記憶についてのあれこれ 149 大船観音

東関道本線で大船駅を通過する時には、少し前から窓に顔をつけて大船観音を見逃さないようにする習慣があります。

なぜかというと、数少ない幼児期の記憶のひとつとして、この大船観音に行った日の記憶があるからです。

真っ白で優しい顔の観音像があともう少しというところにあるすごい坂道を、泣く泣く親に手を引いてもらって歩いた、そんな記憶です。

 

もう一つ、大船観音を見て思い出すのがウルトラQでした。大船観音から帰宅した時に、あのおどろおどろしいテーマソングと画面が当時の白黒テレビに映っていて、なんだかとても怖かったのでした。

でもWikipediaを読むと、放送が始まったのは1966年1月からのようですから、こちらはどうも記憶違いのようです。

やはり記憶はいい加減ですね。

 

柏尾川に沿って、バスが大船駅に近づいてくると、しだいに大船観音の横顔が見えてきます。

予想に反して、柏尾川は水も澄んだ川でした。なぜか、東海道本線から見える川はドブ川のようなイメージだったのは、やはり子どもの頃の川は汚くて臭いものという印象がどこかに残っているのかもしれません。

 でもWikipedia柏尾川の説明を読むと、実際にひどい時期もあったようです。

流域は工場や宅地が数多く立ち並んでいるため、高度経済成長期ごろになると大量の工場排水・生活排水が川に流れるようになった。このため川はヘドロで淀み、夏場になると悪臭が漂うドブ川となっていたが、下水処理網の整備が済んだことなどにより近年では川鳥や川魚が生息できるような状態に改善されている。

柏尾川にはアオサギが何羽もいて、観音さまと似合っていました。

 

大船観音寺

 

父だけでなく母も写経をするような宗教的な家庭で育った私は、その反動でキリスト教に関心が深まり、そしてまた反動で今は宗教とは無縁な生活になっています。

 ですから仏教の世界に関しても、宗派の違いなどほとんどわかりません。

観音像についても、人の気持ちを鎮めるために建てたくらいの認識でした。

 

大船観音寺を読むと、1929年(昭和4年)に築造が開始されたものの途中戦争で20年ほど放置され、完成したのが1960年(昭和35年)4月とあります。

 

幼児だった私は古いお寺に連れていかれたと思っていたのですが、完成してまだ数年にもならない時期だったようです。

 

大船駅から歩いて2〜3分で参道があります。急な坂道を登ると、さらに階段があります。私の記憶にあるのは、この階段でした。

目の前に大きな真っ白な観音様がいて、そこに向かって一歩一歩と泣きそうになりながら歩いたあの日でした。

今、大人の足でも大変な参道です。

 

今回、大船観音寺曹洞宗のお寺であることを、初めて知りました。

終戦直後の精神的に不安定だった父が座禅に出会って気持ちを立て直し、その後家庭を持ち、我が子を連れてこの大船観音寺に来た時、どんな思いだったのだろう。

 

期せずして、父の記憶を辿る散歩になったのでした。

 

 

「記憶のあれこれ」まとめはこちら

赤ちゃんに優しいとは 15 災害時の授乳方法に本当に必要な情報は何か

12日から13日にかけて通過した台風19号の被害の全容が徐々にわかってきて、その広さ、深刻さに、今こうして日常生活を送れているのはたまたま運がよかっただけだと、勤務先の近くの大きな川がいつでも堤防が破綻する可能性があったことを思い出しては戦慄しています。

 

今回の報道で、8年前とは格段に変化したこ とを感じました。

NHKは24時間、いつものように粛々と状況を伝え続けてくださって本当に助かりました。そして民放の各局では要所要所で集中して台風関連のニュースを伝えて、それ以外はあの文字スーパーL字型画面)がない時間帯もあって、通常の放送をしていました。

日常の番組に気持ちを切り替えられて大人でもちょっとホッとしたので、きっと小さなお子さんがいらっしゃるご家庭では助けられたかもしれません。

 

そして、どの局のアナウンサーも落ち着いた声でレポートしてくださっていた印象です。以前のように「スクープ!」というニュアンスが、災害時の報道から減ったように感じました。

 

*この情報を必要としているだろうか*

 

さて、発生直後の「フェーズ0」そして「発生72時間以内のフェーズ1」をすぎた昨日17日でしたが、NHKのニュースからまた紙コップが聞こえてきました。

 

