2004年ごろはどんな政治活動をしていたのだろうとまずその議員のWikipediaを読みました。
2005年に郵政民営化法案では「法案否決の流れを作る」ような気骨のある政治家だったようです。その年に自民党が圧勝、小泉内閣になると賛成にまわり「親子二代の風見鶏」とまで批判されたと書かれています。
おそらく冷飯の時期があったのでしょうが、外務大臣に就任したのは2008年の麻生内閣だというあたりまで、私の頭の中の年表が少し正確になりました。
「親子二代」のWikipediaを読み込むのは大変だなあ、そうだ「祖父はどんな人だろう」と思ったらちゃんと祖父中曽根松五郎のWikipediaがありました。
世襲議員の家系図をたどって明治時代の雰囲気を知るのは大事ですからね。
*「政治家を目指すなら佐倉惣五郎のようになれ」
中曽根松五郎氏もまた、「郷土の先覚者」だったのでしょうか。
中曽根松五郎(なかそねまつごろう、1889年<明治22年>ー1969年<昭和44年>6月25日)は、日本の商人(材木商)。上信電鉄社長を務めた。旧名・貫一。
かなり大きな問屋のようで、政界とのつながりが必要で政治家一家になったのかと思ったら違いました。
関東有数の材木問屋「古久松」を営んだ。敷地は3ヘクタール(3万平方メートル)もあり、次男である中曽根康弘の学生時代には、働いている職人が150人、住み込みの女中が20人ぐらいは常時いたという。当初は康弘の政界入りに反対していたが、最終的には「政治家を目指すなら佐倉惣五郎のようになれ。」と言い政界入りを後押ししたという。
(強調は引用者による)
まだ中曽根元首相のWikipediaまでは読み込めていないのですが、「佐倉惣五郎」に俄然関心が沸きました。
*重税を取り立てられて暮らしが困窮していた領民救い、磔(はりつけ)にあった*
「佐倉惣五郎」のWikipediaもあり、「領主堀田氏の重税に苦しむ農民のために将軍への直訴を行い、処刑されたという義民伝説で知られるとありました。
「史実として確認できない」ようですが「伝承されることがら」にその当時の様子が書かれていました。
直訴と処刑
佐倉藩主堀田正信は新たに重税を取り立て、領民の暮らしは困窮した。全領の名主たちは郡奉行や国家老に重税の廃止を求めたが拒絶され、さらに江戸に出て江戸藩邸に訴えても(門訴)取り上げられず、惣代6人が老中に駕籠訴を行ったがこれも退けられた。このため惣五郎は1人で将軍に駕籠訴を行った。『地蔵堂通夜物語』では承応2年(1653年)とされた。上野寛永寺に参詣する四代将軍の徳川家綱に直訴したという。『堀田騒動記』では正保4年(1644年)とされており、将軍は三代徳川家光になる。直訴の結果、訴えは聞き届けられ、佐倉藩の領民は救われた。しかし、惣五郎夫妻は磔となり、男子4人も死罪となった。
働けど働けど、納めても納めても、苦しくなるばかりなのに、6年連続で過去最高の税収というニュースが流れる現代に重なって身につまされますね。
それにしても政治や経済に声をあげると処刑される時代には戻りたくないですね。
「政治家を目指すなら佐倉惣五郎のようになれ」と言った中曽根松五郎氏は、どんな人生だったのだろう。
そしてこういう「義民伝説」の広がりもまた明治時代を作り出していたのでしょうか。
伝承もまた庶民に与えられた記録のようなものですから、時の有力者によって書かれた歴史ではない「その時代の失敗」もまた掘り起こせますね。
市井の人の記憶や記録を侮ってはいけませんね。
しばらく政治家のWikipediaの行間にハマりそうです。
「行間を読む」まとめはこちら。
失敗とリスクのまとめはこちら。