昨年6月下旬の奈良の周濠や環濠集落を訪ねた散歩の記録をのんびり書いていたら、散歩の記録がとうとう半年遅れになってしまいました。
記録を急がなければと散歩の記録を見返したところ、7月に2回近場を歩いただけで、8月の記録がありません。
カレンダーや手帳を引っ張り出して、思い出しました。猛暑だったこともあり遠出は9月に計画して、そのためにプールや買い物に行くための電車代を節約たり生活をあれこれ見直していたからでした。
さて、奈良の充実した散歩から戻ってじきに、地図を眺めていたら「こんな近くに奈良と三輪がある」ことを発見しました。
*横浜市の「奈良」から町田市の「三輪」へ*
今度はどこへ行こうかと地図を眺めていたら、東急田園都市線のそばに「奈良川」を見つけました。
2022年暮れに鶴見川の氾濫原を訪ねるために長津田(ながつた)で乗り換えたのですが、そこで恩田川へ合流している川です。
ちなみに、「鶴見川の氾濫原」というのは東海道新幹線新横浜駅の北側のあたりです。
車窓の風景に鶴見川の支流の恩田川沿いに長細く水田地帯が広がっていて、ああまさに「長津田」だと思い、「田奈」駅のあたりも合わせていつかこの地域の田んぼを歩いてみたいと思っていました。
そこに「奈良川」があったとは。
東急こどもの国線に沿って流れていて、「奈良町」「奈良小学校」と表示されています。
奈良川の水源をたどると、小田急線玉川学園駅の南側の丘陵地帯のようです。
1960年代頃から小田急線沿線の急峻な斜面に次々と開発された住宅地が、どうやら反対の斜面にも続いているようです。
新興住宅地に「奈良」とつけたのかなと思いながら地図をみていると、県道139号線の北東に「三輪」という地名が見え、このあたりもやはり新興住宅地のようですが「三輪新田三角公園」がありました。
「三輪新田」、どんな歴史があるのでしょう。俄然、興味が湧いてきました。
横浜市青葉区の奈良町の「遍歴/由来」にはこう書かれていました。
昭和14年の横浜市へ編入の際、都筑郡田奈村大字奈良から新設した町。古くは都筑郡奈良村であった。明治22年の市町村制施工の際、奈良村・長津田村と合併して田奈村大字奈良となる。平成6年の行政区再編成に伴い、緑区から編入、町名は旧村名を採った。地名研究で「ナラ」は「緩斜地、平地」を意味するという。
住宅地開発によってつけられた地名ではなく、もともと奈良だったようです。
「緩斜地、平地」を意味する。どんな風景があるのでしょう。
そして隣に「三輪」があるのは偶然なのか、それとも歴史をたどると三輪から移り住んだ人たちによる地域なのだろうか。
行けば何かわかるでしょうか。
居ても立ってもいられなくなって、奈良の遠出から戻って1週間後の7月初旬、ギラギラと太陽が照る31度の中、出かけてみました。
*横浜市が東京都へ食い込んだ場所に川崎市の飛地があった*
記録をまとめるにあたって、一つ、見逃していたことに気づきました。
今回訪ねた場所の「奈良」は横浜市青葉区で「三輪」は東京都町田市なので、ちょうど町田市と横浜市北端が半島のように東京都側に食い込んだような都県境です。
その最北端の「岡上」地区も当然、横浜市青葉区だと思い込んでいました。
「横浜市が東京都に食い込んだ」ように見えていたのですが、実は「川崎市麻生区」に「東京都町田市三輪」が食い込んだ形で、麻生区の飛地ができていたようです。
って、わかりにくいですね。どうぞWikipediaの地図と説明をご参照ください。
都県境の歴史も興味が尽きないですね。
「散歩をする」まとめはこちら。