生活のあれこれ 74 堤防に守られている江戸川区

都営新宿線東大島駅の手前で地上へと出ると広々とした風景の中、荒川と並行して流れる中川を渡り、船堀駅を過ぎるとまた地下へと入ります。

今回の散歩のスタートの瑞江(みずえ)駅に到着しました。

 

地上に出て、今回は瑞江駅西通りを北へと向かいました。

きっと平城京はこんな感じだったのではと思うほど、まっすぐの道が網の目のように通る平らな街がずっと続いています。どこかに田んぼや水路の痕跡はないかなときょろきょろしながら歩きましたが、わかりませんでした。

 

 

*「一度堤防が決壊してしまうと海面より低い地域が7割もある江戸川区」*

 

中学校の前に何か大きな説明板がありました。

 

堤防は、高波や津波、洪水からまちを守ります

 

 江戸川区は、かつて洪水や高潮、さらに大雨による水害を被ってきましたが、堤防や水門、下水道の整備により近年においては、大水害が防止されるようになりました。

しかし、豪雨による河川の増水で、一度堤防が決壊してしまうと海面より低い地域が7割もある江戸川区では、大洪水となってしまいます。

 

その「区内の横断面図」をみると、荒川と中川は地形的には低いのですが、その水面は河岸の住宅地よりも高い場所まであり、それを守るためにさらに高い堤防が描かれています。

電車の車窓からは、ゆったりと平地を流れているように見える荒川です。

 

それに対して、南側には新中川と旧江戸川が荒川や中川よりも高い位置に流れています。

まるで「荒川の河岸段丘の上の台地を流れる川」のように見えるのですが、荒川自体も放水路ですし、河岸段丘というよりはもともと旧江戸川が周囲より少し高い場所に人工的に開削された川(水路)だったからでしょうか。

現代の関東平野の「川」は、江戸時代の川の付け替えや新田開発で造られた水路の歴史がありますからね。

 

 

そして新中川、旧江戸川ともに沿岸の家の一階の屋根ぐらいの高さを流れ、それよりも高い堤防で守られていることが描かれていました。

 

もうひとつ、江戸川区全域の地図「区内の地勢」では、江戸川右岸に沿ったごく一部の地域のみ「高潮対策基準潮位以下の区域」として薄緑色に塗られ、それ以外は「満潮面以下の区域」の青と「干潮面以下の区域」の濃紺です。

これが「7割」の意味のようです。

 

「区内の地勢」での色分けについて、潮位と堤防の高さの説明がありました。

(緑色)   新中川の堤防の高さです A.P.+6.0m

    高潮については今井水門で守られています。

(ピンク色) 高潮対策の基準潮位 A.P.+5.1m

          昭和34年9月名古屋地方に最大の被害をもたらした伊勢湾台風と同程度の台風が最悪のコースで襲来した場合を想定した高潮の潮位です。

(黄色)   キティ台風の最高潮位 A.P.+3.15m

   昭和24年8月この台風により高潮を発生させ、区内に甚大な被害をもたらしました。

(水色)   大潮の満潮位 A.P.+2.10m 

    大潮とは潮の干満の大きい状態で、新月や満月の前後数日間のことです。

(青)    大潮の干潮位 A.P.+0m

 

A.P.(Arakawa Peilの略)とは隅田川の河口近く霊岸島のあった量水標の零位を基準とした水位表記で、明治6年荒川水系の水位を測るために設置されたものです。概ね A.P.±0は大潮の干潮位になります。

 この学校のグランドの高さは A.P+2.1mです。

 

あ、「A.P知ってる、リンド技師だ」と思ったら、それはY.P (Yedokawa Peil)、江戸川から利根川の水位標でした。なかなか知識が身につかないですね。

 

通学時にこの自分が住んでいる場所の説明板を目にした中学生の中から、将来防災に関心が広がる人がきっと出てくるでしょう。

 

 

 

*「江戸川区のこれまでの水害」*

 

堤防や川の水面よりも低い位置に家がある。

台地の上でほとんど生きてきた私には想像がつかないものでしたが、遠賀川(おんががわ)のような「天井川」を知ったのは、プラタモリの初期の頃の番組だったでしょうか。

 

ちょうど都内の川のそばを散歩し始めた頃で、サイフォンで水路と水路を交差させていることにも驚きましたが、江東区の竪川と大横川が交差する場所で、隣接する家の方が川面より低いことには驚きました。

運河と運河が直接交差する場所は、あの大量の水はどういう流れになっているのだろうということだけでも驚くのに、その大量の水が流れている場所の方が屋根のすぐ上を通過しているのです。

 

東京湾の沿岸部は地盤が低いのに、どうやってこの水を治めているのでしょう。

 

そんな場所なのに、あまり大きな水害は記憶にないので検索してみると、江戸川区の「これまでの水害」がありました。

江戸川区では下表のとおり、数多くの水害を受けています。なかでも昭和22年9月のカスリーン台風による洪水では、利根川の決壊により、流域の多くが浸水し、多くの人命・財産を失った歴史があります。

近年においては幸い堤防の決壊や堤防を超えるような洪水被害は起きていませんが、大洪水に対して必ずしも十分安全とは言い切れず、万が一、江戸川の堤防が決壊した場合、江戸川区はもとより、首都圏全体で約530平方キロメートル、世帯数は約80万世帯、人口約232万人の被害が予想されています。人口・資産・情報・交通機能が集積した首都圏に与えるダメージは計り知れないものがあります。

 

荒川や中川・新中川はもちろんのこと、利根川上流の洪水が江戸に流れ込むのを止めるための中条堤を必要とした関東平野でした。

カスリーン台風も、栗橋より少し上流の利根川の堤防の決壊によって江戸川区にも甚大な被害があったようです。

 

ちなみにその「これまでの水害」の年表は、「昭和56年10月 台風第24号(内水氾濫) 浸水戸数10,289世帯 被災者数31,289人」が最後の記録でした。

1981年ですからまもなく半世紀ですね。

やはり、治水や防災が驚異的に変化した時代だったようです。

 

 

「生活のあれこれ」まとめはこちら

失敗やリスクについてのまとめはこちら

カスリーン台風のまとめはこちら

 

 

 

 

 

 

散歩をする 585 埋立地とも違う微高地と親水公園を歩く

6月初旬、馬事公苑に出かけた1週間後の休みの日に、また思い立ってふらりと散歩に出かけました。

 

2024年12月に江戸川区の江戸川と新中川にはさまれた用水路、そして今年の2月には旧江戸川と荒川にはさまれた左近川親水緑道を歩きました。

 

江戸川区江東区は私が住む場所からは「遠いなあ」と感じていたので、ほとんど馴染みがない場所でした。

1980年代中頃に、そのころ少しずつ延伸していた都営地下鉄新宿線に乗って江戸川区のとある駅に降りたとき、まっすぐの道とただただ平地が続く風景に「やっぱり埋め立てでできた地域なのだ」と勘違いしていました。

