行間を読む 254 北陸新幹線延伸、金沢から敦賀へ

2018年に祖父母の住んでいた地域が豪雨災害で大変だったことから、祖父母の田んぼや用水路への郷愁や回想が始まり、川や用水路や干拓地を訪ね始めたのですが、あれから7年、全国いろいろなところへ行きました。

北陸新幹線の車窓の風景のように、次々と思い浮かべることが増え、知らなかったことをまた訪ねてみたくなるという無限のループに陥っています。

全ての鉄道の車窓から見えた場所を歩きたいのですが、それは無謀なので新幹線の車窓から見えた場所を歩くようになりました。まあ、これも無謀ですね。

 

数日間の旅の日程を無事に終えることができるのは、各地の公共交通機関のおかげで、その歴史を読むようになりました。

最初の頃はWikipediaの各路線の説明を読んでも目が滑っていたのですが、最近ではだいぶサクサクと読めるようになりました。「継続は力なり」と「百聞は一見にしかず」、ですかね。

 

自分が生きてきた時代の歴史というのは案外知らないものですから、年表を正確にしていく作業もまた楽しいものですね。

ということで、Wikipediaの「北陸新幹線」を読んでみました。

 

 

信越本線から長野新幹線へ*

 

Wikipediaの概要を読んで、そうだった「長野新幹線」と呼ばれていた時期があったと思い出しました。今ではすっかり北陸新幹線なのですけれどね。

そしてそれが長野オリンピック開催に合わせてだったことも思い出しました。1990年代初頭に信越本線で軽井沢に向かった頃に計画ができたのだろうかと思ったら、もっと前でした。

北陸新幹線は1972年(昭和47年)に、全国新幹線鉄道整備法第4条第1項の規定による『建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』により公示され、1973年(昭和48年)11月13日に整備計画が決定された5路線(いわゆる整備新幹線)の路線の一つである。国鉄の財政悪化により建設が一時凍結されたが、1989年(平成元年)に高崎駅-軽井沢間で着工され、1998年(平成10年)に開催される長野オリンピックに合わせて1997年(平成9年)10月に高崎駅-長野駅間が整備新幹線として初めて開業した。

1997年(平成9年)の開業時点では長野新幹線が終点であり、2015年(平成27年)の延伸まで北陸新幹線北陸地方に達していなかったことから旅客向けには「長野行新幹線」、後に「長野新幹線」と呼称していた

(強調は引用者による)

 

1955年(昭和30)に十河信二氏が国鉄総裁になり、1958年(昭和33)に東海道新幹線の早期着工が決定され、わずか6年で夢の超特急が東京-大阪間に実現したあと、破竹の勢いで整備新幹線の計画ができていたのですね。

私が小学生の頃は「夢の超特急」は特別な乗り物からちょっと日常的な鉄道になり、でも長いこと「新幹線=東海道新幹線」だったのが、中学生の頃に1972年に岡山まで山陽新幹線が延伸、1975年には博多まで完成しました。

 

たまに東海道新幹線に乗るくらいだったので、2019年に秋田新幹線に乗った頃、「新幹線の鉄道網」がかなりできていることに驚いたのでした。

そしてゆっくりと延伸し続けている路線があることにも。

 

巨額の資金も必要だし、その地域の社会や環境を大きく変化させるので公共工事というのは計画から実現まで気が遠くなるような調整の時間が必要なのですね。

そしてその間に容易にヒトの気持ちが変わり、社会の風向きも変わりますからね。

 

 

長野新幹線から北陸新幹線へ18年かかった*

 

長野から金沢駅まで延伸されたのが2015年3月でした。この時には、金沢駅駅舎や豪華な「グランクラス」が話題になったので記憶にあります。

それにしても、半世紀以上前の技術でも東京-大阪間をわずか数年で開業させたというのに、長野から金沢までは18年もかかったようです。

豪雪地帯を通る大変さであれば、上越新幹線東北新幹線で克服済みのようにも思えるのですが。

 

この地域の特殊性がWikipediaに書かれていました。

鉄道建設・運輸施設整備支援機構が鉄道施設を建設・保有し、高崎駅-上越妙高駅間はJR東日本上越妙高駅-敦賀駅間はJR西日本により運営している。JR東日本-JR西日本の施設管理境界は上越妙高駅の金沢方・高崎起点177km950m地点である。同一名称の新幹線が複数の鉄道会社によって運営されるのは、北陸新幹線が初めてであり、現在でも唯一である。なお、JR西日本北陸新幹線とは別に山陽新幹線新大阪駅-博多駅)も運営しており、JR東日本に続いて複数の新幹線路線を運営する鉄道会社となり、1つの鉄道会社が運営する新幹線の路線が直接つながっていない初の事例ともなった。

(強調は引用者による)

東海道新幹線は在来線だとJR東日本JR東海区間ですが、1987年の国鉄分割民営化前で東京駅からJR東海が運営しているという特殊な路線ですね。

整備新幹線の計画ができた頃には、まさか国鉄が分割されるとは予想されていなかったでしょうか、それともその流れはあったのでしょうか。

 

続けてこんな説明が書かれていました。

東日本と西日本にまたがって電源周波数が異なる地域を直通しており、50Hzと60Hzの交流電化区間が混在する唯一の新幹線でもある北陸新幹線整備新幹線として初めて着工され、電源周波数が異なる地域や山岳地帯、豪雪地域を経由する路線でありながら工事費を抑えるために様々な新技術が用いられている。

(強調は引用者による)

 

そういえば、東日本と西日本では電化製品のHzが違い、富士川が境だったように聞いた記憶がありますね。そこを超えて引っ越すこともなかったのですっかり忘れていました。

当たり前のように東海道新幹線富士川あたりを通過していましたが、どんな技術がそれを可能にしているのでしょう。

 

東海道新幹線でその技術が使われているのであれば「唯一の新幹線」でもなさそうですが、Wikipediaの「主要技術」に添付されている図を見て「50Hzと60Hzの交流電化区間が混在する」の意味がわかりました。

異周波数対応

北陸新幹線沿線の商用電源周波数は、群馬県内は50Hz、長野県内は60Hz、新潟県内は50Hz、富山・石川・福井県内は60Hzとなっている。営業中の新幹線路線で異周波数接続が存在する路線は北陸新幹線が唯一である。異なる周波数の電流が混触すると大電流が流れるおそれがあるため、電気的な絶縁を保ちつつ変電所間での電源系統の切り替えを行うために、新軽井沢き電区分所(SP)、新高田SP、新糸魚川SPに周波数切替セクションが設けられている。列車の通過に連動して自動的にき電を切り替えるため、新幹線車両はこれらのセクションを力行したまま通過できる。

専門的なことは全く理解できないのですが、 周波数が違う地域をが何度も変わりながら通過していたのだとわかりました。

 

「冬季対策設備」「地震対策」も説明があり、さまざまな事象を見逃さずに事故を未然に防ぐことが行われていることに圧倒されました。

豪雪地帯であるとともに熊のニュースも多い地域で、敦賀の工事現場で働いていた方が熊に襲われたニュースもありました。

そして北陸新幹線は何度も大きな河川を越えていきますからね。

 

 

車窓の風景の記憶に安全を支え、安全を追求する歴史が重なりました。

 

 

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