また昨年9月から10月にかけての福井の散歩、1日目の記録の続きです。
県立病院を出たあと、バスは「啓蒙小学校前」バス停、「開発(かいほつ)」バス停と通過していきます。
勝山永平寺線越前開発駅の北側に「開発」と「開発町」という地名があり、最初に福井を訪ねた2019年からこの「開発」という地名が気になっていました。「江戸時代頃からの新田開発だろうか」と。
バスの車窓からは、やはりかつては水田だったのだろうなという印象を受けましたが、どんな歴史があったのだろうと検索してみると、「啓蒙公民館」というホームページ「啓蒙の歴史」に詳しく書かれていました。
すごいですね、公民館がこういうホームページを持っているなんて。
*「宿善の開発」*
その中の「私たちの祖先」に、答えがありました。
このあたりに人が住み始めたのはいつ頃だろう。新保遺跡からの出土品が一つの手がかりを与えてくれている。
昭和47年(1972)に土地改良事業に関連して林地区に、隣接する新保地係で緊急発掘調査が行われた。
その時に、水路、溝、矢板、土器などが出土し、新保遺跡と命名した。
これらの出土品は、弥生時代後期から古墳時代前期のものと推定された。
わが国で稲作が始まったのは、約2000年前の弥生時代であり、新保遺跡から発掘された矢板使用の溝や畦は農業用施設と考えられている。
「開発」という字のイメージから、開拓に関係のある地名と考えられがちであるが、カイホツという地名は、仏教用語の「宿善の開発」(しゅうぜんのかいほつ)から名づけられたと言われている。
だから、私たちの祖先は2000年前から1500年前にはすでに、このあたりの比較的高い所に住みつき、溝や矢板、水路、農耕具、米貯蔵用の土器その他、生産や生活に必要ないろいろなものをつくりながら低湿な沖積地で稲作を行っていたようだ。
検索すると「しゅうぜん」という読み方の資料は見当たらず「しゅくぜん」でしたが、AIが教えてくれました。
「宿善の開発」とは、過去の「善い行い」や「仏との縁」を、今この瞬間に、仏教の教えを通して呼び覚まし、信心へとつなげていく仏教的な実践・プロセスを指す言葉
それが、なぜ、いつ頃に弥生時代頃から稲作が行われていた地域の地名に使われるようになったのでしょう。興味は尽きないですね。
*「このあたりの比較的高い所に住みつき」*
勝山永平寺線が芝原用水と並走する「新保(しんぼ)」や「開発」のあたりは、ずっと平地が続いていような印象でした。
「この辺りの比較的高い所に住みつき」ということは微高地だったのでしょうか。
越前新保駅と越前開発駅のちょうど中間の南側に、地図では小高い場所が描かれ、そのあたりが丸山地区のようです。
丸山はむかし丸岡山といった。地名の由来は丸山という山の名前から来ている。
丸山の頂上に古墳があり昭和29年(1954)福井市上水道の配水池工事で発見された。工事用に測量された図面から墳丘を推測すると円墳または前方後円墳であったと考えられるため、丸山古墳と命名されたという。
なんと20世紀中頃まで、古墳とは知らずに生活していたということでしょうか。
いずれにしても、この辺りは「かつて湖」ではなく、継体天皇の時代以前から稲作が行われていたということですね。
越前開発駅と越前新保駅、距離にするとわずか1kmほどですが、この地域の弥生時代からの稲作の痕跡を歩いてみたくなりました。
こうしてやり残した宿題が、また宿題を増やし、困りましたね。
「米のあれこれ」まとめはこちら。