充実の3日間が無事に終わり、いよいよ最終日は吉備真備駅から総社駅まで小田川と高梁川の旧合流部のあたりを歩きます。
3泊すると我が家のように感じるホテルと訪問地ですが、名残惜しさの中で荷物を整理していると、おそらくまた外国人の受け入れのニュースがあったのでしょう。聞きながらこんなことをメモしていました。
移民を労働力として受け入れる国は、人口が増えれば平気で国民を移民や出稼ぎで海外へ出していく。
最近は「研修生」からあからさまに「移民」になりましたが、言葉は変われども「ヒトという労働資源」を移動させて利益を得る商売」ですからね。
子どもの頃にタコ部屋の話を恐怖に震えながら読んで「こんな酷い昔に生まれなくてよかった」し、日本は移民や出稼ぎをしなくて済む国になったと誇りに思ったのですけれどね。
時代は繰り返すというか、「都市への人口集中」とか「人手不足」は一世紀前と同じではありませんか。
ということは、こういう問題を解決されては困るひとがいるのでしょうね。
「ヒト」を使い回して利益を得ている人が。
そして「少子高齢化の問題」と30年以上も言い続けて、世代間の対立を煽る人たちが。
*3000万の人口で国土が造られてきた*
キー局のニュースは国政のことでさえ「東京地方の話題」に感じて、暗澹たる気持ちでチャンネルを変えると、宇佐神宮から豊後高田の美しい風景になりました。
宇佐神宮は八幡宮の総本社ですから農業の神様ですね。
そして豊後高田には日田の小ヶ瀬井路を造った廣瀬久兵衛による干拓地が周防灘沿岸にあり、いつか訪ねたいと思っているやり残した宿題です。
1800年代の江戸後期の日本の人口はわずか3100万人なのに、どうやって全国津々浦々に水路や田畑が整備されていったのでしょう。重機もない時代なのに。
各地を訪ねるたびに、「人口とは何か」を考えさせられます。
そして大正から昭和に入ると8000万人に「膨れ上がり」、土地を持つことができない次男や三男など東南アジアや中南米、あるいはハワイに労働力として出稼ぎや移民になったのですから、今の人口と比べても適正な人口とはなんだろう。
そしてたくさんの方々が戦死された終戦後でさえ、国策で移民を送り出していたのですから、「人口が足りない」ということはどういうことだろう。
*世界中で「ヒトを労働力として移動させることで利益を得る時代」へ*
1970年代には世界中の人口が増えすぎると警告されていたのに日本は1億人を超えて、ある時期から一転して「少子高齢化」が問題になりました。
さらに「高齢者も74歳まで現役」にされ、若い人が避けるような仕事をし続けているというのに、「人が足りない」といって海外からの移民を受け入れるというのはどういうことだろう。
という疑問が大きくなる毎日ですが、ある記事で「国際移住機関が日本に移民を促進するよう勧告した」らしい話が書かれていました。
国際移住機関かつては国際移住委員会と呼ばれ、私がインドシナ難民キャンプで働いた組織です。
人道的な活動をする組織と思っていたのですが、いつの間にか移民を促進することにも関わっていたとは浦島太郎の気分ですね。
世界中で「ヒトを動かすことで儲ける経済の仕組み」が出来上がってしまったということでしょうか。
片手で「労働力が足りない」としながら、片手ではこれから「ホワイトカラー」とやらの失業が増えると脅かす。
将来の生活に不安を抱える多くの「労働者」はこうしたニュースに右往左往させられ、そしてまた斡旋業が儲かる。
きっと、座っているだけでモノ、カネ、情報、ヒトを動かして泡銭を得ることを「生業」にしたい人が増えたのですね。
そんなあたりまで思いついたのですが、さあ、シュールな世界のことは忘れて、遠出の最後の日もまた昔の人たちが造り守ってくださった水路や田んぼを見て歩くことにしましょう。
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