断片的に伝わってくるニュースに絶望感で疲れ切った頃、news zeroの中で裁判員の方々がインタビューに応じている場面が放送されました。
裁判員制度が始まった頃、たしか「裁判員だということを公表してはいけない」とか「家族にも裁判の情報を話してはいけない」とか厳しい制約があったはずで、今まで裁判員になった方のインタビューを見聞した記憶が全くないので驚きました。
さらに、被告人に対し「誠実」「不遇な境遇がなければ大成したのでは」という受け止め方を公表されていたことも驚きました。
*「裁判員が明かした葛藤」*
テレビだったので正確にインタビューを記録できず、詳細を知りたいと思ったところ、翌日に記事になっていました。
「死刑なくてホッと」「不幸だから何をしてもいいわけではない」山上徹也氏の無期懲役判決、裁判員が明かした葛藤
(2026年1月21日、弁護士ドットコムニュース)
安倍晋三元首相を銃殺したとして、殺人罪などに問われた山上徹也被告人(45)に対し、無期懲役の判決を言い渡した奈良地裁の裁判員裁判。
判決後、審理に加わった裁判員と補助裁判員が記者会見を開き、量刑判断をめぐる葛藤や、事件と向き合った重圧を明かした。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
⚫︎裁判員6人と裁判官3人で審理された
裁判員裁判では、国民から選ばれた6人の裁判員が、裁判官3人とともに審理に加わり、量刑の判断まで関わる。
傍聴席で取材したジャーナリストなどによると、山上被告人の裁判では、当初は裁判員6人のうち女性が1人いたが、途中で交代し、判決時点では6人全員が男性だったという。
この日の会見には、裁判員をつとめた3人と、補助裁判員をつとめた2人(うち女性1人)が出席した。
⚫︎「不幸だから何をしてもいい世の中ではない」
会見ではまず、報道機関の代表質問として、山上被告人の印象について問われた。
裁判員をつとめた40代の男性は「非常に頭のいい人物だなと思いました。家族思いの部分がとても強い印象。家庭環境は、宗教2世として不遇な幼少期、青年期を送ってきたというのは強く思いました。そういった境遇がなければ、持ち前の頭の良さで大成されていた方なのかなと」話した。
別の裁判員である30代男性は「真っ直ぐしか見られない人なんだろうと思います。妥協もできなかったのかなと思いました」と指摘。一方で「家庭環境が不遇であったことなどいろいろとわかったが、事件を起こしてしまうとなかなか同情できない状況もあるので、不幸だから何してもいいという世の中ではないと考えています」と述べた。
補助裁判員として参加した50代の男性は「自分の言葉で発言されているというのがすごく印象的で、自分に不利になる証言でもちゃんと受け答えしていて、能力の高い人物だと思いました。なかなか僕らからでは想像つかないような辛い境遇を過ごしてきたと思っていますけど、高い能力を犯罪ではなく他の方法に生かしていければと残念に思いました」と語った。
⚫︎被害者が元首相「切り離して考えました」
被害者が、内閣総理大臣を長くつとめた安倍晋三氏だったことについても質問が出た。
裁判員の40代男性は「最初はすごく大きい事件だなと思いましたが、そこを考えると判断が間違えてしまいそうな気がしたので、1人の人が亡くなった、殺されたというふうに切り離して考えるようにしました」と語った。
裁判員の30代男性も「元首相が被害者というのを考えてしまうと、どうしても(余計な)ファクターが入ってしまうので、それを抜きにして考えました」と明かした。
⚫︎「死刑がなくなり、ホッとした」
社会に衝撃を与えた事件で「死刑が求刑されるのではないか」といった関心も集まったが、量刑判断をめぐって、裁判員は率直に語った。
補助裁判員をつとめた女性は「経験がないので、死刑とか、そんなことを決められないという気持ちでした。無期懲役という部分もわからなくて、1人の人間の人生なので怖いと思いました」と吐露した。
裁判員の40代男性は「最高刑が死刑ということで、その可能性も含めて考えていかないといけないと、裁判員としてそれも責任だと思っていましたが、求刑の際に無期懲役ということで、死刑がなくなったので、少しホッとした自分がいたので、自分に対するストレス、プレッシャーは感じていたと思います。
補助裁判員の50代男性も「死刑に限らず、1人の人間の人生を決めるような立場になったので、すごいプレッシャーというか、自分の思っていることとかをみんなで話し合いました」と語った。
(強調は引用者による)
記憶していたインタビュー通りの内容でした。
これまでの山上徹也被告の供述を読んでも、その行間には絶望に似たあきらめしか読み取れないほど淡々としている印象でしたが、その場で聞いている方々にも極悪非道とは違う印象があったのでしょうか。
であれば、なおさら裁判長から本人へ諭すような言葉が何もなかったのは何故だろう。
司法の専門家には、改心や更生の余地は認められないような人物だったのでしょうか。
*裁判員制度ができた頃の恐怖心が蘇る*
1990年代終わりごろから裁判員制度の話題がではじめた時、自分が裁判員に選ばれたらどうしようと恐怖に近いものがあったことが蘇ってきました。
人を裁くための法律の知識なんてないですし、ただでさえ自分自身の仕事である医療も90年代ごろから急激な医療の進歩と社会からの期待や要求、それに対して医療事故や対応への厳しい批判や医療裁判の増加で胃が痛くなる毎日でしたし、「法は人に不可能を強いてはいけない」どころか真面目に働いても「運悪く」自分自身が被告人になる可能性の中で、とても裁判員なんて受けることはできないと、真剣に逃げることを考えていました。
でも当時の限られた情報ではどうやら拒否できないようで、絶望的でした。
久しぶりに制度について読んでみると、当時も疑問に思ったことはそのままのようです。
(国民に身近な司法という意味で)身近にするにしても、例えば痴漢冤罪などの国民が関心を持ちやすい、身近な分野の事件を対象とするなど、もう少しやりようがあるだろうに、職業裁判官でも判決をためらう死刑判断を行う刑事事件を対象とするのは、裁判員となる国民の精神的負担が大きい。
(Wikipedia、強調は引用者による)
なぜこの裁判が裁判員制度の対象になったのでしょう。
「国民に身近な司法制度のため」「裁判員制度の狙いである『市民感覚』」、本当にそれが生かされた裁判だったのでしょか。
裁判員の方のインタビュー内容と判決要旨の冷たさに、つじつまが合わない印象だけが強く残りました。
*おまけ*
「裁判員になった市民はそこでの経験を一才口外してはならない」とあるのですが、今回のインタビューはどのような判断で行われたのでしょう。
そして「公開前手続きは非公開のため、裁判員はどのような論点が外されたのか知らずに有罪、無罪、量刑の判断をすることになる」というのは、具体的に今回の場合どのようなことだったのでしょうか。
何かに利用されているのでは、そんな疑念が強く残っています。
まさかこれで禊が済んだとばかり、解散選挙に突入とかじゃあないですよね。
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