今日のタイトルは、NHKが12月上旬に放送した 「ノー・デイレクション・ホーム」の中に出て来た言葉です。
ボブ・デイランがどのようなことからその言葉を使ったのか、録画を削除してしまったので確認できないのですが、似たようなことをこのところ考えていたので、けっこう本質的なことをついた感覚かもしれないと印象に残ったのでした。
大晦日になって失敗とかリスクとかのまとめを作ったのですが、「リスク」という言葉も1980年代にはまだごく普通の英和辞典には載っていなかったことはこちらの記事に書きました。
わずか30年ほどで、「リスク」は馴染みのある言葉になりました。
あるいは、インシデントという言葉の示す範囲も広く、Wikipediaでは「実際にはインシデントの意味に合致する日本語は存在しない」とあるように、最初はイメージした符号のような形で使われ、次第にその言葉が指し示すものがより明確にされていくのでしょうか。
社会の変化に伴って、定義が拡大されることもあることでしょう。
時々、その言葉の定義は何かと立ち止まってみないと、リスクやインシデントと言う言葉を日常業務で意識する側とそうでない側にすれ違いが起きているのではないか、というようなことが起こってしまうのかもしれません。
「産後ケア」という言葉の意味や使われ方でさえ、いまだにあいまいなように。
何か強いメッセージ性を持った言葉のほうがわかりやすいのかもしれませんが、それはどういう意味なのか言葉が示す実態が不明確なままのものほうが好まれ広がりやすいことを言葉の意味を問い直すで書きました。
新たにインパクトのある言葉を流行させることが、「クリエイティブ」という風潮があるのでしょうか。
ところが、現実の問題の解決から遠ざけることになったり、世の中が求めているわけではない方向へとずれてしまうのではないか。
そんなことが多いような気がします。
「インシデントを認め、報告する」歴史の中で、1974年の事故の後、航空管制システムが「パイロットと管制官の言葉の解釈の違いをなくすために半年ごとに言葉の定義、言葉の解釈、基本的な用語の解釈」を発刊するようになったことが書かれています。
10年後にも、意味を深めながら変化し、存在し続ける言葉であるのか。
その言葉が生まれた歴史はどのようなものだったのか。
そのあたりを見極められるようになりたいものです。
「10年ひとむかし」まとめはこちら。