散歩の2日目、朝5時半にカーテンを開けると空が明るくなってきていました。今日はお天気に恵まれそうなので、計画通りのコースに行くことにしましょう。
ニュースを見ていたら「『お茶』ペットボトル200円越えも 背景に世界的”抹茶ブーム”が」という話題で、お茶の生産農家さんのインタビューがありました。
お茶農家としては沢山飲んでほしいけれど 抹茶ブームでペットボトルにするお茶が足りないのではないかな
お茶の産地に住んでいますが抹茶の買い付けで外国人の工場見学が増えていて休めない経営者が増えています
お茶業者にとっては良いことなのか悪いことなのか
抹茶にすると単価が高くなる
茶畑が大きくないと抹茶は大変と
普通、物価はゆっくり上がるのに、3倍4倍は怖いと
日本の米を日本の人に食べてもらいたいと思って作ってきたのが、突然、社会のムードや産業の構造が変わってしまい、生産者も怖いと思う価格の上昇が起こることにも似ていますね。
*1960年代ごろからの日常の飲み物*
今も新幹線の車窓からは子どもの頃から変わらずお茶畑が見えるのですが、製茶業者の方々にとっては激動の半世紀でした。
ニュースを見ながら、子どもの頃の1960年代からの日常の飲み物の変化をあれこれと思い出しました。
当たり前のようにほうじ茶や番茶を飲み、普段はそれほど高価な緑茶ではなく、お正月に玉露を奮発する程度でした。
1960年代後半になると1966年に国内に初めてのインスタントコーヒーの工場ができ、インスタントコーヒーからコーヒー豆をドリップ式に、そしてティーバックの紅茶から缶入りの紅茶、という方法も一気に広まりました。
その分、家庭での緑茶の割合が減って製茶業界は大変というニュースがあったような記憶があります。
さらに、1970年代ごろのジャスミン茶やウーロン茶などの中国系のお茶が広がり始めて、「お茶」はさまざまな国のものを指す言葉になりました。
それでも抹茶は茶道で使われることがほとんどで、高級品でした。
茶道をしていた母が、茶筒から竹の匙で少しだけ取り出す抹茶は輝いて見えましたね。
そのうちに茶道をする人も減ったのでしょうか、抹茶をケーキなど別の用途に使うことが始まりました。自由化のあとあっという間に1980年代には日常品になったチョコレートと、この抹茶クリームのケーキが私は大好きでした。
1980年代にはペットボトル飲料が出始めましたがまだまだ高価だったし、リサイクルの流れがなく容器を捨てることにためらいがあった時代でしたが、90年代ごろにはお茶のペットボトルが出始めたことで私も購入するようになりました。
この頃の私は家で急須でお茶を入れて飲むこともなくなっていましたが、ペットボトルで日本茶をまた飲むようになりました。
それでも、まだこの時代には「日本の食品や飲み物を好きな外国の人なんて変わった人」ぐらいの感覚でしたから、日本のものが輸出されて受け入れられたり、国内で世界中の飲食物が広がるのは好奇心が旺盛か貪欲なの人がどの国にもいるから成り立っているのだろうと思っていました。
ところが、経済的余裕ができるとどこの国でも同じように「ブーム」が作り出されるのですね。
で、「日本の〇〇が好き」と言われると変な「愛国心」が刺激されそうですしね。
*それを作っているのは誰か*
90年代初頭には、バナナやエビなど海外から安く輸入されるようになった問題、それを作っている人たちはどういう生活なのかと考える視点と出会いました。
ただ、私自身、「先進国と途上国」「搾取と人権抑圧」という枠組みからなかなか切り離す事ができないままでした。
だから、まさか日本で同じような事が起こるとは想像していなかったのでした。
そして「日本の抹茶が好き」という外国の人が少し増えるだけで、国内の需要と供給のバランスがこんなにも崩れるのだと。
ではなぜ今まで、私は紅茶やジャスミン茶やコーヒーを手軽に飲み続けることができたのだろうと考えると、世界中にはこうして生産構造を変えさせられ安価な代償で打ち捨てられていった地域や人々がたくさんあるからですね。
「世界的ブーム」というのは、姿を変えた新々植民地主義かのように見えてくるこの頃です。
過ぎたあとには草も生えないような貪欲な何か、そんな感じ。
「稼ぐ農業」という言葉に私は警戒感があるのですが、それまで国外にしてきたことを国内へと向けてきた、どうしてもそう見えてしまうのですね。
ということは、日本のそういう産業が、かつて私が問題視してきた「開発途上国」の問題と似てきそうですね。
そして「ブーム」は次々と作られて姿形を変えるので、問題に気づくのに半世紀ぐらいかかり、そして手の打ちようがなくなってしまう。
そしてまた姿を変えた「財閥」が形成されていく。
ああ、嫌だなあ、そんな社会。
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