検索しても17日のニュースの内容は見つけられませんでしたが、14日に放送された「台風19号 避難所での注意点 助け合って乗り越えよう」の「避難所の注意点:赤ちゃん」と同じものでした。

専門家でつくる「日本新生児成育学会」では、哺乳瓶が使えない時のミルクの飲ませかたや赤ちゃんの保温の方法について、ホームページで公開しています。

それによりますと、哺乳瓶がない場合は紙コップを使い、赤ちゃんが目覚めている時に縦抱っこして、紙コップを赤ちゃんの下唇にあてて、ゆっくりと少しずつ飲ませるとしています。

また、粉ミルクが足りない場合は、コップ1杯の湯冷ましに砂糖大さじ1杯を溶かしたものやおかゆの上澄みを飲ませると、一時的に脱水を防ぐことができるとしています。 

 

こうした呼びかけを私が初めて耳にしたのは、東日本大震災の直後でした。一般の人の「善意の行動」かと思ったら、小児科医の先生方の中からもあったことに驚きました。

東日本大震災では、実際に紙コップで服を汚しながら飲ませたり哺乳瓶の消毒ができない状況に心をいためた海外在住の方々が、液体ミルクだけでなく使い捨て乳首もつけて支援物資として送ってくれました。

赤ちゃんだけでなく、子どもや大人まで栄養を取ることができたようです。

 

それから6年経って、九州北部記録的豪雨の時にもこの情報がライフライン情報で流されていました。

 

今年は念願の液状乳児用ミルクが発売されました。

ですから呼びかける内容が変化すると思っていました。

 

そして小児科医の先生方の団体なら、災害の多いこの国では調乳済みミルクの本体に使い捨て乳首をすぐにつけられるタイプのものが必要だと言ってくれるかと思っていました。

 

なんで、紙コップなのだろう。

なんで今時、重湯やら湯冷ましに砂糖をくわえるといった情報なのだろう。

 

赤ちゃんに必要な災害時の情報とはなんだろう。

 

 

「赤ちゃんに優しいとは」まとめはこちら

 

 

「紙コップ」について書いた記事はこんなものがあります。(本文と重複するものもあります)

新生児にとって「吸う」ということはどういうことか 7  「乳頭混乱」という仮説の広がり

災害時の液状ミルクについて考えたこと

完全母乳という言葉を問い直す 26   「災害時こそ母乳」は誰に向けたメッセージだったか2

完全母乳という言葉を問い直す 28   国際的な完全母乳『戦略』

完全母乳という言葉を問い直す 30  災害時の母乳代用品の監視行動

必要な答えは液状乳児用ミルクではないか

なぜ哺乳瓶が必要とされたか

補完食とカップフィーデイング

ミルクと濃度

災害時の乳児の食糧の短期・中期・長期視点

液状乳児用ミルク関連のまとめ

行間を読む 67  「若手小児科医に伝えたい母乳の話」

水のあれこれ 82  水と腐敗や劣化

 

 

散歩をする  170 境川から大船へ

計画をしている段階で、境川遊水池を訪ねたあとはどうしようかとあれこれ候補がありました。

歩けば小田急江ノ島線の駅まで20分ぐらいのところですから、駅から駅の間を境川に沿って歩き、また小田急線に乗って久しぶりの江ノ島、鎌倉を回って帰るのも一つです。

 

でも小田急江ノ島線江ノ電、あるいは東海道本線は何度も乗っているので、何か違う風景をみてみたくなりました。

境川の近くにバス路線があるのを発見。なんと大船駅行きのバスがあるようです。

これに乗れば、今まで車窓から見ていた沿岸部の小さな山々の内側を通って見ることができそうです。

 

*ドリームハイツバス停留所

 

バス停の名前は「ドリームハイツ」でした。

地図上では遊水池から直線距離300mほどの所にこのバス停がありますが、これまでの散歩の経験から、きっとひと山登った所にあるに違いありません。

そこに至るまで、つづら折りを想定させる道が描かれているとおりの場所でした。

 

遊水池を見渡せるような小高い場所に出ると、低地とは違う涼しい風に感じました。

そこからバス停は近道をすれば100mほどなのですが、どうやら元々は畑だったところに住宅地が点在していて、近道をするには人様の畑を横切ることになるので、またぐるりと遠回りをしてバス停に辿りつきました。

