「Y染色体」と聞くと、2008年ごろに読み始めたニセ科学の議論をまず思い出します。
当時はヒトの社会というのは憑き物がつくようなことが起こるのだと、仕事上で悩んでいた頃でした。
20年ほどでまさかその「男系男子」への傾倒が日本中を覆ってしまったのかと、ここ半年ほどの急激な動きに無力感を感じるほどでした。
ところが、6月29日以来のコメントを読んでいると、そういう妄想に取り憑かれているのはごく一部なのになぜか社会を大きく動かしてしまっているように思えてきました。
*まずは「皇位継承問題」の経緯を読もう*
今年に入って「皇位継承問題」についての記事を読む機会が増えました。
何やらきな臭いのですが、なぜ先に愛子さまがいらっしゃるのに後から男児が生まれるとそちらへ皇位が継承されるのだろうといういち国民の疑問なんて何の力にもならなさそうな、権謀術数が渦巻き生馬の目を抜くと言われる永田町の世界でしょうか。
「女性の社会進出が急激に進んだ」といっても2000年代に女性車掌が出現したぐらいでも大進歩の社会ですしね。
最近、小泉政権下での皇位継承問題の議論を目にして、当時はほとんど関心を持っていなかったことを悔やんでいます。
Wikipediaの「皇位継承問題」を読みました。
愛子内親王誕生後、悠仁親王誕生前の時点であった平成16年(2004年)12月27日、政府は皇位継承問題について、皇室典範の改正(女性天皇および女系天皇を認めること)までを視野に入れて検討するための有識者による懇談会の設置を決める。翌平成17年(2005年)1月26日、小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(以下、「有識者会議」)を設置し議論を開始(吉川弘之座長)とした。この時の有識者会議の報告書では、女系天皇への道を拓くことが提唱された。
(強調は引用者による)
少なくとも2004年には政府内でもすでに「直系長子」への方向で「皇室典範の改正」へと動き始めていたということですね。
だから2000年代に「Y染色体」がネットで飛び交ったのでしょうか。
*「女性天皇への道を拓く皇室典範の改正」の議論が白紙撤回された*
ところが、安倍首相の時代に「白紙撤回」したようです。
翌年平成18年(2006年)の通常国会において、有識者会議での議論を基に、女系天皇への道を拓くことになる皇室典範の改正が議論される予定であった。しかし、同年2月、文仁親王妃紀子の第3子懐妊が発表され、皇位継承問題についての議論は先送りされる。同年9月6日、秋篠宮妃紀子が第1男子(1男2女のうち第3子)の悠仁親王を出産。これにより、皇位継承問題についての大前提が変わることとなった。同時期、小泉純一郎首相は自由民主党総裁の任期満了とともに退任し、後任の安倍晋三首相は「静かに慎重に議論していくことが大切だ」と述べ、有識者会議の報告書を基にした女系天皇の議論は完全に白紙撤回された。
(強調は引用者による)
3人目を欲しいと思ってもなかなかできずに10年以上空いて妊娠出産という話は時々あるので、当時はまあ前置胎盤という危険な状況で母子ともに無事だったことが何よりと思っていましたが、多少の違和感がありました。
心の中に封印しておいた方がよいような疑問でしたが、当時を振り返るとこう時系列の記録になるのかと思いました。
2004年(平成16年)からは皇室典範に関する有識者会議により、女性・女系天皇容認の議論が進む中、2006年(平成18年)2月7日、紀子妃の懐妊がスクープされる。その後2月25日に宮内庁から懐妊が正式発表された。
(Wikipedia「文仁親王妃紀子」「秋篠宮妃」)
偶然ご懐妊し偶然男児が生まれても、この時点で天皇系の「直系長子」の議論を白紙撤回する必要はなく備えておけばよかったのですけれどね。
生まれた時に暫定的に決まっても、成人した頃にふさわしいお人柄や能力を有していらっしゃるかその時点で決定すればすっきりするし、この渦中にお生まれになった若い皇族の皆さんも自分の存在が否定されるかのような議論に翻弄されなくて済んだことでしょう。
そして、そのほうが本家・分家の文化がまだ残る日本の社会でも支持されると思いますけれどね。
簡単なことを難しくする(権威化)には要注意ということでしょうか。
直系長子への皇室典範の改正への議論がかつてあり、それが可能なことなのだということは知ることができました。
さあ、次は2004年ごろの国会議員のWikipediaを読むことにしましょう。
当時「白紙撤回」に賛同した議員は誰で、どんな考え方や事情があったのでしょうか。
「つじつまのあれこれ」まとめはこちら。
失敗とかリスクのまとめはこちら。
天皇制のまとめはこちら。