埋立地葛西臨海公園ができたのが1989年でした。

 

20年ほど前から競泳観戦のために辰巳に通うようになり、運河のある生活に関心が出てきました。臨海部の急激な変化とは反対に、かつての風景の痕跡が気になるようになりました。

利根大堰からはるばる葛西用水を引きあるいは江戸崎〜霞ヶ浦〜利根川〜江戸川〜江戸という内陸運河があった時代とか、そのかつての用水路や運河の痕跡とか。

 

実際に歩いてみると、平らに見えるようでも案外と起伏がある地形です。

臨海部の寺社のない場所は埋立による新しい地域で、反対に寺社の残る地域は微高地で昔からの集落があり、埋立地との境界線なのだろうかと思っていたらそれも違うようです。

葛西地区はかつては陸地であり、多くの人々がその土地を共有していたが、地盤沈下が激しく水面下に水没したという歴史を知りました。

てっきり葛西臨海公園のあたりも遠浅の干潟をごみの最終処分地にして埋め立てたのだと思い込んでいたのですが、かつては人が生活していた場所だったようです。

 

地図を眺めていると、江戸川区江東区の沿岸部は道が複雑に蛇行している地域とまっすぐな道の地域があり、そこを水路や川が横切っています。

蛇行した道が多い地域は微高地でしょうか、そしてその間を流れるかつての用水路や運河が親水緑道として整備されている場所がたくさんあります。

 

まずはこの臨海部の親水公園や緑道を歩き尽くしてみたい、そんな無謀な計画が密かに進行中です。

 

ということで昨年12月に下車した瑞江駅を再び訪ね、今回は北側にある親水公園を目指してみました。

どんな風景や歴史に出会うでしょうか。

 

6月は1年でも一番日が長くなり始めるので、散歩に出かける気持ちの余裕があります。のんびりしていたら家を出たのが午後2時でしたが、日没までには歩き切ることができました。

散歩の記録が遅れに遅れてとうとう5ヶ月遅れになりましたが、しばらくこの記録が続きます。

 

 

 

「散歩をする」まとめはこちら

 

米のあれこれ 137 「農は 人類生存の基をなす営みである」

地図を眺めていたら「水田の碑」が表示されているのを見つけました。というか、以前そこを訪ねた時に実際に見た記憶があります。

小さな石碑まで掲載されるのですから、デジタルのマップの正確性はすごいですね。

 

それは遠出で訪ねた全国各地の水田地帯に建つ碑ではなく、井の頭線駒場東大前駅のケルネル田圃のそばにあります。

 

久しぶりに訪ねてみました。すっかり稲刈りは終わってしまっていましたが、稲の香りがしました。

田んぼよりも周囲の駒場野公園のほうが高くなっていて、典型的な谷津の地形にある小さな小さな田んぼです。

 

その田んぼを見下ろすような場所に石碑があります。以前も写真に納めた記憶があるのですが、今ほど散歩の記録魔ではなかったので消去したのでしょう。

 

 

   水田の碑      

駒場農学校の跡地 近代農学研究 農業教育発祥の地

 

 この水田は 明治十一年 ここ駒場野に開校した農学校の農場の一部でわが国最初の試験田 実習田として 近代日本の発展を支える淵源の一をなした

 農学校は いくたびか 学制の変更により 名称を変えて その歴史を継ぐ学校が この地で発展を重ねた

 その間この水田は 近代農学研究発祥の地にふさわしい沿革をたどり 国際的協力のもとに初めて 本邦近代農業の研究と教育とが進められ 幾多人材の輩出を見た

 本校は 東京農業専門学校附属中学校として 昭和二十二年開校以来右の流れを継いで

この水田を教育の場に活用する栄光に恵まれ 耕作を続けて 本年創立四十周年を迎えた

 そもそも 農は 人類生存の基をなす営みである 本校は この水田のもつ歴史的意味に想いを致し 幾多先輩の偉業を想起しつつ ここにこの碑を建立する

 なお 建立に際し 地元目黒区の理解と協力のあったことを録して 感謝の意を表する

   昭和六十二年  筑波大学附属駒場中高等学校

 

以前、この碑の前に立った時は、「駒場東大前」にある「進学校」の生徒さんが育てていることの方が印象に残ったのでした。

 

 

*「農は 人類生存の基をなす営みである」*

 

9年ぶりに改めて碑を読むと、「近代農学研究発祥」よりも以前の一世代に一干拓で陸地を広げてきた歴史世の中の混迷の中でも水路やため池を整備し、そして水不足や災害から田畑や集落を守るために全国あちこちの川を付け替え、そして洪水により田畑の地形が変るために正確な測量が必要など、ほんとうに気が遠くなるような過酷な歴史が思い浮かびます。

 

こちらの記事で紹介した文のように「明治期になったとたんに近代的進歩が始まったわけではなく」、それ以前からの社会に積み重なったものがあったからこそ、明治時代の驚異的な変化に対応できたのでしょう。

そして佐野常民氏が文明や進歩というのは(赤十字のような)組織がたちまちのうちに国内に根づき発展することと考えたように、普遍性のある方向へと良くなっていくための社会の土台があることかもしれません。

 

だからこそ経済的な農業を営み、過酷な労働から農民を解放することと考える人が生まれて、それぞれの地域の農業の問題を解決していき、あちこちのそうした先人の記録が残っている国なのだと。

 

「農は 人類生存の基をなす営みである」、「農は国の基なり」と同じく千数百年以上のこの国の社会の根幹なのだと、9年ぶりに読んだ「水田の碑」の行間が少し理解できたような気がしました。

 

そして水田は健在であり続けるだろうと、また少し希望の光が見えてきました。

 

 

「米のあれこれ」まとめはこちら

「お米を投機的に扱わないために」まとめはこちら

行基さんのまとめはこちら

伊能忠敬氏のまとめはこちら

生活とデジタルのまとめはこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめのまとめ

ひらがなで書くと呪文ぽいですね。

2012年1月17日から書き始めたブログが、いつの間にか4750記事を超えました。我ながらよくまあこんなに書くことがあるものだとびっくりです。

「こんなことを書いてみよう」と思うことがタイトルになり、どこまで続くかわからないけれど通し番号で続いているのですが、ある程度たまると「まとめ」て自分が何を書きたかったのか整理する形になりました。

たとえば最初に作ったのが「カンガルーケアを考える」というタイトルですが、2016年にそのまとめを作りました。

 

さらに続けていると、そのタイトルに収まらない「まとめ」が思い浮かぶようになりました。

それぞれの記事の方向性は違うけれど、こんなくくり方もあるかな、という感じ。

そうそう、数学で習った集合の図のようですね。あれはベン図というのですね。

 

「そのタイトルでのまとめ以外のまとめ」がだいぶ溜まってきたのですが、まとめたことも忘れてしまうことがあるので自分の覚書のための一覧にしてみることにしました。

 

