落ち着いた街 104 北陸新幹線の車窓の散歩

北陸新幹線に乗るために東京駅へ向かいました。5時少し前に家を出た頃はまだ真っ暗です。早朝でも24度もあってまるで真夏の蒸し暑さですが、9月下旬、これからどんどん日は短くなる季節ですね。

 

少しずつ東の空が明るくなり、5時44分に東京駅に着いた時にはすっかり明るくなりました。

北陸新幹線東北新幹線上越新幹線に乗るには、東京駅からでも大宮駅からでもあまり変わらないのですが、最近は新幹線の父のリレーフがあるので東京駅を利用しています。

あちこちに向かうためにここを通るたびに、新幹線の歴史を思うことが増えてきました。「散歩」の醍醐味ですね。

 

と書きつつ、今回は違う通路を歩いてしまってリレーフを見逃すという、旅の出だしからの痛恨のミスです。

気を取り直していきましょう。

 

 

関東平野の治水・利水と田んぼの歴史を思う浮かべる*

 

 

6時16分発のかがやき501号に乗りました。直前までホームで賑やかにおしゃべりしていた一団が同じ車両だったので「ああ・・・」と思いましたが、乗車したら静かで、車窓の風景に集中です。

大手町のビルと路地に集中します。2024年11月に秋葉原の先で「新幹線が地下へ入る場所を見るつもり」だったのに場所を間違えた痛恨の散歩を思い出しながら、新幹線は地下へと入りました。

上野駅でもぼちぼち乗ってきましたが、比較的空いています。また地上に出て荒川を越え、しだいに大宮台地の東側の小高い場所が見えてその向こうに見沼たんぼがあることを思い浮かべていると大宮駅に到着。たくさんの乗客でほぼ満席になりました。

 

9月下旬ですからもう稲刈りは終わってしまっただろうと思っていたら、熊谷のあたりまで黄金色の風景があちこちにあります。無事に収穫できる安堵とともに「有難い」風景ですね。

六堰(ろくぜき)頭首工や大里用水の歴史を思い出しました。

荒川の渇水は首都圏の渇水に直結している中で、「常に的確な流水管理」がされるようになったからこその田んぼですね。

 

熊谷を過ぎると今度は利根川右岸の地域に入り、岡部のあたりのブロッコリー畑が青々と広がっています。

かつて河道が安定しなかった利根川は江戸の中心部にまで洪水をもたらすような暴れ川だったのが、川を付け替え、関東平野の用水路網を造ったからこそ、この関東平野の広大で豊な田畑があるのですね。

機械もない時代の人力ですから、ほんと、すごいことです。

そして上流から下流へと、滞ることなく水を流せるような水路を作り、各地に水争いをおこなさにように分水する。江戸時代の土木技術というのはすごいものです。

 

あっという間に高崎駅を過ぎて、榛名山赤城山を見ながら上越新幹線と線路が分かれてぐいと西へと曲がります。利根川がすぐ下に流れているのに水を得られなかった地域、そしてヨハネス・デ・レーケの砂防ダムを思い浮かべました。

 

そしてここを通る時には必ず、1990年代初頭に信越本線で横川駅から碓氷(うすい)峠を越えて軽井沢へ行ったことを思い出しています。当時はまさか、それがじきに貴重な体験になるとは思ってもいませんでした。

峠を越えるための明治時代のスイッチバックから長大なトンネルが当たり前になった、鉄道が驚異的に変化する時代の雰囲気なんて関心もなく、ただ「進歩していくことだけが良い」と思う年代でしたからね。

 

行き止まり線になってしまった横川駅までの沿線も、一度は歩いてみたいものです。

 

 

*信州、千曲川流域へ*

 

トンネルを抜けると軽井沢を過ぎ、雄大浅間山のすがたが見えます。1738年の浅間山の噴火は利根川の流れにも大きな影響を与えたことを思いだしました。

佐久平のあたりも稲穂で黄金色です。その先に、南側から流れてくる千曲川が大きく西へと流れを変え、新幹線はその千曲川沿いに走る信州の美しい風景です。

 

初めて北陸新幹線に乗ったのが2019年9月で、鳥肌が立つような感激でこの車窓の風景を眺めたのですが、そのわずか1ヶ月後に濁流に飲み込まれりんご畑や新幹線車両基地が水没している映像に心を痛めることになったのでした。

どの地域でも災害はつらいが竹の節のようなものと乗り越えてこられた方々によって、この国は造られてきたのですね。

少しずつ災害から立ち直られていく様子が伝えられ、2024年に念願の千曲川流域を歩く散歩に出かけました。

 

2019年の水害で耳にした千曲川の立ケ花狭窄部、そして地図で見つけた山肌に沿った名前もわからない水路を2024年9月に訪ねました。

飯山線蓮(はちす)駅のそばにある上組(かみぐみ)溜池と蓮(はちす)堰で、ここにも「用水の神様」と言われる方がいらっしゃる歴史を知りました。

そして蓮駅から千曲川沿いの田んぼを眺めながら飯山駅まで歩きました。

 

