イラン国内の「物価高に対する反政府デモ」のはずなのに、なぜアメリカの大統領が「非常に強力な対応を検討している」という発言になるのだろうと腑に落ちないままニュースを追っていると、「パーレビが戻ってくる」というデモ参加者の声があり、そのあとパーレビ元国王の息子の「アメリカが支援してくれる」というようなインタビューを映したニュースがありました。
ああ、そういうことかと1986年、アメリカ空軍基地から亡命した大統領の息子が現在大統領になっていることと重なりました。
拍子抜けするほど静かに政府が倒れたピープルパワー革命でしたが、3年後に再び拍子抜けするほど元大統領一家が国内に戻り下院議員になったのでした。
Wikipediaの「エドゥサ革命」の「非難と造反」に、「マルコスの事実上の後見人であったアメリカ政府も、この時点において完全にマルコスを見放した」と書かれていますが、当時「この『革命』もアメリカが手綱を引いている」かのように受け止めているフィリピンの人たちもいました。
大統領の首をすげ替えても容易に社会は変わらない、そんなあきらめに満ちている国が世界中にあるのかもしれませんね。
*パーレビ国王の亡命*
1970年代から80年代ごろのことを思い返すと、私がイスラム教徒に対してちょっと怖いというイメージを持ったのも、当時のイラン革命のニュースに影響を受けていたのかもしれません。
特にホメイニ氏の宗教的な厳格さを求めることは、自由や民主的なことが良いという価値観が浸透した社会では受け入れ難いものでした。ただ90年代に実際にイスラム教徒の多い地域、「反政府的な住民」と言われた地域に住むと、イメージとは全く違う穏やかな社会がありました。
宗教を権力に使うか、生活の規範として受け入れるかの違いでしょうか。
当時、しょっちゅうニュースで耳にした「パーレビ国王」は革命後どうなったのか、改めてイラン革命を読んでみました。
あれ?「パーレビ国王」の文字が一箇所もありません。
モハンマド・レザー・パフラヴィー、「パフラヴィー」「皇帝」が正確な名称だったことを知りました。これも「日本語読みの問題」ですね。
さて、その「パーレビ国王とその家族」の行方がWikipediaの「死去」に書かれていました。
モハンマドはその後癌治療のためという名目で皇后らとアメリカに移ったが、アメリカがその入国を認めたことに反発した学生らが1979年11月4日にテヘランのアメリカ大使館を占拠してモハンマドの身柄の引き渡しを求めるという、イランアメリカ大使館人質事件が起きた。
そのためアメリカを離れ、パナマ、エジプトと逃れたあと死去。皇后と家族は、レーガン大統領の庇護を受けて「アメリカ東部に居を定めた」。
ああ、そういうことだったのかと、高校卒業したばかりの頃のニュースとつながりました。
アメリカというのは、当の国では求めていないのに「息を吹き返させる」ことをしますからね。
*革命の特徴*
今はほんと、Wikipediaで「近い昔」の歴史がまとめられていくのですごいですね。
革命の特徴
冷戦下の1970年代当時、アメリカ合衆国とソビエト連邦の覇権争いと、その勢力圏下の国家や民間組織による代理戦争や軍事・政治・経済的な紛争が世界的に発生・継続していた。しかし、この革命は反米や・反キリスト教を掲げながらもソ連には依存せず中立の姿勢を堅持し(しかし反米的な外国政府や団体からの支援は受けている)、米ソのどちらの勢力にも加わらなかった。
また、伝統的な宗教であるイスラム教を原動力にしているのも特徴である。革命の成功後、日本ではそれが政治的な変革にすぎず、宗教的、文化的なものではないという議論が支配的だったが、次第に新たな運動のタイプであると認識されるようになった。
当時の記憶があいまいなので後半の文章の意味はよく理解できないのですが、当時自国のオイルショックの方が大変で遠い国の文化の全く違う世界の革命という雰囲気だったのでしょうか。
そしてその「遠い国の文化も全く違う世界の人」の姿を見かけるようになったのが、1980年代終わり頃でした。その背景には何があったのでしょう。また宿題ができました。
*「アメリカ合衆国が関与した戦争一覧」*
いったいアメリカはどれくらい他の国に侵攻したり革命を支援したりしてきたのだろうと、自分の中の年表が空白のままだったと思いました。
検索していくうちに、その名もずばり「アメリカ合衆国が関与した戦争一覧」というまとめがありました。
独立戦争から途切れることなく戦争をしている国だったのですね。
南北アメリカ大陸からグリーンランドまで手中に納めようとしている現在の裸の王様だけでなく、ずっとかの国の歴史の中では「平和な時代」がなかったのだと。
自由で人権など普遍的なことの先駆けの国というイメージは、いったいどこからきたのでしょう。
アメリカとはどんな国だったのかと検索したら、その「現在」にこうまとめられていました。
冷戦がソビエト連邦の崩壊で終結した後は、アメリカ合衆国が「唯一の超大国」となった。よって後述のように、親米ならどんな圧制国でも「自由で民主的」と存在が容認され、反米ならその国の国民の自由意志により立てられた政権でも「世界平和と民主主義の敵で討ち果たされるべき存在」というレッテルが貼られることになった。民衆により独裁体制が打ち倒された後の独裁者は、親米であればアメリカの庇護を受ける事ができた。イスラム原理主義、共産主義など反米の場合はそのまま放逐され、また処刑される者もあった。
少し前までは「イスラム原理主義、共産主義」とそのまま読んでいたけれど、最近はそういうイデオロギーというよりは、アメリカの「自由と民主」というのは株主経済であり、憧れの国は、帝国主義や植民地主義が姿を変えただけだったのだと思うようになりました。
ヒトの社会を分裂させるエネルギーはどこから湧いてくるのでしょうか。
18世紀からのそれぞれの戦争や侵攻を読んでみることにしましょう。すごい宿題ですね。
そしてわが国はどこへ向かうのでしょう。
アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく、そんなふうに言われていた時代もありました。
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