 

小高い山の上には広大な県立団地があって、バスが頻繁に通っています。

 

多摩ニュータウンなどと同じ1960年代から70年代くらいの開発かと思ったら、横浜ドリームランドという遊園地の跡地を住宅地として2000年代から開発されたようです。

 

まだ次のバスまで時間があったので、歩いて見ました。

広い公園もあり、ちょうど幼稚園の送迎の時間か小さなお子さんを連れた方々も結構歩いていました。

団地内の付近には小児科や歯科もありますし、スーパーやちょっとしたレストランもいくつかあるようです。

こうした小さな生活圏内でさまざまな年代の人が生活が完結できる、ニュータウン時代にできた街が低迷しているニュースが多い中で、これくらいの規模が案外安定した街なのかもしれないと思えました。

 

しばらく歩くと少し急な下り坂になり、横浜薬科大学がありました。Wikipediaの「横浜ドリームランド」に紹介されている大きなビルが見えました。

ホテルだった建物を大学の図書館として活用されていたのですね。

 

薬科大学前からバスに乗りました。

 

*アップダウンの激しい道を大船へ*

 

行く前に、Macの地図の航空写真でどんな地形なのか想像をしてから散歩をしているのですが、残念ながら、この地域の航空写真はところどころ雲がかかってしまってわかりませんでした。

 

そこから大船までの途中には細い川が3本ほどあります。

川が作り出した地形にどんな高低差があるのか楽しみにしていたのですが、小田急江ノ島線湘南台駅から境川遊水池、そして遊水池からドリームハイツまでの高低差だけでも想像以上でした。

横浜薬科大前からけっこうな下り坂を降りると、1本目の小さな川を渡り、そしてまた上り坂です。そこを越えると境川の支流の川を渡り、環状4号線に入るのですが、ここも見上げるような上り坂です。

もう自分がどこを走っているのかもわからなくなるほど、アップダウンがあり、ようやく平坦な場所に出ました。

 

地名は「田谷」とあり、名前の通り、水田が広がっています。

そこからまた少し登ったり下ったりすると、柏尾川に沿って走り大船駅に出ました。

 

東海道本線大船駅を通過する時には、ちょっと小高い場所に大船観音が見える風景が好きなのですが、まさかその反対側にこんな地形が広がっているとは思いもよりませんでした。

 

訪ねたのは9月下旬で稲穂が輝いている季節でしたから、「田谷」の水田地帯の真ん中に新しい道路建設のための橋脚が造られているのを見て、とても悲しく感じました。

ところがその2週間後、今までにない規模の台風が通過し、各地の浸水被害の映像を見ると、こうした低湿地に高架橋をつくることも防災の一つかもしれないと気持ちが変化したのでした。

 

 

「散歩をする」まとめはこちら

水のあれこれ 115 境川遊水池

暇さえあれば地図を眺めています。

けっこうあちこち歩いたので、地図を見ていても「あ、この辺りは知っている」と思ってしまうのですが、拡大したり縮小したりしていると、やはり見落としている場所がたくさんあり、また散歩の計画ノートに追加されていくのでした。

 

そのひとつが、境川遊水池公園でした。

 

川が緩やかに蛇行しながら相模湾へ流れているのですが、その途中に二つの貯水池のような水色の部分があります。

川の右岸側にはまっすぐ小田急江ノ島線が走っています。

これだけでも、江ノ島線河岸段丘の高台を通っていて、その下に川が流れている低地があることが想像できますが、この目で見て見たいと思いました。

 

江ノ島線湘南台駅から歩いて行けそうです。9月下旬に訪ねてみました。

 

境川

 

境川の上流はどこだろうと地図をたどると、なんと町田駅の横を流れているあの水路のような川でした。

境川(さかいがわ)は、東京都および神奈川を流れ相模湾に注ぐ河川。二級水系の本流である。川の名称はかつて武蔵国相模国の国境とされたことに 由来し、現在でも上流部(町田市最南部まで)は概ね東京都と神奈川県となっている。(Wikipedia)

 

 町田あたりでよく話題にされる、東京都か神奈川県かの地域に流れている川なのですね。

かつては激しく蛇行しており、たびたび洪水を引き起こしたために河川改修が行われ、相模原市緑区橋本付近よりも下流では拡幅とともに流路の直線化が行われた。ところが、左岸の町田市と右岸の相模原市では旧流路に合わせて指定された市境(都県境)の調整作業がほとんど進まず、お互いに「川向こうの飛び地」を多く抱えている。(Wikipedia)