北陸新幹線に乗る時には「次はD席にしよう」と思いつつ、やはりついつい富山湾が見えるA席にしてしまうので、車窓からは歩いた場所は見えなかったのですが飯山駅を通過する時に、木の美しい駅舎とその地域のお米で握った美味しいおにぎりを食べたことを思い出しました。

その頃も少しお米は高くなっていましたが、まさか1年後におにぎりが贅沢品になるとは思ってもいませんでした。

 

飯山駅を通過するとすぐにトンネルに入り、抜けると稲刈り後のひこばえが美しい広々とした水田地帯で、青空に雲が低く見えました。

2019年に初めて通過した時に水門が見え、上越市の関川と用水路にどんな歴史があるのか歩く計画が少しずつできています。いつ実現するでしょう。

もう一度トンネルを抜けると日本海が見え、上越とは一転、雨が降っていて白波が立っています。福井は晴れの予報だったのに大丈夫だろうかと思っていると、しばらくすると突然日差しが出て晴れました。新幹線が速いから次々に空模様が変化します。

 

 

*「水の王国とやま」から石川へ*

 

 

富山に入りました。こちらもすでに稲刈り後でしたが、ところどころ黄金色に輝いています。コンバインを借りる日程の都合でしょうか。それとも用途が違うお米でしょうか。

真っ黒な瓦屋根が田んぼや日本海の青さに映えるのが富山ですね。

黒部川を超えました。富山市のあたりは雨で、その向こうは晴れているのが見えます。

富山湾に沿ったダイナミックな風景、これがA席の醍醐味なのですが、D席だと立山連峰が美しいことでしょう。やはり次回こそはD席にしましょう。

 

そしてわずか30kmほどの海岸線に大きな河川の河口が集中し、ヨハネス・デ・レーケが歩き治水に貢献した痕跡があるのが「水の王国とやま」ですね。

全ての川を歩き尽くしたい。無謀な計画が進行中です。

 

富山駅から神通川牛ヶ首用水を越えると、広大な水田地帯、庄川、小矢部川のあたりに散居村の美しい風景が広がります。

南西へと大きく曲がり、山あいを抜けると2019年に訪ねた河北潟と内灘町が見え、金沢駅に到着しました。

車窓から見える美しい風景は遠目には当時と変わらないのですが、まだまだ竹の節を乗り越える真っ最中の地域です。

それぞれの地域の歴史を少しずつ知り、敬意を持って祈るしかない毎日です。

 

 

北陸新幹線延伸後、初めて福井まで*

 

最後に北陸本線の特急に乗ったのが、2023年5月に庄川と九頭竜川を訪ねた時でした。新しい高架橋や開業を待つ駅が見えました。

そして2024年3月16日に金沢から敦賀まで北陸新幹線が延伸しました。新幹線の車窓からはどんな風景が見えるでしょうか。

 

金沢からの広大な水田地帯が高架橋から広々と見えます。

稲刈り後でしたが、今度は田植え後や稲穂が青々と風に揺れる風景も見てみたいし、手取川流域の歴史も歩いてみたいものです。

 

小松のあたりで、しらさぎとまるで鳥のような戦闘機が飛んでいるのが見えました。この辺りも新潟と同じく潟が多い地域です。どんな田んぼと水路の歴史があるでしょう。

高架橋からだと潟がよく見えそうとワクワクしていたら、ちょっと高い壁に阻まれました。防風それとも防雪でしょうか。安全のためですからね。

 

大聖寺の観音様が見えるとじきにトンネルに入りました。北陸本線だった時には、山あいを抜けていた区間ですね。

豪雪地帯の新幹線の工事にはどんな苦労があったのだろうと、車窓の向こうの闇を眺めているとふわっと目の前がひらけて芦原温泉を通過しました。

 

美しい九頭竜川、そしてかつては湖だった福井平野を高架橋から一望するように新幹線が走ります。

福井ではすっかり稲刈り後の風景でした。

 

9時13分、福井駅に到着。北陸新幹線の3時間の車窓の散歩が終わりました。

2019年に福井を再訪した頃に比べて、沿線の地図と歴史や生活をより詳細に思い浮かべることができました。散歩の醍醐味ですね。

 

到着したらポツポツ雨が降ってきました。

北西の海岸沿いから真っ黒な雲がこちらへ移動してきています。

天気予報では晴れでしたが、これが日本海側の天候のようです。

さあ、どこから歩き始めましょうか。

 

 

*おまけ*

今までは自然災害や天候の不順、あるいは水の過不足の心配だったのに、まさかの米価の乱高下まで加わることになりました。

どうか大事なお米や野菜を作ってくださる方々が安定した仕事でありますように。「農は 人類生存の基をなす営み」ですからね。

北陸新幹線の車窓の向こうに広がる落ち着いた街の風景に、それぞれの地域の農業や治水の歴史が重なるようになりました。

 

 

 

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