「子どもへの投資をする」という言葉がテレビから聞こえてきたのでメモをしておきました。
「人」ではなく「ヒト(資源)」とみなし、医療や福祉まで投資やら投機の機会とみなすような流れ、あるいは新生児も投資の対象にする株主経済の流れだろうかと、気になりました。
看護職の私からすると「子ども」というのはまずケアの対象です。
「保育(育児)」からケアという言葉が始まり、病人や障害を持った人、そしてこの半世紀ほどで高齢者もケアの対象となりました。
ケアの対象が投資の対象というのはどういう主張があるのだろう。
それでその党の「政策マニュフェスト」を読んでみました。
あれっ?と違和感がありました。
「生活と保障」の「教育」「子育て」「医療」「福祉」のそれぞれを読んでみましたが、「高齢者」という言葉やそれに対する政策がないのです。
「福祉・介護従事者は足りておらず、業務負担の大きさや賃金の低さも課題です」とあるのですが、その福祉も「障害者(児)」については書かれているのですが「高齢者」という言葉が一箇所もありません。
唯一それらしいことが書かれていたのが以下の箇所。
・・・申請の手続きも複雑
親の介護の最中に介護認定の取得を勧められた。けれど、不在中の世話を頼める人がおらず、役所にいくことができなかった。
「テクノロジーで政治と未来をよくすることを目指す新党です」には、「私たちは、分断を煽らない」「私たちは、誰かをおとしめない」と書かれています。
そして「チームみらいは、誰も取り残さない社会福祉を実現します」と書いてあります。
ところが、高齢者の存在がまったくない政策を出す政党というのは、記憶にある限り初めてですね。
それまで自立していた人が年齢とともに人の手を借りることが増え、「存在感が薄れていく」ことは親の背中を見て覚悟していますが、さすがに高齢者の存在まで無かったことにされる時代が来るのでしょうか。
それとも高齢者の定義を変更して老いじたくを遅らせる政策でしょうか。
私なんて、この歳になっても社会保険料も納め続ける現役世代にされ、でも高齢者でもあり、というなんだか宙ぶらりんですからね。
ちょっと背筋が寒くなるような感覚がありましたが、30代というのはあの高齢者介護が始まったこの30年ほどの社会の葛藤や努力と同じ時代に生きてはいるけれど、歴史がまとめられていないので現実感がわかない「近い昔」なのだろうな、と思い直しました。
次には「高齢者」という視点が入るといいですけれどね。
*おまけ*
Wikiediaには「AIエンジニア」と書かれているのですが、AIでは高齢者というケアの受け手の声なき声は反映されないのでしょうかね。
「ケアの受け手と与えての関係は非対称である。なぜなら相互行為としてのケアの関係性から、ケアの与え手は退出できるが、ケアの受け手はそうではないからである」
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