「まとめのまとめ」はどこまで増えて、どこへ向かうでしょうか。

 

 

<2014年>

ネジバナのまとめ

野口智博氏の水泳の解説のまとめ

夜勤の記事のまとめ

<2015年>

孤独のグルメを観て考えたことのまとめ

<2016年>

新生児の「吸うこと」や「哺乳瓶」のまとめ

助産関係の出版のまとめ

<2017年>

「汚れたミルク」を観て考えたことのまとめ

無痛分娩のまとめ

地図のまとめ

液状乳児用ミルクのまとめ

災害関連の記事のまとめ

「子連れ」に関するまとめ

アイルランドのまとめ

失敗とかリスクのまとめ

<2018年>

正常と異常のまとめ

「スーパーの自動支払い機はお年寄りに過酷すぎる」かどうかのまとめ

アンチドーピングのまとめ

助産師の「歴史」のまとめのまとめ

動かないことのまとめ

聖書のまとめ

犬養道子さんのまとめ

<2020年>

新型コロナウイルス関連のまとめ

ヨハネス・デ・レーケのまとめ

<2021年>

ヒトの授乳と離乳の「ややこしい歴史」のまとめ

たばこのまとめ

ムルデルのまとめ

<2022年>

レジ袋とエコのまとめ

城と水のまとめ

碧海台地と明治用水のまとめ

訪ねた干拓資料館のまとめ

あの日(2022年7月8日)から考えたことのまとめ

マイナンバーとマイナンバーカードのまとめ

<2023年>

円筒分水工のまとめ

利根大堰と見沼代用水・武蔵水路・葛西用水路のまとめ

生活とデジタルのまとめ

ハケや崖線(がいせん)のまとめ

<2024年>

新幹線の車窓から見えた風景を歩いた記事のまとめ

ごみのまとめ

行基さんのまとめ

骨太のまとめ

奈良を訪ねた記録のまとめ

周濠のまとめ

工場地帯と田んぼの境界線のまとめ

蓮のまとめ

伊能忠敬のまとめ

移民や出稼ぎのまとめ

<2025年>

樋のまとめ

深良用水のまとめ

カスリーン台風のまとめ

「お米を投機的に扱わないために」まとめ

二ヶ領用水のまとめ

選挙公報のまとめ

内需拡大のまとめ

魚や漁師や漁港のまとめ

渡船のまとめ

 

 

*おまけ*

はてなブログの様式にタイトルの下に「カテゴリー」を表示できるようになっていますが、はてなダイアリーからはてなブログに移ったときに「泳ぐ」と「植物」を残して整理しました。

 

また続き番号があるタイトルの記事を目次のようにまとめたほうがいいけれどと思いつつ、どんなまとめかたが良いのだろうと悩み中。

整理方法も葛藤が続きますね。

 

新生児のあれこれ 63 ドライテクニックの「理由」の変遷と「赤ちゃんに優しいスキンケア」

唐突なタイトルですが、一応本業の話題です。

 

ネットは便利だけれど、一度何かを検索すると関連した話題を勝手にお勧めされるのでちょっとデジタルは怖いですね。

最近、あまり仕事関連の話題をネットで検索していなかったのに「ドライテクニック」がニュースラインを流れてきました。そして日をおいてもう一度「読みなさい」とネットからお勧めされました。さらに続きの記事もお勧めされたので読んでみました。

 

で、一旦「新生児」の話題にアクセスすると、しばらく新生児や赤ちゃんの写真のサムネイルが流れてきます。

赤ちゃんたちは自分の写真や話題が世界に向けて公開されるのをどう思うのだろう。

誰も確認するすべを持たないですけれどね。

 

 

*いろいろな条件が整理されていない「それをした場合としなかった場合」の研究*

 

さて、「ドライテクニックの方が、赤ちゃんの皮膚をいい状態に保てるという結果が」ではこう書かれています。

国内の2施設、産湯を含む沐浴を行う施設Aと、ドライテクニックを行う施設Bで、2015年2月〜3月に生まれた、出産までの経過が正常な新生児80人(施設Aが36人、施設Bが44人)について、生後1日目~5日の間、観察を行いました。

施設Aでは、生まれてすぐから石けんを使った沐浴を1日1回行い、施設Bでは、生後4日目までドライテクニックを続け、5日目に石けんを使った沐浴を行いました。2施設ともに同じ石けんを使い、沐浴後に保湿剤は使いませんでした

「生まれたばかりの赤ちゃんは沐浴をしないの?! 胎脂を洗い流さないドライテクニックとは【研究発表】」

たまひよONLINE、2025年10月29日)

 

ああ、惜しいなあ、保湿剤を使用していたら結果は変わったのではないかと思うのですけれど。

あるいは石けん分のすすぎ方にもまだ改善の余地はありそうです。

 

というのもこの当時、新生児期から乳児期のアトピー性皮膚炎やその後のアレルギー性疾患との関連がよく取り上げられていて、現在に至るまで「皮膚の保清と保湿が大事、ただし洗いすぎないことと石けん分をよく洗い流して保湿も行う」あたりのスキンケアの基本に落ち着いた印象です。

 

ですから単に「沐浴をしたかしなかったか」だけではない、まだたくさんの条件がありそうです

「それをした場合としなかった場合」の比較をしている一見、医学的な内容でも、新生児の沐浴のメリットやデメリットのバイアスを少なくするための盲検化にはどんな方法があるかを説明したものにはなかなかお目にかかれません。

 

 

*「胎脂を洗い流さない」が「ガーゼを使うのは間違い」へ*

 

タイトルでは「胎脂を洗い流さない」ことがドライテクニックと関連づけられていますが、最後は「ガーゼでこすらない」ことを結論にしているような内容で、ここでも「あれっ?」と思いました。

 

新生児期の沐浴をしているスタッフなら分かるとおり、胎脂というのは出生翌日から毎日石けんで洗っても2~3日はぬるっと感じるので、「一回沐浴をしたらその効果がなくなる」わけではなさそうです。

胎脂はいつ頃まで残るのかとか、沐浴で皮膚が乾燥傾向になるなら保湿でいいのではないか、という視点での反証の研究に期待したいものです。

 

では「ガーゼの使用」は否定されるべきかどうか。

本文中では「当たり前に使っていた綿ガーゼは、ナイロンタオルと同じくらい角質が傷ついたり、はがれたりという結果だった」と書かれているのですが、どうやらそれは「綿ガーゼでこすったマウスの表皮」という実験のようです。

ちょっと拙速に結論にしている印象です。

 

「実験をした」ことに圧倒されてそう信じたくなる結果ですが、では「沐浴の後にタオルで水分を拭き取るのは問題ないのか」という素朴な疑問が湧きました。

沐浴でガーゼを使うときには「そっとなでる」くらいで、まあ、使ってもやめても同じかなというものです。

むしろタオルの方が「水分を拭き取るのにグッと押さえたり、皮膚をこする」わけですが、常識的には問題はないと思うのですけれどね。

 

