また寄り道をしてしまいましたが、昨年11月の遠出の記録の続きです。
3日目は小田川を離れて、広島の東端を流れる芦田川を訪ねる計画です。
現代の地図では「小田川を離れて芦田川水系へ」となるのですが、かつては小田川の西派川が芦田川の支流の高屋川に流れ込んでいた可能性があるようです。
芦田川の河口堰らしい場所を地図で見つけたことが計画のきっかけでしたが、海岸線を走るバス路線があるので足を伸ばしてみることにしました。
この時点では「鞆」をなんと読むのかわからず、検索して「とも」と読むことを知りました。どうやら終点に城跡もあるし、仙酔島を結ぶ渡船もあるし、是非この「鞆(とも)」の街を歩いてみようということになりました。
井原線からJR福塩線に乗り換えて、2022年に歩いた懐かしい福山上水と福山城を眺めながら福山駅に到着し、そこから「トモテツバス」に乗りました。
「トモテツ」は鉄道会社だったのかと思ったのですが、歴史を確認しないままでした。鞆鉄道によると、1910(明治43)年に軽便鉄道として鞆港を結び、1953(昭和29)に廃止になった路線でした。
ほんと、日本は各地の「鉄道のまち」によってできた国ですね。
「線路跡は広島県へ無償で寄付。道路拡幅用地となる」とありますから、あの芦田川右岸から海岸沿いに鞆の街へ続く快適な県道22号線が鉄道の跡だったようです。
*安国寺バス停へ*
8時ちょうどのバスに乗ると、通勤通学時間帯で満員になりました。海側を眺めるために狙っていた左側の席に無事に座れました。
「戦争で荒廃した街に潤いを与え、人々の心に安らぎをとりもどそう」と植えられたバラでしょうか、駅前のロータリーにも秋のバラが美しく咲いていました。
ゆったりと落ち着いた市街地を抜けて草戸大橋を渡ると、まっすぐ流れる芦田川沿いをバスが走ります。遠くに河口堰が見えました。
対岸の「川口町」「多治米町」という名前から、この辺りがかつての海岸線で干拓地になり、さらに沖合へと埋立地になった場所でしょうか。そんなことを考えながらゆったりと流れる川面を眺めていると、水呑(みのみ)で山沿いへと県道22号線が曲がりました。
切り通しのような場所を越えると、海が見えてきました。
遠くに小島が浮かぶ、瀬戸内海の風景です。
8時29分安国寺バス停で下車しました。
お天気なのに海風が冷たく、体力気力ともに削がれそうな寒さです。どこまで歩けるでしょうか。
*神社とお寺をつないで坂道を上ったり下ったりして鞆の浦へ*
ここからはお寺や神社をつないで歩くことにしました。地図では山際まで平地のように見えるのですが、バス停から100mほど先は山で斜面が見えています。半島の先端部ですからね。
突き当たりに見える灰色の大きな屋根瓦が備後安国寺のようです。そこまでの道沿いにもたくさんの古い民家が残っていました。
家の造りは岡山と似ているけれど、「備中」から「備後」にきたようです。
周囲の木々の紅葉とお寺をぐるりと囲む土塀が美しく、誰もいない静かな道です。
と、どなたかお掃除をしていらっしゃる方がいました。
右手の道から坂道を上ると、お寺の裏側に小さな公園がありベンチがありました。いくつかの史跡や記念樹の説明板に囲まれて座っていると、この街の歴史の中で「現代」なんてちっぽけな変化にすぎないような気がしてきました。
さあ、ここからはハイキングのような道で下を向いて歩きました。振り返ると畑の向こうに瀬戸内海が見えます。鉄筋コンクリート3階建ての団地があり、毎日海を眺められるのはうらやましいけど買い物や生活はちょっと大変そうですね。
さらにぐいぐいと坂道をのぼると渓谷のような場所に秋見神社がありました。地図では山からの水色の線がこの神社前から暗渠になっているようです。ここでも境内をお掃除している方がいらっしゃいました。
ここからは急坂で、山際に建つ渡守神社・八幡神社の美しい境内を眺めながら石畳を膝に力を入れて下ります。
途中でゆっくりと手押し車を押して歩く女性を追い越しました。母にそっくりです。
最近、こうした時に思わずぎゅっと抱きしめたくなることがあります。高齢者に対する憐憫ではなく、一人の人として精一杯生きてきたことへの敬愛とか、体調を崩すたびに不思議な「回復」を見せた父の矜持とか、存在そのものが奇跡なのだと両親の晩年を通して大きく気持ちが変化しました。
「この人はどんな人生を送ったのだろう」、道で出会う人に両親を重ねてしまうのでした。
両親とのさまざまな葛藤は薄れ、むしろどんな思いをして生きていたのか知らなさすぎたことに愕然としています。
*静かな寺町を海へ*
さて、ようやく緩やかな坂道になり南へと曲がると、「國幣小社沼名前神社」と石柱がありますがマップにはない名前です。山極まである参道に大きな社殿が見えます。どうやら渡守(わたす)神社が合祀されて現在は沼名前(ぬまなく)神社となったようです。
山を背景に美しい社殿です。
右手にお寺が続く石畳の道を歩いてみました。
「ささやき坂」とか「首塚」とか、説明板があちこちにあります。今日は時間に余裕があるので、一つ一つの前で読んでみました。
浄観寺の山門に猫がどっしりと座っていました。門番のような風情です。
海沿いへ緩やかに上り道になり、また下り坂になる分岐点に手押しポンプがありました。現役の井戸のようで、そばには小さな石の祠があります。海沿いの街では貴重な淡水だったことでしょう。
そこからは蛇行する道を選んでみました。
お肉屋さんとか、機械屋さんとか器屋さんとか、倉敷の街を思い出すような古い家々も残っています。
静かな通りを歩いていると蔵のような大きな建物がありました。「岡本家長屋門」と説明があり、「保命酒 本家醸造元」と書かれていました。
それぞれの小さな路地まで、どの通りもきれいに掃除が行き届いています。
ほとんど誰とも出会わないまま海辺の道に来ました。
海岸に白い壁、灰色の瓦屋根の美しい建物があります。近づいてみたらなんと警察でした。
かつての旧港でひなびた街なのだろうと思っていると、しだいにそぞろ歩きの人が増えてきました。
西側に建つ常夜灯のあたりから、ゆるやかな湾沿いに古い家が保存されている地域があり、知る人ぞ知る名所という感じの地域なのでしょうか。
最近は、あっという間に静かな街にたくさんの人が押しかけていく時代ですが、そこに住む人の生活に邪魔にならないようにこの街が続くといいなと思いながら、歴史民俗資料館へと向いました。
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