2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧
昨年12月初旬に、利根大堰の周囲を見て歩くために日の出前に家を出ました。最初の目的地は館林なので近いのですが、便数が少ないコミュニティバスをいくつか利用する計画なのでこの時間になりました。 家を出て少し歩くだけで、マスクの中が結露し始めました…
昨年11月に入って報道される感染者数がゆるやかに増加するとともに、通院中の妊婦さんやご家族の発熱や発症の電話が増えてきました。 ただ「感染者数」の把握方法が変わったので、おそらくこの何倍かはいるだろうとおおよその波を肌で感じるしかないですね。…
2018年に利根大堰を訪ねたときに、そこから見沼代用水と武蔵水路そして埼玉用水が分水されていることを知りました。 利根川右岸側の埼玉から東京の水田地帯は、江戸時代の利根川東遷事業から川の流れを変え、そして大きな用水路や溜池を作ることでできた歴史…
時々目にした「経世済民」という言葉ですが、Wikipediaの「経世済民」の「語義の変遷」を読んで、経済という言葉はいつ頃できたのかという疑問につながりました。 古典的用法としての「経世済民」「経済」 近世以前の日本では、「経世済民」あるいは「経国済…
3年ほど前に琵琶湖の水害から守るために「大日山を切り取る」という発想があったことでその名を意識するようになりましたが、ブログ内を検索すると父が修行したかもしれないお寺を探し歩いていた時の御本尊として行基作の聖観音菩薩立像がある伊豆の弘道寺で…
2ヶ月半遅れでしたが、昨年11月のただひたすら奈良から和歌山、そして大阪南部の川やため池をみる散歩の記録をブログに残すことが終わりました。 そのタイミングで散歩の膨大なメモ類を整理するのですが、なぜか消去し忘れていた1年前のメモがiPhoneに残って…
とり天うどんで力が出てきました。JR東貝塚駅に向かって歩くと、駅の周辺には水田がありました。唐間池と堂の下池の水はここへつながっているのでしょうか。 JR阪和線で3つ目の久米田駅で下車しました。 地図を眺めているとここから1kmほど南東に大きな溜池…
再び行基さんがつくった水路沿いに歩いて水間駅に戻って列車に乗り、途中の「清児(せちご)」駅で下車しました。 その駅の説明板に、また行基さんのエピソードが書かれていました。 ◇稚児塚(ちごづか) 奈良時代、僧行気が一羽の白鳥に導かれ現在の貝塚市…
最初の計画では水間寺を訪ねずに、そのまま駅から川沿いに北へと歩く予定でした。 西側の千石堀城址、東側には落合城址にはさまれた場所を流れる川のそばにはいくつも溜池があります。どんな場所なのだろうと気になったのでした。 ところが水間駅にあった行…
和歌山市内の水色の線を辿った散歩は、期せずしてさまざまな歴史を知る機会になりました。 市内だけでなく和歌山の川をもっと歩いてみたいと後ろ髪を引かれる思いですが、今回の3日目の計画がたくさんありますから和歌山駅に向かいました。 2019年に紀伊半島…
地図で見つけた出水という場所を実際に歩き、大門川の旧河道が蛇行してすり鉢のような高低差があることを実感しました。 そして水田が今も残っていることに、もう少しこの辺りの歴史を知りたくなり大門川で検索したところ、「大門川の"大門”ってどこ?」とい…
和歌山の駅前で一泊しました。 今回の散歩の3日目は大阪の貝塚周辺を歩く予定でその前に和歌山港まで行って紀の川の河口を眺める計画ですが、さらにその前にもうひとつ見たいと思った場所があるので7時にはホテルをチェックアウトしました。 和歌山駅の東側3…
このところ1~2ヶ月に一度は、全国津々浦々へ、水田や川を見に泊まりがけで遠出をしています。 老後への貯金は停滞していますが、節約しながら散歩の費用を捻出し、まあまあなんとか暮らしています。 おそらく両親を無事に見送って、それまで面会のための交通…
和歌川のそばを歩いてみたいと思った理由の一つに、和歌山城の東側で紀の川と繋がっている川がどちらへ流れるのかこの目で確かめたいというニッチなものがありました。残念ながら時間切れと疲労でかないませんでしたが、検索したら答えがありました。 なんと…
南方熊楠(みなみかたくまぐす)の生家という酒蔵では、夕方まだ働く人の姿がありました。 名前は知っているけれどどんな人だったのかはうろ覚えで、しかも正確な名前の読み方さえ危うい程度でした。 この日はお昼も食べそびれて空腹も限界です。和歌山駅の…