 

*出生直後の新生児には負担がかかるという臨床の観察に基づく視点*

 

1997年にWHOの出生直後の沐浴に関する推奨が出た頃から、生まれた直後の沐浴は新生児には負担がかかるということで中止する施設が増えました。

 

ただ、すでに1980年代の教科書にも「児の負担を少なくするためには、沐浴より温かいベッドの上で清拭する方が良い。沐浴をする場合でも、血液による汚れを落とす程度とし、短時間で終了させる」と書かれています。

なぜ、出生直後の沐浴が行われていたか、それは「血液あるいは母親の排泄物などの付着をできるだけ早く落とすことが感染予防になる」ことが優先されていました。

今はどの分娩施設でも当たり前にあるインファントウォーマーですが、1980年代終わり頃に勤務した一般病院ではまだなくて、電気あんかの上にタオルや産着を準備していました。

 

1990年代に入ると急速に新生児を温めるための設備が標準的になりました。

 

出生直後や出生後24時間程度の赤ちゃんでも、沐浴をするとチアノーゼ(青紫色)になることを経験したスタッフは多いことでしょう。

1960年代以降、出産が医療機関で行われるようになり、医療の専門職が新生児を24時間継続して、しかも1週間ほどの変化を観察することが当たり前になりました。

「新生児にはこんなことが起こるのか」「何かがある、何か変だ」という臨床の観察に基づく問題点が積み重なり、そこから全体像を考える時代になったからこその、「出生直後の沐浴は避ける」「出生直後は保温と全身の観察に気をつける」が標準化されたのだと思います。

 

 

 

*半世紀前のドライテクニックの「理由」*

 

 

胎児から新生児へ、出生直後はいつでも救命救急が必要となりうる時期ですから、安全のために「出生直後の第一沐浴はやめる」ということは抵抗なく現場に広がっていった印象です。経験的に理にかなっているというあたりでしょう。

 

ところが2000年代終わり頃でしょうか、「ドライテクニック」という言葉とともに「生後4~5日は沐浴をしない」方法のようが良いという説を見かけるようになりました。

出生直後から沐浴をしている施設に勤務し続けていても、「そこまでしなくても」思う主張の根拠はなんだろうと探していたところアメリカ小児科学会のドライテクニックに行きつきました。

 

それは1974年の「米国小児科学会の提唱」ですが、読んで驚きました。

当時は新生児の感染症の発症率が高く、出生後皮膚を清潔にする方がその後の感染症の機会を減らすと信じられていました。そのため、産湯に消毒薬を混ぜて使用していました。実際にはこの消毒薬の毒性が大きな問題になりました

この勧告のあと、産湯を中止しても、特に新生児の発症率が上昇したとの証拠はなく、むしろ他の要因を含め、発症率が低下しています。その結果、ドライテクニックで問題ないだけでなく産湯を使わないことのほうが赤ちゃんにとっては種々の利点があることが理解されました。

(「続 他科医院に聞きたいちょっとしたこと」「産湯を使わない利点」、2012年8月1日)

 

 

そうであれば「消毒薬を入れた産湯と入れない産湯」の検証だと思うのですが、なぜここから「産湯をしない場合とドライテクニックをした場合」の結論になるのだろう。

まあ、半世紀前、今ではK2シロップが予防法が常識の新生児メレナも感染症だと思われていたし、「根拠に基づく医療」という概念もない時代でした。

 

大昔のように感じますが、私が中学生の頃ですね。

 

 

*「ドライテクニックの理由」も大人の方便では?*

 

さて、2000年代終わりごろからの「ドライテクニックのメリット」として挙げられていたものには「胎脂や羊水の匂いで赤ちゃんは安心する」「絆ができる」というオカルト的な話や、「母乳栄養に良い」と「母乳が万能」という野心的研究にも使われ始めました。

 

ところで、当初WHOが「風習的に沐浴が必要とされる場合でも生後6時間以内の沐浴はさけるべきで、できれば2~3日後に行うことを推奨」(「ベッドサイドの新生児の診かた 改訂第2版」)だったものが、いつの間に我が国では「4~5日間はドライテクニック(沐浴をしない)」になったのだろう。

 

そういえば、アメリカは出産直後か翌日に退院なので、入院中に沐浴もしないし、自宅での沐浴はお好きにどうぞという感じではないかアメリカの医療とつながってきました。

対して日本は1990年代から2000年代にかけての早期退院を進める圧力にも負けず、少なくとも産後4~5日間は入院してお母さんも産後の体を休め、そして赤ちゃんも早期新生児期を医療スタッフが常時ケアする体制を守ることができました。

 

「生後4~5日間はドライテクニック」

私にはそれをした場合としなかった場合の根拠がいまだにわからず、産科施設の集約化の流れで業務量を減らす口実にしか思えないのですけれど。

 

その歴史を知らない新しく入職するスタッフやネットで「ドライテクニック」を知ったお母さんから、「えっ、まだ沐浴やっているんですか?」「まだガーゼなんて使っているんですか」と言われた時の対応が増えました。

「それをした場合としなかった場合」から説明したらけっこうかかりますからね。

 

 

*結論を急いだ論文は「社会的実験」を世の中に広めてしまう*

 

しかるべき研究の手続きを経て標準化されたものが通常医療へと取り込まれていくのが「根拠に基づく科学的な医療」なのに、この結論をいそぐ研究の段階で出版社が取り上げるのは誤った知識を世の中に広げてしまうことになり、20年とか30年たってもなかなか収束しない混乱が続きます。

 

結果、臨床では今日もまた「ドライテクニックをしていない遅れた施設」という視線との攻防戦が続いています。

 

 

 

*おまけ*

 

冒頭の記事の最後は「赤ちゃんに優しいスキンケア」でまとめられていたけれど、「赤ちゃんに優しい」は往々にして赤ちゃんの対応に困惑している大人の方便に使われるし、「運動的な何か」で使われる文学的表現ですから要注意ですね。

 

新生児の生活史とその観察方法でさえ確立もされていないから、さまざまな言説が跋扈する周産期の看護のまま何十年もきてしまったのだろうと思っています。

 

 

 

 

 

「新生児のあれこれ」まとめはこちら

助産関係の出版のまとめはこちら

合わせて「沐浴のあれこれ」まとめ「助産師の歴史」のまとめもどうぞ。

 

 

 

つじつまのあれこれ 66 「おコメ券」と市場原理と市場原理主義

「お米クーポン」を耳にした時、最初は「ほどこしやばらまき」の政策に戻るのか、あるいはすでにそれを実施していた大阪府の維新との連立への忖度なのかとか、いろいろ混乱しました。

 