洪水そのものだけでなく、水が流れる場所はいろいろな意味で袂を分かつ歴史があるようです。

 

境川遊水池を歩く*

 

湘南台駅を降りるとすぐ公園がありますが、この途中から境川に向かって急な下り坂になっています。

さらに歩くと、地図では行き止まりの道の先に鯖神社が書かれていますが、実際に歩くと行き止まりの道の先に神社の屋根だけが見えます。

氷川神社のような水の神様できっと河岸段丘の高い場所にあるという予想がはずれました。

ぐるりと迂回して、むしろ境川のそばの低地に立つ神社で、なぜこの場所に「鯖」なのだろうと思いましたが理由がわかりませんでした。

 

神社のそばには栗の無人販売があり、一袋20個ぐらい入っていてなんと300円です。3袋あったので買い占めてしまいたい衝動に駆られましたが、まだ散歩の序盤ですから一袋だけ購入しました。

 

ここから境川遊水池公園のまだ建設途中の今田遊水池のそばを歩きました。

境川の右岸側の広い遊水池にはビオトープが作られているようです。

しばらくすると今飯(いまい)橋があり、緩やかに境川が蛇行して、ここからは左岸に遊水池があり、やはりビオトープになっています。

 

境川ビオトープの間には、昔の境川の堤防と思われるものがずっと残っていて、今の堤防よりはだいぶ低い印象でした。

 

しばらく歩くと、境川遊水池情報センターがあり、休憩所とともに境川の歴史や現在の神奈川県の統合治水についての展示がありました。

それによれば、現在、神奈川県内にはほかにも「大庭遊水池(引地川)」「栗原遊水池(目久尻川)」「恩回(おんまわし)公園調整池(鶴見川)」があるようです。

 

昭和40年代頃までの、まだ住宅が密集していない時代に、境川の洪水で下流の都市部が浸水したときの写真が展示されていました。

境川はいくつかの支流を合わせながら、藤沢を通って、あの江ノ島へ渡る弁天橋のそばへと流れています。

 

*遊水池の変化*

 

遊水池といえば渡良瀬遊水地をすぐに思い出していた80年代から90年代は、まだどちらかというと洪水調整よりは公害問題の認識でした。

 

いつの間にか、あちこちに遊水池ができて、災害時以外は楽しめる場所にもなってきたこの30年ほどの変化です。

遊水池(ゆうすいち)とは、洪水時の河川の流水を一時的に氾濫させる土地のことである。(中略)下流の水害を軽減する目的で設置される。

 

1990年代から進んだ「遊水池設置に向けた動き」ではこんなことが書かれています。

1990年代以降、有識者により提唱された緑のダム構想をうけて、従来のコンクリートダムに代わるものとして森林整備と遊水池を組み合わせた治水計画が各地で模索された。しかし、用地買収に掛かる補償費用が莫大な額となること、住居移転を余儀なくされること、平坦な平野部に計画されることが多く面積の割に有効な水深を大きく得られない(無動力で流出入させる方がポンプが不要な分メンテナンスが低減されるが、河川水位よりも高く貯めることはできず、しかし深くすると排水できなくなる)ことなどのため、地元関係者からの反対などから事業の停滞もしくは白紙撤回を余儀無なくされることもある。

 

折り合いをつけるには試行錯誤や失敗も許容する必要があり、本当に時間がかかることですね。

 

境川遊水池公園も、平日にも関わらずいろいろな年代の人が散歩をしたりサイクリングをしたり、身近な施設として利用されているようでした。

そして、ここがどうして遊水池になったのかということも学べる施設でもありました。

 

 

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記録のあれこれ 48 台風で散歩をキャンセル

勤務中に台風の状況NHKのニュースで追っていたのですが、ここ2〜3年で歩いたり車窓から観ていた地名や川の名前が次々に聞こえてきて、これもまた仕事中なのに心がかき乱されそうになりました。

 

理不尽な人生の手も足も出ない見守るしかない状況の重荷のケアという言葉は、医療だけでなく、こうした災害時の居ても立っても居られない気持ちに煽られないようにするときにも大事かもしれませんね。

 

