰退してきた半世紀だったとちょっと苛立ちそうになったので、また車窓に集中しましょう。

 

上之庄で他の方が下車し、私一人になりました。大きな商業施設がある場所ですが、かつてはここも環濠集落だったようです。

 

田んぼが広がり、ところどころに美しい集落のある県道14号線を北西へと走り、途中で大和川を越えて右岸の水田地帯へ入りました。

ぐるぐるっと集落をつないで回っていますが、三輪山耳成山のおかげで方向感覚を失わずに済みました。

田植えが終わった田んぼとこれからのところと、大和川沿いの美しい風景です。空き地にはダリアが植えられていて祖父を思い出しました。

箸中交差点のあたりは緩やかな棚田です。老人保健施設、病院、県営住宅と周り、途中で女性が3人乗りました。

 

そのまま北へ走ると天理市との市境で南へと向きを変えたあたりが、大豆越の集落で、地図ではわかりにくいのですが、ここもかつては環濠集落だったようです。

天気が良ければ歩きたかったのですけれど。

 

そのまま南下しながら、何本かの水路を越えて目的の東田バス停で下車しました。

アナウンスで「ひがいだ」と読むことを知りました。

 

 

*古墳をつないで歩く*

 

ちょうど雨も止み、涼しく感じます。道路の西側には東田の美しい集落があり、反対側には田んぼが広がっています。

その田んぼの真ん中にある東田大塚古墳へ向かいました。

舗装された農道が、その古墳のところで大きく曲がっています。私有地だったら勝手に入るのはまずいかなと思ったのですが、説明板が見えたので近くに行ってみました。

  東田大塚古墳(ひがいだおおつかこふん)

 墳丘全長約120mの前方後円墳。現在は南西に伸びる前方部が大きく削られていますが、纏向遺跡では箸墓古墳に次ぐ墳丘規模をもっています。埋葬施設の内容は不明ですが、古墳築造前後の遺構が確認されており、箸墓古墳とほぼ同時期である3世紀後半頃に築造されたと考えられます。

 纏向遺跡ではホケノ古墳とともに、築造時期が限定できる数少ない古墳の一つであり、出現期の前方後円墳の形態を知ることができる貴重な資料であるといえるでしょう。

古墳自体は「私有地」で立ち入り禁止になっていました。

 

箸墓古墳と纏向(まきむく)遺跡と同じ時代ですか。それが田んぼの真ん中にあるのが奈良ですね。

それにしても「前方部が大きく削られた」理由は何なのでしょう。

いつの時代にも、前の時代の物事を容赦なく破壊するのが進歩という意識があったのでしょうか。

 

 

次は、ここから北へ300mほどの纏向小学校の西側にある古墳で、樹々が生い茂るこんもりした場所が見えています。

田植え直後の美しい風景ですが、ピンク色の卵が少しだけありました。

てくてくと農道を歩くと小学校の校庭の横を流れる水路に突き当たりました。

その雑木林のような場所が古墳です。

 矢塚古墳(やづかこふん、墳丘墓)

 全長93m以上の前方後円形の墳丘をもつ大型墳墓。発掘調査により後円部は南北約56m、東西64mとやや東西に長い形態であることが判明しました。周濠状遺構より出土した土器などから、定型化した前方後円墳が出現する以前の3世紀中頃の築造と考えられています。

 後円部径と前方部長の比率が2:1となる「纏向型前方後円墳」の一例であり、纏向石塚古墳とともに前方後円墳の出現を考える上で重要な墳墓であるといえるでしょう。

        桜井市教育委員会

この古墳も私有地だそうです。

古墳を持つ生活って、どんな感じなのでしょうか。

 

50mほど先に溜池とこんもりと森が見えるのが、纏向勝山古墳と周濠です。

  勝山古墳(墳丘墓)

 3世紀代に築蔵王されたと考えられる大型墳墓で、前方後円形の墳丘は全長約115mを測ります。

纏向石塚古墳と同様に定型化した前方後円墳が出現する以前に築造された可能性が考えられています。埋葬施設の内容は不明ですが、墳丘の周囲をめぐる周濠状の遺構からは土器や木製品が多数出土しており、なかには建築部材やU字形木製品など特異なものも含まれていました。これらの遺物は、古墳出現期における墳墓祭祀を知る上で貴重な資料となっています。

   桜井市教育委員会

 

纏向小学校の東側にその纏向石塚古墳があったのですが、入り方がわからず断念しましたが、ずっと訪ねてみたいと思ったこの地域を歩くことができました。

 

田んぼの中に3世紀代の古墳がいくつもある、なんだか気が遠くなる風景です。

ここの地域の方々はどのようにその歴史を学ばれるのでしょうか。

そして周濠からの水を田んぼに使い、古墳を避けて水路を造る。

いつ頃からのどんな技術なのでしょうか。

 

「田んぼに古墳が造られた」のだろうか、それとも「古墳の周りに田んぼが造られた」のだろうか。

田んぼといってもほんと、全国津々浦々いろいろな歴史がありますね。

 

 

 

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