米のあれこれ 156 戸沢村蔵岡地区の田植えのニュース

黒部川扇状地の散歩からちょっと寄り道です。

 

2023年に陸羽西線の代行バスで最上川沿いを走った時に「美しい!」と思った田んぼと鮭川と集落が、まさかその翌年の豪雨災害にあうとは思っていませんでした。2018年にも水害があって「輪中」が完成したばかりだったのに、被害は甚大だったようでその後も集団移転の可能性がニュースで時々伝えられていました。

 

あの美しい風景は今どうなっているのだろうと気になっていたら、田植えをしたというニュースがありました。

 

豪雨から2度目の春 集団移転に向けた準備が進む戸沢村蔵岡地区 地区を離れても前を向く住民たち

(2026年6月15日、山形放送)

シリーズ「時を越えて」です。

一昨年7月の豪雨で地区全体が浸水し、集団移転に向けた準備が進む戸沢村蔵岡地区。

被災からまもなく2年、多くが地区を離れて生活しながらも、共に前を向く住民たちの姿を追いました。

5月下旬、戸沢村蔵岡地区は田植えのシーズンを迎えました。

この日、田植えを行っていたのは、地区で長年稲作を続ける横山博さん(67)。

今年は合わせて6ヘクタールの田んぼで「つや姫」と「雪若丸」を栽培します。

横山博さん「蔵岡生まれ蔵岡育ち。何百年続いた先祖から農家。(農作業)を手伝わされて育ってきた。それがみんな当たり前だった。どこの家でも」

2年前の夏、突然一変した田園風景。そこから住民たちは困難を乗り越えながら共に一歩ずつ進んできました。

おととし7月、記録的な豪雨の影響で集落全体が浸水した蔵岡地区。

最上川からあふれ出た泥水は、田んぼにも押し寄せ、多くの稲が泥をかぶりました。

横山博さん「本当にあの時はどん底に落ちた。気持ち的には。全部だめになった。もういい。こんなところでやってられない。家もだめ、家財道具はだめ、農機具はだめ、全部だめだったから」

一度は農業を諦めかけた横山さん。それでも、続けることを決心した背景には、地区の住民たちからの後押しがありました。

横山博さん「やめないで一緒にやるべという声があったから。みんなの力を借りないととても私一人ではやっていけない。だからありがたい」

現在は村内の仮設住宅で避難生活を送っている横山さん。田んぼの様子を見に来ることが毎日の楽しみです。

横山さん「体力が続く限りやっていく。大変だけど楽しい。秋の収穫の喜びがあるからこれが楽しみ。生きる活力になっている」

おととしの水害を受け、戸沢村は蔵岡地区の住民に対し集団移転を提案。当地区に住んでいた69世帯すべてが同意しています。

集団移転に向けて調整が進む中、先月(5月)、村から住民に支払われる補償金の査定に向けた調査が全世帯で行われました。

現在も蔵岡地区で家族と暮らす横山雅夫さんの家は、新築してまだ4年ほど。

移転後はまた新たに家を建てる必要があり、補償がどれだけ支払われるかは重大な心配ごとです。

横山雅夫さん「同じくらいの規模の家を建てられるくらいの補償があるかどうか。子どもに借金を残すわけにはいかないので、その辺は結果待ちということになる」

村は、補償金の査定をことし10月までに完了させる予定です。

住民あいさつ「おはよう。ご苦労さん」

田植えも一段落した6月上旬、蔵岡地区の公民館に多くの姿がありました。年に一度、住民たちで行う地区の美化活動の日です。

久々に地区に集まった住民たち。色鮮やかな花の苗を植えながら、会話がはずみます。

中村健一さん「これは希望の種といって石川県から復興の証としてもらったヒマワリの種。これをみんなで植えましょう。蔵岡の復興を願って植えましょう」

地区に住んでいた子どもたちも作業を手伝います。

地区の子ども「どろどろ」「やばい。めっちゃ手袋どろどろになった」

地区を懐かしみながらも複雑な思いがこぼれます。

子ども「蔵岡にはいろんな思い出がある。ずっと遊んでたよね。自転車でここ集まっていろんな思い出がある。(みんなは今蔵岡地区に住んでいる?)今は分かれている。戻ってきたいけど。怖い。雨降ったらびびる。あれが起きるかもしれない」

水害から7月25日で2年。今も半数以上の世帯が地区を離れて暮らしています。

早坂修一さん(新庄市内で生活)「みんなの元気な顔を見ると本当に安心する。ふと思いますよ。いつまでこういう生活しなければいけないのかなと。でも自分一人じゃないしみんなが同じ境遇でみんなが頑張っているからやっぱり頑張らないと」

みんなが安心して生活できるその日まで。蔵岡地区の住民たちは前を向いて歩みを進めています。

 

集団移転は決まってもみんなで田んぼは続けるということもまた竹の節で、きっと全国の水田が健在の理由の一つですね。

 

そして農家の方々が花を大事にして幻想的な風景を作ってくださる理由も、すこし理解できたような気がしました。

花が好きだった祖父もまた、どん底に落ちるようなことを乗り越えたのでしょうか。

もう訊ねることもできないのですけれど。

 

最上川流域を歩きたいという無謀な計画もまだまだありますが、ここ最近は「こんな時期に」「こんな場所まで」と年中クマニュースが聞こえてくるので様子を見ていました。

 

今年1月に陸羽西線の運転が再開したようですし、マップで見ると「いきいき百年の里線のバス」というコミュニティバスが蔵岡地区を走っているようです。

稲穂が広がり、道端の花が美しい風景を見てみたいなあ。

 

 

*おまけ*

「復興の証」として種を贈るという、全国の田んぼの横のつながりもあるのですね。

いつかどこかでその花を見るでしょうか。

 

 

 

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