そして散歩をして実際にあちこちを見ていたことで、ニュースを見ながらどのあたりなのか、どういう地形なのかなど全容を理解するのに役立ちました。

以前は、こうした災害時の映像を繰り返し見ていると、全ての地域が水没したり被害を受けて「日本は終わり」のような絶望感に陥りそうになっていましたが、百聞は一見にしかずですね。

 

*次に計画していた場所に甚大な被害が起きた*

 

2週間ぐらい前に予約を入れて、今週訪れる予定だった地域でも被害が出ました。

 

今回の散歩は、ずっと前から行って見たいと思っていた茨城から福島の海岸線を周り、米沢で最上川上流を見て、翌日には安積疏水の水源である猪苗代湖を回ってから会津若松、そして新潟へ出てもどるという、自分でもなかなかの一筆書きの傑作だと思う計画で、手元にある乗車券を見てはその日を心待ちにしていました。

 

福島県の海岸部を走る常磐線は震災の影響でまだ富岡から浪江間が不通で、富岡から原ノ町駅までは代行バスになっています。今回はこの代行バスにも乗る予定でした。

 

東日本大震災が起きた当時、ニュースで「浜通り」「中通り」と耳にして、すごい大通りがあるのかと勘違いしたくらい、福島の地形には無知でした。

今年、郡山を訪ねて、間に山を挟んだ浜通り中通りの地形を実感しました。

それで、ぜひ浜通りも、そして会津も見てみようと決めたのでした。

 

浜通りのどこかで途中下車しようと地図を眺めていたら、干潟と干拓地がありそうな場所が目に入りました。

相馬市の松川浦で、あの河北潟のように、それぞれの干拓地の歴史を学ぶことができそうです。

地図を見ていると沿岸には松川浦以外にもいくつか干拓地らしき場所があり、列車で通過するだけでも楽しみです。

 

相馬駅で降りて路線バスで松川浦を周り、そのあと歴史資料館と中村城跡を訪ねる計画でした。

 

10月12日の夜10時ごろには、勤務先では雨風も収まっていました。

ここからは台風は勢力を弱めて温帯低気圧になり太平洋へ抜けるという予想に、東北での被害はほとんど考えていなくて、予定通り散歩を決行できると楽観してしまいました。

 

10月13日の朝方のニュースで阿武隈川周辺の氾濫に驚き、そしてテレビではあまり報道されていなかったのですが、列車の運行状況を確認しているときにこの相馬駅が閉鎖になっていることを知りました。

駅周辺が浸水した様子が動画になっていました。

 

10月14日の朝の時点でもまだ相馬駅は閉鎖していますし、相馬から仙台、そして仙台から米沢へ行くために利用する予定だった仙山線もまだ運休、2日目に郡山から会津若松、新潟へと利用する予定だった磐越西線も途中で運休しています。

 

14、15日で列車が運転再開したとしても、相馬駅周辺ではまだ訪れる人を迎える余裕はないだろうと判断して、今回の散歩は中止することにしました。

 

それでも、あれだけの台風なのに1日で安全を確認し復旧していく、各地の鉄道の底力を見るようです。

 

最近、路線図を穴があくほど眺めるようになったので、まだ行ったことがない街のことも人ごととは思えなくなっています。

落ち着いたら、必ず行ってみようと思います。

 

 

ということで、散歩のキャンセルの記録でした。

 

 

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記録のあれこれ 47 日常から非日常、そして日常へ

台風19号の荒れ狂う中の勤務は本当に緊張しました。

 

雨風が収まってもそのあと時間差で川が増水したり、遠い場所でも川はあちこちから水を集めつながっていますから、何が起こるか想像もつきませんでした。

そんなさなかに千葉を震源とする地震まであり、頭の中は最悪のことを常に考えながら、入院中のお母さんと赤ちゃんの不安が少しでも減るようにしょっちゅう見回りをしました。

 

次第に被害の状況が伝えられ、その地域の医療機関介護施設の方々はどうしていらっしゃるのだろう、少し雨雲の流れが違えば、あのニュースに私たちが映っていることになるのだと、今までの仕事の中でも最もといってよいほどの緊張でした。

 

無事に仕事が終わるとぐったりで、今度は列車が動き出すまでは帰宅できないと思っていたら、ほとんどの路線が次々と運転再開してくださっていたので、少し迂回しながら自宅にたどり着きました。

