1970年ごろからつい最近まで、「王制がなくても自由で民主的な国が成り立つアメリカ」のイメージでしたから、犬養道子さんはやはり元首相の孫というセレブ的な感覚もどこかにあるのだろうと思っていました。
最近、もし終戦時にGHQが皇室を廃止していたら今ごろどうなっていたのだろうと、犬養道子さんが「天皇制は必要」と半世紀以上前に書いていたことが身にしみるようになりました。
自由と民主というのは株主経済においてであり、憧れの国は帝国主義や植民地主義が姿を変えただけでずっと他国に侵攻し続けてきたことがはっきりしてきましたからね。
皇室がなかったら、今ごろ日本も「ちょっとした気晴らし」で片手で戦争を始め、片手で株価操作する国家元首が出現していたことでしょう。
終戦直後にフルブライト奨学金で渡米した犬養さんは、どこかアメリカに危うさを感じたのではないか、あるいは犬養元首相のそばで「政治や経済」の動きを見て何か重なるものがあったのではないか、そんな想像をしました。
それで、アメリカではなくヨーロッパへ向かったのではないかと、最近になって当時の雰囲気を理解できるような気がしてきました。
*明治から大正時代生まれの皇族に、こんな考えもあった*
犬養道子さんは1921(大正10)年生まれですが、この時代の皇族方にはどんな考え方があったのだろうと思っていたら、ちょうど「『愛子天皇』を望む声が消えない本当の理由・・・80年前に『女帝』を認めなけれなならなぬ』と書き残した皇族の予言」(2026年5月1日、PRESIDENT Online)という記事がありました。
1915(大正4)年生まれの三笠宮崇仁さまが昭和21年にまとめられた考えが紹介されていました。
今や婦人代議士も出るし将来女の大臣が出るのは必定であつて内閣総理大臣にも女子がたまにはなる様な時代になり、一方今後男女共学の教育を受けた女子皇族が母となつて教育された女子皇族の時代になれば女子皇族の個性も男子皇族とだんだん接近して来るであらうからその時代になれば今一応女帝の問題も再検討せられて然るべきかと考へられる。
この頃の庶民はまだガチガチに「長男が家を継ぐ」「男の子を産まなければ」という雰囲気でしょうに、むしろ皇族にもこんな先見の明を持つ方もいらっしゃったのですね。
もうお一人、1911(明治44)年生まれの高松宮妃喜久子さまは、愛子さまが誕生された時に喜びの歌を詠まれ、そして「『二太郎』への期待が雅子妃殿下に過度の心理的負担をおかけするようなことがあってはなりません」と書かれていたそうです。
なんと勇気のあるご発言でしょう。
このような考え方も、大正デモクラシーの時代の雰囲気でしょうか。
英国に女王が誕生したことも影響したでしょうか。
*より普遍的なとらえかたは何か*
皇族というと特権階級というとらえかたになりやすいのですが、犬養道子さんの本で知ったノブレス・オブリージュの「特権はそれを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべき」ということを叩き込まれてきた人こそが、天皇に相応しいのではないかと。
「男系男子」にこだわる政治家の方が閨閥で身内を固め、そして男性議員が死去すると妻がその地盤で議員を引き継ぐという、なんだか時代錯誤も甚だしいことをしていますからね。
正直なところ、古臭さとカビ臭さが感じられて来るほど。
男性でも女性でも、社会の失敗から目をそらさずに国を治める帝王学を身につけた人であることが大事ですね、権謀術数に長けていることではなく。
明治から大正生まれの皇族の方々の考えのほうに普遍性があるように思いましたので、記録しておきましょう。
「記録のあれこれ」まとめはこちら。
犬養道子さんのまとめはこちら。
失敗とかリスクのまとめはこちら。
天皇制のまとめはこちら。