ところが元維新の元府知事が新しい農水大臣に対して「米価格を上げる方に関与!野党突っ込んでくれ」(10月24日)とXに投稿したのを機に、ネットニュースのコメント欄は「ばらまきなんて後戻り」「せっかく増産したのに減産なんて」「やっぱり農業利権」と更迭まで求める嵐が起きていました。

まあ、ステマの世界だし、政治家の一挙一動で株価の上下が経済ニュースになって稼ごうとする世の中ですからね。

 

それで、実際の就任会見を読んだのですが、一言も「減産」とは言っていないし、「米価格を上げる」とも言っていないのになぜこんなにすれ違って批判されるのだろうと思っていました。

 

 

イデオロギーまでねじれる*

 

さらに「"おこめ券"は社会主義的なやり方」(10月27日、スポニチ)とまで、また元維新の方が批判しています。

 

だったら大阪維新や東京都のお米クーポンも「社会主義的」ということで、なんだか批判もつじつまがあわなくなってきましたね。

 また「高く価格を維持して、クーポンみたいなもので国民の負担をやわらげるっていうのは、社会主義的なやり方」と繰り返し、「本来資本主義のやり方というのは、需要と供給、供給量っていうのを民間に任せておいて、ただ農家さんの生活が苦しくなった場合だけ、国が出ていきますよっていうのをやる」と橋下氏。「今、高市政権で鈴木大臣のやり方は、そうじゃなくて国が全面に出てきて、価格はもう"高止まりで維持しますよ”って言っているに等しい」と語った。

それなら「高校無償化」も社会主義的といえそうですが、私立へ誘導し公立校の定員割れから統廃合を目論むという新自由主義あるいは新しい資本主義ってやつですかね。

 

そして前首相からは「不愉快」と背後から撃たれていました。

公明党は連立を離脱しました。

自民党が野党で苦しい時、一緒にやってくれたことを忘れたらいかん。維新は新自由主義的、自民党政治がいわゆる保守の路線へさらに傾くことにすごく違和感がある。

ーコメ政策では、石破氏が掲げた増産方針を転換させてますね。

不愉快な話だ。コメは安いほどいいとは言わないが、消費者が常に求められる値段であるべきだ。(米価高騰で)コメが足りないのは証明されたようなもの。値段が下がるのはいかんので増産はやめと言われると、それは違う。

中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター、2025年10月30日)

 

一見、消費者の方を向いているような言い方ですが、「米がない」からお米がどんどんと高くなっていった時に「日本のおいしい安全な米を世界に提供するのは、日本がやるべき国際社会に対する責任」と言った首相ですからね。

 

ほんと、イデオロギーは闘争的な観念だとつくづく思うこの2週間でした。

 

 

*同じ「米の輸出促進」でもみているものが違うのかも*

 

さて、「おコメ券」は何を目的にしているのだろう。

何度も「農林水産大臣就任記者会見概要」(令和7年10月22日)を読み返してみました。

 

生産者はもちろん国民全体へ配慮した表現で、記者さんへの丁寧な回答が1時間20分ほど続いていますが、その中で「米の輸出」への質問にはこんな回答をされています。

米の輸出、これは実は私が農林水産省をやめて衆議院議員になろうと思った時の最初の公約が「米の輸出は、目標は100万トン」、これでありました。その当時はみなさんから「日本の米は高すぎるから輸出なんてできないよ」、こういうふうに私の農林水産省の先輩も含めて、ご指導いただいたのを今でも思い出します。

Wikipedia2012年にTPP参加反対を公約に当選と書かれているので、てっきり2008年に米の輸出促進で「史上最低の農林水産大臣」と言われた石破氏と正反対の考え方と思っていたので意外でした。

 

石破氏の「米の輸出促進」と現農林水産大臣の「米の輸出促進」はどこが違うのだろう。

 

何度も会見概要を読んでいるうちに、少しずつ見えてきました。

 

「米価が高騰して、昨今だと海外の輸入米が増えているというところが、農家さんからしても懸念では」という質問にこう答えていました。

申し上げなければいけないのは、米価が高騰しているというときというのは、海外に輸出するよりも国内で売ったほうがいいのではないか、というときなのではないかと思います。それはまさに輸出をする事業者の皆さん、もしくは輸出米をつくる生産者の皆さんが、それぞれのマーケットの状況を踏まえ、どうすべきかということを判断していただけるのだというふうに思っています。それは政府がどうこう言うべきではないと思いますが、何よりも供給力がある米ですから、供給不足じゃないかと言う事態を今後金輪際、自然の影響を取り除いて、私たちのこれは需要を見誤るみたいな状況で、もしくはマーケットからのシグナルを受け取る感度が正直鈍くて、機動的な備蓄米の放出ができなかった。こういう事態はもう二度としない。この決意であります

 

現大臣の場合、投機ではなく国内での米の需要と供給を大事にするというあたりでしょうか。

 

 

*市場原理と市場原理主義

 

「機動的な備蓄米の放出ができなかった」

ここだけ読むと、「ほら、やっぱり昨年の秋に大阪府知事が備蓄米放出するように言ったのは正しかった」と受け取られそうですが、大臣は「備蓄米は全体量が不足しているから出すもの」であって「価格が高いものを下げるため」ではないと答えていました。

 

つまり、昨年の米の混乱は地震や猛暑といった自然や気象によって供給不足になったのではなく、高価格帯の輸出向けの米価に引っ張られて家庭向けの多様な価格帯のお米まで高値で取引され、さらに売り時をはかってますます高騰した。

あるところにはあったが、そこへ向けてどんどん「価格を下げるために」備蓄米を放出したから昨年度のお米が今だぶついている。

つまりは、米を投機的商品にしてしまったゆえに起きた混乱。

それを暗に説明しているのだと受け止めました。

 

 

昨年の混乱の契機となったのが、あの2000年代に「市場経済化の極地(最果て)といえる穀物取引市場」として自民党が反対し続けていた先物取引が昨年とうとう上場したから。

2021年の時点ではまだ「そもそも国内の需要が減りつつある現状を考えれば、価格の乱高下などは起きようがない」という認識であり、維新が国にコメ先物取引の本上場をぜひやってもらいたいと言っていたのですからね。

 

ところが、実際に蓋を開けてみると米の生産や流通に携わる方々が先物取引に対して2000年代に預言した通りの大混乱が起きてしまった。

だから慌てて昨年秋に「備蓄米の放出」をいい、国会で維新の議員さんが「先物取引が米価を上げたわけではないという言質をとったのでしょう。

 

 

「自由」とか「民主」が新自由主義や新資本主義にいつの間にか変質しているかのように、一般の人が「市場」と思っていたものは「市場原理主義」になりつつある。

国民にその方向性を問うたわけでもないのに。

 

「おコメ券」は、そのだぶついた供給から米価の急激な下落を防ぎ、国全体で米の需要を高めることが目的のようです。

どうやら「コメ先物取引の上場は恒久的」のようですから、今後、どうやって調整していくか、農業の新たな葛藤の時代ですね。

 

