牛ヶ首用水を歩いた記録を書くために、もう一度地図を眺めました。
あれ?たしか2020年に牛ヶ首用水を見つけたのはマップにその名が表示されていたからだったはずなのに、現在のマップには神通川を渡る高山線の橋梁のそばからの水色の線には名称がありません。
昨年から全国津々浦々の用水路名がマップに表示され始めたというのに、消えてしまうこともあるのでしょうか。それともここが牛ヶ首用水だと勘違いしていたのだろうかと、その記憶のいい加減さに冷や汗が出ました。
*神通第三堰堤から取水*
「水土里ネット 牛ヶ首用水」を読んでみると、現在は高山線の橋梁よりさらに5kmぐらい上流にある神通第三堰堤から取水していることがわかりました。
たしか高山本線で山あいからふわっと目の前が開けるように抜け出た記憶があり、そのあたりのようです。
そのサイトの地図をみると、高山線の橋梁を越えた後に薄島発電所、成子第一・第二発電所・五平是(ごへいじょう)発電所・四津屋発電所・下井沢発電所があるようです。
たしかにマップでも、水色の水路の幅が広くなって何か施設がある場所が描かれています。現代の牛ヶ首用水は、発電にも利用されているのですね。
神通川第三ダムを読むと、北陸電力によって1955(昭和30)年につくられたようです。
神通川左岸と井田川右岸にはさまれた水田地帯を北西へと流れ、井田川と山田川をそれぞれ横断サイフォンで越えた後、北陸自動車道を貫くように流れています。そのあたりが、安田城跡のある地域で、さらに呉羽山に沿って流れながら神通川左岸の河口付近まで用水網が続いています。
農業用水からさらに発電へ、すごい変化が私が生まれる数年ぐらい前に起きていたようです。
*神通川から取水し始めたのはいつ頃だろう*
コトバンクにこんな説明がありました。
富山市呉羽(くれは)丘陵東麓(とうろく)から北へ射水(いみず)平野東部を灌漑する用水。旧婦負(ねい)郡北部と旧射水郡東部一帯は古来水不足で干害にあうことが多かった。そのため、1624年(寛永1)加賀藩の工事として着工、1633年(寛永10)に完成。難工事で用水名は牛の首を祀って無事を得たいという故事にちなんでつけられた。この用水で2万5000石の開田と新しい村々ができた。その後富山藩領となり、井田川沿岸の新田開発のため水不足となったので、取水口を神通川に求め、富山市婦中(ふちゅう)町成子(なるこ)から取水した。現在は神通川第三ダムから取水する。富山市に牛ヶ首神社がある。
(「日本大百科全書」、強調は引用者による)
地図では高山線の橋梁のすぐから「神通川水辺プラザ」という緑地帯が蛇行しながら神通川の左岸にありますが、旧河道でしょうか。そこに「成子」という地名があるので、そこから神通川まで牛ヶ首用水を延長したようです。
こちらの記事で引用した「四万石の水田を築いた『古江(こうえ)』と『新江(しんえ)』の中の、「1654年(承応3年)に完成した『新江』]だったのだと、ようやく全体像が見えました。
そして地図で見つけたのは、やはりここだったと確信しました。
それにしても、玉川上水が1653年(承応2年)ですから、ほんとこの時代は各地で大きな用水路開削が進められていたのですね。
いつかこのあたりも歩いてみたくなりました。困りましたね。
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