行間を読む 270 「内陸型の黒部漁港」

「清水(しょうず)の里『生地』について」に書かれていた「全国的に珍しい、内陸型の黒部漁港」に、こういうことを知るのも散歩の醍醐味だと思いました。

 

地図を眺めるのが好きで川や水路や干拓地などを追っているうちに遠出の計画になっていきますが、漁港もその一つです。

マップの海岸線を拡大したり縮小したりしてたどっていくと、小さな湾に風や潮を避けて造ったのだろうと思われる「自然の良港」があちこちにあります。海岸線を網羅したいという無謀な計画も進行中です。

20代から行き来していた東南アジアの漁村や漁港への郷愁から漁港を歩きたいあわよくば漁港で魚を食べたい、そんな動機でしたが、しだいに漁港の立地も目に入るようになってきました。

 

 

*内陸型の漁港というのか*

 

有名な焼津港を訪ねようと地図を眺めた時、漁港は湾にあるというのは先入観で案外とまっすぐな海岸線にもあることを知りました。

今回は訪ねる時間がなかったのですが、西入善にある入善漁港も河口のそばのまっすぐな海岸線にあり、波よけの突堤が地図には描かれています。

 

対して、黒部漁港も黒部川左岸のまっすぐな海岸線にあるのですが、あの鹿島港や福井港のように海岸をくり抜いたかのように描かれています。

これを「内陸型」ということを、あの背戸川の遊歩道で知ることになりました。

 

いつ頃、どうやって建設したのでしょう。

 

 

*「漁港背後の水田を掘り上げ」て拡張*

 

Wikipediaに黒部漁港の概要と沿革がまとめられていました。

かつては生地港と呼ばれていて、川の河口およびその付近を漁港としていたが、1960年に一部拡張、1969年から1977年頃にかけて拡張された。結果、内陸側に泊地面積51,113.0㎡、航路面積4,710.0㎡の大きな漁港が誕生した。

港口を横断する際は、生地中橋か歩行者用の地下道を利用する。

私が小学生から高校生の頃にできた漁港のようです。

 

元は入善漁港のように河口付近にあったようですが、「沿革」には1926(大正15)年に調査を始め1932(昭和7)年着工、1937(昭和12)年に生地港として開港されたことが書かれています。

1935年12月11日および12月12日-高波と激しい潮流の為工事中の北防波堤の堤脚が洗い流されて決壊、傾斜し、港内外の水深に大変化が生じたため、のちに浪の実情に即して設計を変更することになった。

冬の富山湾の風浪に耐えられる漁港、すごいことですね。

 

そして1960年に生地漁港を一部拡張する際に、「これに伴い1961年に生地中橋を動力昇降式河道橋に架け替え」さらに「1982年に生地中橋を旋回式河道橋に架け変えた」とあります。

地下道が造られたのは、漁船が通過する間に橋を跳ね上げるからですね。

漁船が通行する時間帯を見てみたいものです。

 

そしてこの一行に目が惹きつけられました。

1969年度-1976年度-漁港背後の水田を掘り上げ、漁港を23,500㎡拡張。

あのあたりはかつて田んぼだったとは。ちょうど米あまりの時代に入る頃ですね。

どんな思いで、そしてどんな話し合いがあったことでしょう。

 

 

*「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」*

 

生地中橋のそばに掲げられていた「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」は初めて知ったのですが、Wikipediaに説明がありました。

2006年(平成18年)2月17日に水産庁によって選定された百選。

全国の漁村に残る歴史的・文化的に価値の高い施設や史跡などの文化遺産を公募により募集し、応募のあった350件から、地域固有の漁業文化や珍しい建築工法や形状などを基準として選定委員会により選定した。

 

リストにはない漁港もけっこう訪ねましたが、20年経っても静かに忍耐強く全国各地に漁港がたくさんあることに、ちょっと希望の光を感じました。

そして記録は大事ですからね、農業や治水のように正確にたくさんの歴史に出会うのがまた楽しみになってきました。

 

 

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