まあきっとこの混乱の種を蒔いた人たちは知らないふりをして、うやむやにしようとしていると思うことにしましょうか。

虚業がはびこる政治と経済には無知のアリの妄想ですけれど。

 

 

 

*おまけ*

市場原理主義

市場での自由な競争に任せておけば、価格・生産ともに適切に調節され、ひいては生活全体も向上するという考え方。政府による市場への介入や規制などの極小化を主張する。→自由市場→新自由主義マネタリズムレーガノミクスサッチャリズムレッセフェール

[補説]米国の経済学者ミルトン=フリードマンが提唱し、米国のレーガン政権、英国のサッチャー政権の経済政策に大きな影響を与えた。日本でも中曽根・橋本・小泉政権などがこれに基づいて規制緩和構造改革などを推進。バブル崩壊後の景気回復など一定の成果を上げたが、一方、格差社会の深刻化や2008年の世界金融危機への影響も論じられている。

コトバンクデジタル大辞泉

まさに自分の人生と重なる時期ですが、ほんと、現代の政治や経済には疎いですからね。

また宿題が増えました。

 

 

 

 

「つじつまのあれこれ」まとめはこちら

「お米を投機的に扱わないために」まとめはこちら

骨太のまとめはこちら

内需拡大のまとめはこちら

失敗とかリスクのまとめはこちら

合わせて「お米のあれこれ」もどうぞ。

 

専門性とは何か 15 「デジタル化」を統率する専門性とは

すごいデジタルの世界だけれど怖いなあと思っていたら、新しいデジタル相のインタビュー記事がありました。

 

念の為に記録しておきましょう。

松本デジタル相、医師の経験生かし医療DXに注力 『(恩恵)解きほぐすように説明』 新閣僚に聞く

産経新聞、2025年10月31日)

 

松本尚デジタル相は31日、産経新聞などのインタビューに応じ、医師としての経験を生かして「喫緊の課題はマイナ保険証の利用促進。医療機関にもきちんと活用してもらう。データを共有できれば診療時間も短くなるし、その分医者とたくさん話ができるかもしれない」と医療分野でのデジタル化(DX)に注力する考えを示した。

 

松本氏は「デジタル化というものに不安とかためらいがあると思う。マイナンバーカードで情報が全部抜かれるなど、ひとつひとつを解きほぐすように説明するのが仕事」と強調した。主なやり取りは以下の通り。

 

ーー医療DXをどう進めるか

厚生労働省には、何をやってほしいのかをいってみてくださいとお願いしている。厚労省とのつながりは今まで以上に深いと思うので、強みとして取り組んでいきたい」

ーー医療データの利活用の方向性は

製薬会社は医療データを使いたがっている。日本の創薬はものすごく力が落ちている。昔みたいに取り戻せば、大きな経済成長につながる分野だ。民間ベースで利活用できるようになれば、すごくいいが、プラットフォームが十分でない医師の立場でいうと、医療データはもっと使いたい。もどかしい思いをいっぱいしてきたので、利活用のハードルを下げたい

ーー生成人工知能(AI)に関してデジタル庁の役割は

「AIは何をやるにしても切っても切れないものとなる。中央も地方も、行政は労働生産性を高める目的で使っていかないといけない。作業効率化のモデルになれば、民間にもノウハウを与えていける」

ーーデジタル赤字の解消について

日本人としては悔しい話コロナウイルスが感染拡大したときにデジタル化が進んでいなくて苦労したのも相当国益を損なった。デジ庁としては国産のクラウド、大規模言語モデル(LLM)を使っていく」

ーーデジタル人材の不足をどうするか

「1年間で70万人子供が生まれない。その中で、何万人、10万人とデジタル人材を確保できるわけがない。効率よく確保する必要がある」

ーー日本のDXの課題は

「経営層のリテラシーを高めてもらう必要がある。中小企業を支援していかなければならない」

(強調は引用者による)

 

読むと、もっと怖いですねえ。

 

当初は私も自分の存在の証明になるかとマイナンバーカードに期待したのですが、マイナンバーカードというのは「持っている」だけではだめで、それを読み取る機械が必要なので「自分の存在の証明が主体的でない」という、最も大きなリスクがあるから二の足を踏んでいました。

 

いつ作ろうかと思っていたら、存在を証明するとポイントがもらえるという、まさかの国と私との公的な契約の間に民間企業が入ったことで、このカードへの信頼は無くなりました。

 

 

*「医師」というパターナリズムを使う政府の作戦*

 

 

その機械やシステムは信頼に値するものか、その機械を使う人は信頼できるか。

日常の生活でさえサイバーテロやらシステムダウンやら不正に利用されたりという今までの社会ではない実害に戸惑っているので、何をどうしたらいいのか、どこに相談したらいいのか、国民が泣き寝入りをしなくて済むような筋道をはっきりさせることをデジタル庁に求めたいですけれどね。

 

万が一に備えてアナログの健康保険証を持っておくことは個人でできるリスクマネージメントだと思うのに、廃止したことへの不信感も大きいですね。

「任意」だったのにも関わらず、すべての人に「期限付きの資格確認証」にしたのは強制と何ら変わらない

政府への信頼に対する禍根を残したことでしょう。

そのうち国民の議論や同意を飛ばしていきなり「すべての国民は写真付きの身分証明書を携帯しなければならない」という暴君がいつなんどき現れるかわからないですからね。

 

「製薬会社は医療データを使いたがっている」「民間ベースで利活用できる」「医師の立場であえていうと、医療データはもっと使いたい」

ああ、やはりヒト・モノ・金と並ぶ「情報資源」としか、国民の存在は思われていないのだとわかるインタビューでした。

 

この2~3年でマイナンバーカードのシステムをほぼ強制的に、まるで社会実験のように受け入れさせられた医療現場では、たくさんの泣き寝入りの怨嗟が積もっていると思いますけれど。

読み取り機が不調とか使いにくいだけで背後の膨大な業務がストップしますし、これからの維持費も馬鹿にならないですからね。

 

 

あの1990年代の「根拠に基づく医療」とリスクマネージメントの変化の時代を経験した同じ世代の医療関係者だからと期待したのに、政府は「健康保険証だから医師を大臣に」というパターナリズムでここを乗り切ろうとしているのでしょうか。

 

デジタル化で「医師と話す時間が増える」なんて些細なメリットではなく、こちらは自分の存在証明と生活上の大事な情報をかけていますから、その実害のリスクにはやはり慎重になりますね。

引き返すタイミングがあったのを逃した、そんな失敗に失敗を重ねているとしか見えなくなってきました。

 

 

マイナンバーカードって、医療だけでなく生活の多岐にわたって実害が起こる可能性があるものですからね。

 

まあ、いまだに「喫緊の課題は利用促進」って言っているくらいだから、あまり上手くいっていないのかもしれないですね。

強い権力を有するデジタルの仕組みですから、二度と恫喝的な手法で進める政治家や官僚が現れませんように。

 