朝から何も食べていないので、お腹が空きました。和歌浦を眺めながら和歌山駅で買ったおにぎりを食べたかったのですが、バッグに手をかけるだけでどこからかトンビがすぐに頭上を旋回し始めるのが海のそばですね。 空腹のまま疲れた足を引きずるように歩き、…
海岸沿いにもう一つ説明板がありました。 和歌の浦 和歌の浦は万葉の家人、山部赤人(やまべのあかひと)の歌一首によって全国にその名を知られた。 若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たず)鳴き渡る 神亀元年(七二四)聖武天皇は始(*マ…
紀の川沿いに和歌山に入ると、日の光が明るく感じました。 1990年代半ばの3月に初めて和歌山を訪ねたのは徳島港からフェリーでしたがあの時にも、そして2019年2月に紀伊半島をぐるりと列車で回った時にも感じた明るさです。 最初に訪ねた時には和歌山港から…
数年前に葬儀にでも行かれるかと思うほど全身が真っ黒の服に身を包む人が増えたことを書きました。 最近はさらにその度合いが増して、この冬は電車から一斉に吐き出される人の中で黒っぽい服でない人の方がごくわずかに見えます。 どうしてこんなに黒を好む…
奈良県の吉野川を見に行ったことで、最近「吉」という漢字をブログに書き込む機会が増えました。 日頃から出生証明書を記載する仕事なので、この場合の吉という漢字は「下の横棒が長い方だろうか、短い方だろうか」と気になってしまいます。 苗字だと両方が…
1990年代に徳島の木頭村を村井さんたちと訪ねた帰りに、私はフェリーで和歌山へ出て帰京しました。 当時那賀(なか)川上流の木頭村もダム問題がありました。 那賀川沿いに村井さんと仲間で上流へと向かい、大きな杉林と美しい支流が流れる静かな村に一泊し…
吉野川上流の両岸の水分神社を訪ねることができ、大和上市駅を10時41分発の近鉄線の普通列車で吉野口駅に戻りました。 吉野口駅のすぐ西側の斜面は大きく削られていて、何かの採掘現場のようです。周囲の静かな山の紅葉と美しい晩秋の青空に、その斜面の土の…
吉野川に沿って近鉄線の特急がさらに山へと入っていきました。 地図で見ると大淀町の中心部のある下市口駅のあたりは両岸が開けているように見えるのですが、実際には急斜面に街がありました。 上流はもっと斜面になるのだろうかと思っていると、高台にある…
2日目の朝は4時過ぎに目が覚めました。窓は平城宮跡の方向だったのですが、残念ながら低い階だったので目の前はビルに阻まれました。夜が明ける頃の風景は幻想的なことでしょう。 テレビをつけたら秋田から宮古への車窓紀行を放送していました。懐かしい角館…
Macのマップからまた忽然と川と湖沼そして海の名前が消えました。 川や潟をつないで散歩をしてその記録をブログにしている私としては死活問題ですし、そもそも地図の中といえども生活に密着している名称が忽然と消えるのは勘弁していただきたいところですね…
穴が開くほど日本各地の地図を眺めているので、もし白紙に日本を描けと言われたらけっこういい線をいけるのではないかと思っています。 ところがやはり実際に歩いてみると、なんだか違うと感じることがままあります。 とりわけ距離感が実際に歩いてみると全…
今回の散歩の1日目は奈良で宿泊しました。ホテルでテレビをつけると、NHK奈良放送局の「ならホリ」で木簡の魅力についての番組があり、直前に通過した平城宮跡が冒頭に映ったので見入ってしまいました。 「木簡」、最近郷土資料館を訪ねる機会が増えたのでよ…
近鉄大和朝倉駅を14時35分発の大阪上本町行きに乗りました。初めての駅は戸惑いますね。出発ホームを間違えて慌てて階段を昇り降りしてなんとか間に合いました。 さらに近鉄八木駅で乗り換えを間違えて引き返したので、予定よりも30分遅れになりました。日没…
美味しい三輪そうめんと親子丼で元気が出て、また歩き始めます。 地図を眺めて計画を立てていた時に、2年半前に歩いた大和川のさらに上流を歩いてみたいと思っていました。 近鉄長谷寺駅の近くで北の山中にダムがありそのあたりが大和川の水源地かと思ったら…
昨年12月20日から21日にかけての大雪で、長岡市では国道17号線で20kmも立ち往生しているというニュースがありました。 「国道17号線」と聞いただけで、その風景がすぐに浮かんできました。 ちょうど半年前の6月中旬、福島江用水を訪ねた時に歩いたばかりです…