常西合口用水沿いの遊歩道は美しくそして歴史の説明もあって、水面を眺めながらさまざまな思いがあふれてくる道でした。
計画の段階では知らなかった場所に出会えるのが、散歩の醍醐味ですね。
あっという間の2kmで、目指す殿様林の大きな松が近づいてきました。このあたりで水路は緩やかに蛇行しています。
常願寺川の土手と用水路にはさまれた場所に小さな畑があり、何かを植えた直後のようです。
紅白の梅と水仙が土手の緑と空の青さに映えています。鶯の鳴き声がするのどかな道をさらに歩くと、園内に小さな水路と木のベンチもある公園になっていました。ずっと座っていたいような場所ですが、先を急ぎましょう。
ここの常西合口用水路の上に架かっている橋は真っ黒な瓦が乗ったデザインで、エメラルドグリーンの用水路の水と公園の松林によく似合っていました。
富山の用水路はほんと美しいなあと思いながら、ここで常西合口用水から離れて水田地帯を歩きます。
*太田用水が潤す地域を歩く*
立山連峰は厚い雲の中ですが、青空がだいぶ広がってきました。
常願寺川左岸の水田地帯が緩やかな段になりながら、扇状地の下の方まで続くダイナミックな風景です。
交差点の近くに「雷鳥大橋消雪ポンプ盤」と表示された施設がありました。
消雪のための設備にも用水の水が使われているのでしょうか。
常願寺川にかかるその雷鳥大橋からの道は幹線道路のようで、大型車がひっきりなしに通っています。その道へと入るとなんと白線を引いた歩道だけで、たしかにiPhoneのマップを見直すと灰色の歩道の表示がありません。
「歩く人を想定していない道」なんて、人類始まって以来たかだか半世紀ほどの驚異的な変化じゃあないかしら。
そんなことを考えても歩いている私が悪いわけで、車が近づくと立ち止まって先に行ってもらい冷や汗をかきながら500mほどを歩きました。
ようやく脇道に入ると、そこは幹線導水路の整備道のようです。
途中、分水路があり「太田用水」と表示があったことをメモしていたのですが、記録をまとめながら写真を見直してわかりました。
常西合口用水沿いの「太田閘門」の対岸にまっすぐ分水路があったのが太田用水で、この導水路と交差しているようです。
さらに地図で太田用水を追っていくと、地鉄不二越・上滝線上堀(かみほり)駅のあたりから「太田川」になって北西へと流れて最後は布施町で神通川へ合流しています。
地名の「堀」は太田用水を示しているのでしょうか。
検索すると「1665年(寛文5年)の記録にも名が残るほど古い歴史がある」とAiが教えてくれました。玉川上水(1663年)と同年代ですね。
*遠く能登半島が見える?*
その幹線導水路は常願寺川からの導水路ではなく、常願寺川へ流れ込んでいるようです。
常西合口用水からの太田用水と交差している場所から50mほどで暗渠になっているので、どこから取水されどれだけの地域を網羅しているのか、全く想像もつかない流れです。
暗渠の手前でもうひとつ分水されているのが、千俵用水のようです。
ここから目指す大庄駅までの水田地帯を潤している用水路でしょうか。
県道179号線の交差点を渡って農道へと入ると、うってかわって静寂な道になりました。田んぼへ水が入る音だけが聞こえています。
扇状地を緩やかに下る道で、風景をさえぎるものがほとんどない広い水田地帯にところどころ大きな屋敷林があって散居村の雰囲気です。
そのさらに遠くにうっすらと青く島影のように見えるのは、もしかして能登半島でしょうか。あの信濃川左岸の上堰潟公園から佐渡が見えたような景色です。
大きな河川がつくり出した地形なら、遠く離れた場所が見えそうですね。
*千俵用水が潤す地域の石碑*
青空が映る水鏡を眺め、畦道のたんぽぽやつくしや草花を眺め、水音に癒されながら歩いていると、ポツリと濃い紫色のスミレが一株だけ咲いていました。
そういえばこの日は初めて見るスミレです。
不思議な花ですね。どこからこの一株は来たのでしょう。
なんだかまた元気になり歩いていると、「育苗日数の目安は19日間 灌水は朝たっぷり しっかり換気」という立て札が田んぼの脇にありました。
灌水は想像できるけれど、田んぼの「換気」ってなんなのでしょう。知らないことばかりです。
こうしたこと一つとっても、観察と「農業日記」に導かれた知識の標準化と技術でしょうか。
さあ、あと少しで大庄駅です。歩き疲れてきましたが、もうひと頑張りです。
と、小学校の先に大きな石碑が見えました。
建碑のことば
当事業地域は大山町北部と富山市の境界部に位し、常願寺川、熊野川に用水源を求める五四三ヘクタールからなる広大な沃野で、吾々祖先の営々たる努力と幾多の試練を経て築かれた農地を近年のめざましい社会経済情勢の発展に対応すべく農業基盤整備を必要とするに至り地区民総蹶起し、あらゆる諸問題をのり越え国県町並びに関係方面の御指導と御援助のもと、ここに歴史的な圃場整備事業が完成した。よって、この美田の業績を共々に喜び限りなき感激を永久にとどめ無窮の繁栄を記念し、この碑を建立する
昭和五十五年五月 大山町大庄土地改良区
熊野川はどこだろうと地図を見ると、あの横江頭首工があるあたりで山一つを隔てて常願寺川に並走するようにこの熊野川が流れ、そして上滝地区のあたりから扇状地の山裾沿いに流れて最後は神通川へ流れ込むようです。
常願寺川ばかりに目を奪われていましたが、すぐ近くに災害が多かったもうひとつの急流河川がありそれが別の水系だったとは。
この「祖先の営々たる努力と幾多の試練」、その行間にはどのような歴史があったことでしょう。
まさに美田を眺めながらの散歩にふさわしい石碑と出会いました。
「散歩をする」まとめはこちら。
スミレのまとめはこちら。