 

*おまけ*

 

 

保険証が紐づけられれば医療データを活用できるなら、次は銀行口座ですね。

すでに銀行口座にはマイナンバーを提出してありますが、マイナンバーとマイナンバーカードは別物ですからね。

 

やはり怖いのは人間。

 

デジタル庁を統率するための専門性って何だろう。

 

 

 

 

「専門性とは何か」まとめはこちら

マイナンバーとマイナンバーカードのまとめはこちら

生活とデジタルのまとめはこちら

失敗とかリスクについてのまとめはこちら

骨太についてのまとめはこちら

 

 

 

生活のあれこれ 73 すごいデジタルの世界だけれど怖いなあ

「瀟洒な住宅地」というタイトルをつけたあと、しげしげとその漢字を眺めたら「酒」ではなく「洒」でした。

恥ずかしながらこの漢字を知らなかったとググったら「すすぐ、そそぐ、洗う」といった意味があることを教えてくれました。

この検索にかかった時間はわずか数秒。すごいですね、デジタルは。

 

以前だったら「しょうしゃ」の漢字を探すまでに辞書で調べ、老眼には辛い小さな文字だと拡大鏡を探して確認して、それぞれの漢字の意味を調べるために重い漢和辞典を引っ張り出して・・・でしたね。

そして手書きで原稿を書いていたら、「瀟」の字を書くのにまた一苦労していたことでしょう。

 

耳で知っているけれど漢字を書けないものもサクサクと文字に転換できるので、なんだかすごく賢くなった気になっています。

私がブログを続けられるのも、この複雑な漢字を簡単に検索できるようになったからとも言えそうです。

 

 

*怖いこともある*

 

便利さの反面、わけがわからないアクシデントもありますね。

メモがごっそり消えていたり、勝手に編集されたりというのは、ネットが広がる以前にはなかった怖さですね。

 

アプリの表示が勝手に場所を変えることも、不思議ですね。自分が使いやすいように位置を決めているのに、いつの間にか移動しているのはなぜなのでしょう。

あるいはスマホを握って散歩をしていたら、いきなり緊急電話の呼び出し画面や触った記憶もないアプリになっているのも心臓に悪いです。何か変な握り方をしていたのでしょうか。

 

あるいはSafariを開いたら、私がそれまでにチェックしたわけでもないサイトや広告になっていることがあります。

なぜそんなことが起こるのか、どこでその理由を知ることができるのか、そういう手段もないことも怖いですね。

 

そしてその怖さの根本は、使っているこちら側に主導権がなくて、何かに操作されているような不気味さでしょうか。

 

 

*節約していたのに引き落とされていた不明金*

 

専門用語や仕組みがわからないままいい加減に使っているのでたいがいの「怖さ」は妄想のレベルで、実害は少なく、利便性の方がはるかに上まわっています。

 

ところが最近、「実害」が起こりました。

 

私は基本、限られた通販の決済にのみクレジットカードを使用しているので、たいがいは毎月通帳で引き落とし額を確認するだけでした。

このところ節約のために通販の買い物も少なくしていたのに、以前と変わらない額が引き落とされてるのに気づきました。

いつもは、パスワードを引っ張り出すのが面倒でクレジット会社の利用明細までは見ていなかったのがいけなかったようです。

ここ数ヶ月、数千円ずつ海外から引き落とされているものを発見しました。

紙で利用明細が郵送されていた頃ならすぐわかったのですけれど。

 

思い当たるのは、とある製品の不具合でカスタマーセンターのQ&Aを探しているうちに、専門家による有料相談を勧められたことです。

技術的にはそこまで専門家に相談するほどではないのですが、Q&Aでは埒があかないのでその有料相談のチャットをクリックしましたが、質問を書き込んでも日本語がすれ違っているような印象ですぐに中止しました。

その時点では、チャットに入るだけで料金がかかるような説明も金額の契約もなかったし、クレジットの番号を入力した記憶もないので、なぜそれが引き落とされるようになったのかは分かりません。

通常、お金のやり取りが行われる契約はネット上のものでも必ず文書を保管するようにしていたので。

 

ただ、その日の日付から推察するとこのチャットしかなく、怖いのはその一回だけでなく毎月同じ日に数千円が引き落とされていたのでした。

数キロを歩いて200円の節約をしていたというのに、なんと迂闊なことをしました。

利用明細を毎月確認していたら、早くに手を打てたのに。

 

 

クレジット会社の対応方法を読むと、「不正利用の可能性は直接その会社に連絡してください」とありますが、下手に電話をかけたら最後、何が起こるかわからない怖さがありますね。

誰がどのようにして人の口座からお金を引き出すのでしょう。

 

そして最も怖いのは、その実害に直面したときに解決の窓口がないことです。

まあ、泣き寝入りってこと。

 

ネットの画面は怖いですね。

 

 

*おまけ*

 

そうこうしていると、サイバーテロで物流がストップしているニュースが。

ああ、やはり自分の存在を証明するものなのに、こちらの主体性がなく(リーダーがなければ情報を読めない)、まるで実印のように重要なものを詰め込んだもの(マイナンバーカード)には二の足を踏んでしまいますね。

民間会社にはサイバーテロの脅威があるが、国のシステムは絶対に大丈夫なんてわけないですからね。

 

 

 

 

 

「生活のあれこれ」まとめはこちら

生活とデジタルのまとめはこちら

失敗とかリスクについてのまとめはこちら

マイナンバーとマイナンバーカードのまとめはこちら

小金がまわる 49 「時は金なり」の葛藤

交通費を節約するために一駅間を歩くようになったのですが、最近はさらに数キロの区間を歩くようになりました。

 

ここ半年ほど、年金を想定した収入になるよう段階的に仕事を減らしてみました。

今までの半分にも満たない収入だとどのレベルまで生活を切り詰める必要があるのか、本格的に年金が支給される前に試しています。

まずは食費や日用雑貨ですね。収入が減るのと反比例に自由な時間と生活にかける時間は増えますから、これは案外と切り詰めることができ、消費税も節約することができて一石二鳥ですね。

光熱費や通信費も試行錯誤しています。

 

まだまだ見直して節約できるところはありそうですが、あまり自分を追い詰めても辛いですからね。

 

 

*交通費の大きさにびびる*

 

生活の中でけっこうな割合を占めていたのが交通費だったと、最近実感しています。

夜勤がある仕事だと出勤が2日にまたがるので定期券にはなじまず、勤務先からは実費分で支給されていました。

オートチャージではないふつうのPASMOで通勤も私用の運賃も支払い、時々チャージするという方法ですが、紙幣を挿入するときに今までにはない高額感を感じるようになりました。

 

