水のあれこれ 461 歴史とともに湧水を管理する

佐賀家の説明板と黒部川の大洪水の歴史から、目の前のゆったり蛇行する道沿いの落ち着いた街並みの「名水街道」がまた少し違って見えてきました。

さあ、どんな清水(しょず)があるのでしょう。

 

*絹の清水*

 

最初は商店の横に増設したような小屋の「絹の清水」です。

小屋の中にはやはり4段に区切られた水槽があり、中と外に木のベンチもあります。

住民の方の生活の水であるとともに、憩いの場でもあるのでしょうか。

 

近くに説明板がありました。

絹の清水(きぬのしょうず)

願楽寺の近くにある絹の清水は、ここにあった豆腐屋(宇助(うすけ)ま)さんと関係があります。絹のような光沢があり、舌触りは絹のようにきめ細やかく滑らかでした。特によせ豆腐(あんかけ)は、精進料理には欠かせないものでした。この絹のような豆腐を生み出す清水という意味で名付けられたのです。毎年夏には、この清水でスイカやウリなどを冷やしたものです。

 

最近、むしょうに食べたくなるのが本当に美味しい豆腐です。

それは小学生の頃に住んだ山間部の小さな豆腐屋さんのごくごく普通の値段のもので、当時は鍋を持って買いに行ったのですが、本当においしかった思い出です。あれを越える味はないと思うのは、やはり水が美味しい地域だったからでしょうか。

 

*14世紀には湖があった*

 

古絵図とその解説も書かれていました。

古絵図にみる生地(いくじ)の清水(しょうず)

『田村家文書』の古絵図(享保16年、1731)によれば、生地村は町中橋(まちなかばし、現在の中橋)を境にして二つに分かれています。越之湖(こしのこ)は生地村の東南北の三面に接して東北に延びた湖水で、周囲6km、二津川(現在の二ツ屋川)と中津川(現在の中橋川)と大門川の三流となって海に注いでいました。嘉暦2年(1327)5月、黒部川と片貝川の大洪水のために埋没してしまいました。この古絵図には越之湖の一部が舟つなぎ場として書かれています。また上町には「御前水」という清水があり越之湖へ流れ込んでいます。道路から海側では現在も清水は出ません。この街並みの地下を流れている伏流水が再び湧き出るのは、波打際や海底の斜面です

 

道路の反対側も住宅地が堤防の側まであるのですが、そこは清水が湧いてこない場所のようです。

この地での湧水を分け合い、水を管理する歴史はどんなことがあったのでしょう。

 

そしてこの説明で海岸から内側へ掘ったかのような「内陸型の黒漁港」と「周囲の水田を掘り下げて拡張」したこととつながりました。黒部漁港の東側が14世紀まで湖だったということでしょうか。

 

*「名水街道」を歩く*

 

ここから600mほどの道沿いにいくつも清水があるようです。

 

交差点の角の家に「殿様清水」の表示がありました。小屋の中へ入ると時計とちょっとセピア色になった湧水の写真が飾ってあります。

誰もいらっしゃらなくて、湧水をしばらくながめました。

 

少し歩くと「弘法の清水」がありました。路地の奥まったところで、住宅と住宅の間を繋いで屋根がつけられています。ここは湧水は蓋がつけられれていてステンレスの水槽、そして外の側溝へと流れていました。

壁に3本長い柄のついたデッキブラシがかけてあります。

 

少し離れたところにまた「弘法の清水」があります。

真っ黒な瓦屋根の美しい住宅とチューリップが美しく咲いています。木壁からでしょうか、木造の家の良い香りのする路地の奥にもう一つの弘法の清水がありました。

 

また清水の表示がありました。「神田(しんでん)の清水」で、一つ目のコンクリート製の水槽の真ん中からゴボゴボと音を立てて湧いている水が、長細い水槽へ流れ、外の側溝へと流れています。

しばらく水音に聴き入りました。

 

どの清水も周囲はゴミや砂さえなさそうなほど掃き清められ、通りもまたきれいに掃除が行き届いた街道でした。

 

まだいくつか清水があるのですが、最後の場所へ向かいましょう。

 

 

*「智慧乃湧水」*

 

3階建の大きな家がある田中邸の前を通り、前名寺の湧水へ向かいましょう。

3階は小さな物見台だそうで、北アルプスまで展望できると書かれていました。

路地の真正面にはまた立山連峰が浮き上がるように見え、猫が道を渡っていきました。

 

少し住宅が少なくなり、生地町(いくじちょう)のはずれのあたりでしょうか、前名寺天満宮があり、その脇の山門に「智慧乃湧水」と掲げられているのでその奥でしょうか。

どなたもいなさそうで勝手に入ってよいものか逡巡しましたが、湧水のための遠出ですし、ここを逃したら後悔するような気がしました。

 

中は庭園になっていて、都内とは1ヶ月違いで今、桃や桜の早春の風景です。

池のそばで、手入れをされている方々がいらっしゃいました。見学して大丈夫とのことで、池に近づきました。

音こそしなけれど、池の底から湧き上がっているのがわかります。

底から広がる池は透き通る清らかさです。

あの「もし一つだけ夢が叶うことがあれば終の住処にしたい」と思う、かつて住んだ家の裏手の湧水を見ているようで、泣きそうになりました。

 

掃除をされていた方にどこから来られたかと尋ねられたので、湧水を見にきたこと、あまりの美しい街に感激していることなど想いがあふれてきてたくさんしゃべってしまいました。ふだんはツンデレなのですけれど。

 

その方は静かに聴いてくださり、「そんなに喜んでくれると整備しがいがあります」とおっしゃられ、私もこうした掃き清める仕事を人生の最後にしてみたいという想いがまた強くなったのでした。

 

心が洗われる、まさにこういうときに使う言葉だと思いながらお礼を伝えて山門を出ました。

近くに大きな案内板があり、「水と歴史の町清水の里の生地へようこそ」とありました。

 

 

かつて津波で被災した住民が「生まれた地に帰ること」という願いを込めて「生地」という地名になったことをあとで知りましたが、本当にそう思いたくなる場所でした。

 

 

 

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