水のあれこれ 462 「片貝川の農業水循環」

帰宅したらゆっくり読もうと撮っておいた東山円筒分水槽のそばにあった案内板は、簡潔でいて「ああ、そういうことだったのか」と全体像がわかるものでした。

文化庁の事業により設置されたようです。

 

   片貝(かたかい)川の農業水循環

 

円筒分水槽は、水争い解消のため片貝川の水を公平に分配するシステムのひとつです。

バラバラだった用水の取水口を黒谷頭首工(くろだにとうしゅこう)にまとめました。

水は発電に使ったのち、東山と全く異なる姿の貝田新円筒分水槽へ。ここで左岸と右岸に分水され、右岸用の水は片貝川の下を通してここで三方向に分けられて扇状地の耕地を潤しています。

     魚津市教育委員会

     とやまの文化遺産魅力発信事業実行委員会

濁点があるかないかといった正確な地名を知るのが難しい日本語ですから、地名にふりがながあるのはほんと助かりますね。

そして分水工は分水槽という呼び名があることも知りました。

 

 

地図で確認すると、左岸の貝田新分水槽から約3.6kmほど上流に黒谷頭首工があり、その少し上流に片貝第一発電所があるようで、その水が水路を流れていたことがわかりました。

そして、こちらの東山分水槽の方が大きく見えたのですが、むしろ貝田新分水槽から送水されているシステムだったようです。

 

そしてエメラルドグリーンの美しい片貝川の下に、水路が通っているとは。だから両岸に円筒分水工が対称にあるのだとわかりました。

 

 

*水の歳時記や歴史にいざなわれる*

 

案内板には6枚の写真と説明もありました。

冬が終わり、水田に水が張られる頃の東山円筒分水槽は、春の柔らかい光に一層輝いて見えます。向こうに広がる耕作地に向け、決められた量の水が正確に流れていきます。

水田に水が張られる前、溜まった砂を取り除くため水を止めてしまうことがあります。でもがっかりしないでください。滅多に見ることのできない光景です。

槽の深さは大人の肩ぐらいでしょうか。中に入って作業をしている写真があります。

円筒分水工の季節ごとの管理、想像したことがありませんでした。

 

貝田新分水槽は、片貝川の対岸の東山分水槽と同時に建設された兄弟分ですが、まるで様子が異なります。黒谷頭首工から片貝谷発電所を経た水が、コンコンと湧き出して溢れる様子は見ていて飽きません。

黒谷頭首工は、片貝川から用水路へ用水を取水し、片貝川扇状地の農地に安定的に水を供給しています。現在の堰堤は昭和30年に建設された堰堤の老朽化により、昭和51年に改修されたものです。

黒谷頭首工のそばに「片貝の 河の瀬清く 行く水の 絶ゆることなく あり通ひ見む」の万葉歌碑があります。大伴家持が現在の6月中旬に詠んだ句です。

片貝川の上流に龍石(蛇石)があります。片貝川水系の農業と電力事業の守護神として祀られています。付近には龍石祠があり、洞杉(どうすぎ)という神秘的な姿のスギを見ることができます。

 

1本の川の流れから、その生活や歴史へと興味が尽きなくなりますね

 

 

*片貝川の水争いを乗り越える*

 

黒谷頭首工ができた背景を知りたいと思ったら、魚津市観光案内公式サイトの「うおっ!な魚津旅情報@北陸・魚津 魚津ライブラリ」に書かれていました。

 

片貝川は急流河川として名高く、その流域は豪雨時には水害、夏期には深刻な水不足に悩まされ、水争いが絶えませんでした。水争いを解決するため、沢山あった取水口を一ヶ所にまとめ、左岸には貝田新円筒分水槽、右岸には東山円筒分水槽を作り、片貝川の川底にヒューム管を埋めて2つの分水槽をつなぎました。

この事業は、昭和13年に黒谷地区に取り入れ口(黒谷頭首工)を設置、戦争により工事は一時中断しましたが、昭和25年に再開し5ヶ年でこれらの農業水利施設を完成させました。

用水路の改修を目的とし、黒谷地先・片貝第一発電所放水口より受けて黒谷頭首工の取水と合流、発電併用導水路トンネルを経て貝田新地内で左岸及び右岸の各用水へ公平に分水されるようになりました。

 

あの日、歩いたこれから田植えを待つ美しい水鏡の風景は、水争いを克服した歴史によるものだったようです。

 

地図を見直すと、魚津市のコミュニティバスがこの黒部頭首工よりもさらに上流の地域まで通っているようです。

扇状地の扇頂部を歩いて満足した散歩でしたが、扇頂部よりもさらに上流を見てみたくなりました。

困りましたね。

 

 

*おまけ*

ヒューム管を初めて知りました。「川の下に川」「水路の下に水路」にもまた気が遠くなるような試行錯誤がありそうですね。

 

 

 

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