今までは思い立ったらふらりと日帰りの散歩や買い物に出かけ、車窓の風景を眺めるために座席指定のないグリーン車にも乗り、気軽に「ピッ」と改札を通過していました。

グリーン券なんて1000円ぐらいかかることが、今になって「なんと贅沢をしていたのか」とびびっています。

それでも全国各地の交通費の地域差を考えると、交通網も網羅されているし交通費はまだマシな方でしょうか。

 

 

*「時は金なり」か、それとも「節約の方が金なり」か*

 

 

さらに、気軽に電車に乗って新宿とか吉祥寺とか買い物に行っていたのですが、往復すると数百円かかります。

ほんのちょっと前は、まるで打ち出の小槌のPASMOが支払ってくれるかのように、何も気にしていない額でした。

 

食費や日用品や光熱・通信費を削るだけ削って、残るはこの交通費です。

 

近所の商店街も文具店や服屋さんがなくなり、少し大きな駅へと行かないと買えないものも増えました。

今までは列車の時刻や「最も早く目的地に到着する方法」の検索のために使っていた「乗換案内」でしたが、最近はまず「最も安い料金」を見ています。

 

往復は無理だけど片道数キロぐらいなら歩いて行こう、そうすれば200円くらい節約になる。

物ひとつ買うにもそういうことが増えました。

 

今まで電車だと15分ほどでしたが、1時間半くらいかけて歩きます。

「う〜ん。これは時間の無駄遣いだろうか。いやいや途中の街の風景を定点観測できるし、歩くのは健康にもいいし」という葛藤の中、200円ほどを節約できた達成感は大きくなってきました。

まあ、食料品の買い物一回ですっ飛ぶ消費税分ですけれどね。日用品の消費税も節約するならやはり1往復以上歩くことが必要ですね。

 

 

*「いつか行く道」*

 

こうして年金生活をイメージして生活してみると、半年ほど前には思ってもいなかった気持ちの変化が出てきました。

「65歳からの減額」にはどんなものがあるだろうと、それが楽しみになってきました。

少し前なら、自分はまだまだ若いと思っているし、給与生活だと実感がないので私には必要ないと思っていたのですけれどね。

 

ショックだったのは、東京都のシルバーパスがいつの間にか70歳からになっていたことでした。

最初は無料だったのですね。1973年だと老人というのは60歳以上でしょうか。

高齢者は社会のお荷物かのような社会の雰囲気にさせる政治で、また老人と認められるのが先延ばしになりました。

そして70代以降、そのシルバーパスが使える最寄のバス停まで歩いていけるでしょうか。

ちょっと不安になってきました。

 

母が70代半ばで体調を壊した時に「タクシー代は気にしなくていいから運転はやめて」「貯金は私たちに残そうと思わなくていいから自分のために使って」とお願いした時に、「収入がなくなることの大変さをわかっていない」と言われたことを実感するようになりました。

 

あの時には「(年金があるじゃない)」と思っていたのですが、いやあ、やはり心細いものですね。

何より、自分が何歳までどんな感じで生きるのかがわからないので、多少の貯金なんて吹っ飛びそうですからね。

 

歩けるうちは歩いて、100円でも200円でも節約しよう。

やはりアリの生活は、「節約は金なり」ということになりそうです。

 

でもあまり節約すると、それはそれで社会が回らなくなるのではという葛藤もありますね。

 

 

 

 

 

「小金がまわる」まとめはこちら

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シュールな光景 54 「それをした場合としなかった場合」

ネットニュースにあまり聞き慣れない医療の話が流れていきました。

内容を読むと一見医学的な内容なのでそうなのかと一瞬「信じそう」になりましたが、それほど有効性が検証されたのであればすでに通常医療に組み込まれているのでは、とちょっと踏みとどまりました。

 

1992年に生まれた「科学的根拠に基づく医療」という言葉によって、それをした場合としなかった場合の臨床試験方法や考え方が整理されました。

そしてあらたな方法が確立すればそれに置き換えられる、少なくとも世界共通の土台ができた感じです。

 

と同時に、あの時代に著名な人が言ったから「効果がある」「正しい」というパターナリズムのくびきからも解放されたと思っています。

思いつきの仮説をどんな有名な人が発表しても、科学的な手順を踏まなければ信頼できるレベルとは認められない時代になりました。

 

それでそのニュースからは距離を置くことができました。

 

 

*久しぶりにあっちの世界に*

 

時々見かけるその「有名な人」の記事のタイトルは人を罵倒する言葉が入るので読むことはほとんどないのですが、最近、医療の話もするので何があったのだろうと思ってはいました。

その名前を聞くと、むしろ現在の相場師気質の人が増えて政治や経済を混乱させている時代の始まりの頃を思い出すいろいろと有名な人でしたからね。

 

で、その医療関係っぽい名前の協会を検索してみたところ「腸活」「キレイレポート」といった言葉が目に入ってそっと閉じましたが、理事長のWikiを読むと「推奨カリキュラムのセミナー開催」「協会認定資格の発行」「美容・民間療法のチェック機構」など書かれていたので、ちょっと興味が湧いて、その協会ホームページを隅々まで読んでみました。

 

10年ほど前でしょうか、ヨーグルトのパッケージに「お通じのため」とか「腸に良い」と書かれるものが増えて、あまり触りたくないし目にしたくないなあと思っていました。

それがどんどんと広がり、「腸活」なんて料理本のタイトルにまで書かれるし、CMでも盛んに「腸活」「お通じ」と耳に飛び込み、ネットニュースでもやたらと腸の図が目に飛び込んできます。

できればもう少し控えめにしてほしいけれど、今、「腸」ブームなんですかね。

 

その協会の役員のプロフィールにも、「看護師として3年間勤務する中で、「腸」が子どもの生死において重要な関連があることに気づき、腸の研究に没頭」とか、「腸セラピー」をしている看護師さんとか・・・。

思い込みと妄想が専門用語の形で入ってくると、引き返すのは大変ですからね。

 

 

*時代は繰り返す*

 

広告には「酵素玄米」「オーガニック」そして「アロマ」とか。

人はちょっとおしゃれで進歩的な雰囲気に弱いですからね。

まあ趣味でする分にはかまわないけれど、医療従事者がハマるとバイブル商法資格商売の広告塔になってしまうので要注意ですね。

また時代を繰り返しているようです。

 

1990年代に「科学的根拠に基づく医療」と同じ時期にインシデントを認め報告し、再発防止に役立てる仕組みが浸透していきましたが、誤った知識を広げた責任をどうするかはなかなか確立しませんね。

虚業や妄想の世界にリスクマネージメントなんて通用しないですからね。

 

私にはあっち側の闇の世界に見えるのですが、向こうでは「社会の歯車になるなんてダサい」「人とは違う自分、輝いている自分」に見えるのでしょうね。

いつの時代にも同じような人が出現していたことに気づいて赤面するのはもう少し後でしょうか、それとも引き返せずに信念を持ったまま土に還るのでしょうか。

 

なんだかシュールですね。

 

 

 

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