スーパーもきっと今日は午後からだろうと思っていたら、開店してくださっています。

温かいお惣菜を買って、電気も水道もガスも通常通りの我が家に戻りました。

 

「日常」という言葉は、看護でも「日常生活動作」などよく使う言葉ですが、その意味を本当に理解するのは、一生のうちにそう多くない体験からなのかもしれませんね。

 

 

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正しさより正確性を  19 ポロリと言ったことが広がりやすい

「特集 小児の栄養」の「乳児期の栄養」は概ね基本的なことが書いてありましたが、引っかかる箇所がありました。

母乳栄養の「主な利点」に以下のように書かれていたことです。

1.  消化吸収がよく代謝への負担が少ない

2. 免疫機能を向上させる

3. 顔全体の筋肉やあごを発達させる 

 

何に比して「顔全体の筋肉やあごを発達させるのか」と考えれば、「人工栄養を哺乳瓶で飲ませたこと」と普通は考えると思います。

ところが、その本文中の「人工栄養」には特に利点も欠点も書かれていませんでしたし、筆者自身が「その後の咀嚼運動は獲得形質である。このため咀嚼運動の発達を促すような離乳食の提供が求められる」と書いていますから、本格的な時期は離乳食からという認識なのだと思います。

 

このさらりと書いてある「母乳の利点」ですが、今年改訂された「授乳・離乳の支援ガイド」にはどのように書いてあるか読み直してみました。

16ページに「《母乳(育児)の利点》」として以下のように書かれています。

母乳には1.乳児に最適な成分組成で少ない代謝負担、2. 感染症の発症および重症度の低下、3.小児期の肥満やのちの2型糖尿病の発症リスクの低下などの報告がされている。 

 

3について 欄外では「完全母乳栄養児と混合栄養児との間に肥満発症の差があるとするエビデンスはなく、乳児用ミルクを少しでも与えると肥満になるといった表現で誤解を与えないように配慮する」とあり、1と2に関しても状況により適切にミルクを使用することで赤ちゃんに最適な栄養方法になるということであり、少々まどろっこしい書方ですね。

 

いずれにしても、母乳栄養で「顔全体の筋肉やあごを発達させる」と断言できるような話でもないことでしょう。

母乳の授乳でも哺乳瓶で飲んでいるかのようにあっという間に終わる経産婦さんの赤ちゃんを見ているだけでも、哺乳瓶と直接授乳での差を比較するのは難しそうです。

 

むしろ、あの「美味しい母乳を飲んでいる赤ちゃんの特徴」あたりが社会の中に亡霊のように漂っている印象です。

 

「専門家として何か体裁を繕わなければ」と、思いついたことをポロリと言ったことが案外広がって残りやすいものなのかもしれませんね。

 

 

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記憶についてのあれこれ 148 災害時の出勤

台風19号は、今朝の時点でもまだその影響を想像できないほどの大きさのようですね。

 

数日前から気象庁などの発表を追いながら、「その日にどうやって出勤するか」をシミュレーションし始めていました。

都内の公共交通機関の計画運休のタイミングによって、前泊するか早く出勤するか見極めていかなければいけないのですが、おそらくそうした交通機関関係の方々も気象図を睨みながらの判断がとても大変だったのだろうなと想像しました。

 

一昨日ぐらいになって、だいたいの進路と通過する時間が読めてきたので、おそらく午前中は電車も動くだろうという予測にかけていました。

ということで、これからおかげさまで無事に出勤できそうです。

本当に鉄道関係の方々に感謝です。

 

40年近く医療機関で働いてきて、台風で出勤時間を早めるぐらいはありましたが、数日前から出勤を心配するような大きな災害に遭遇した記憶がありません。

 

刻々と変化する状況をニュースで追ったのは、あの東日本大震災が初めてでした。

最近では線状降水帯が続いたあの時も、どれくらい早く出勤するか悩みました。

無事に出勤できた後も、NHKをつけっぱなしにして天候を把握しながら仕事をしました。

周囲で浸水が起きたら入院中の方をどうするか、食事をきちんと提供できるか、そんな時に母体搬送や新生児搬送をしなければいけない分娩があったらどうするか、停電があったらどうやって分娩の連絡を受けるか、などあの東日本大震災の時の記憶が蘇ってきてかなり緊張しました。

 

今日はどんなことになるのだろう。

どうか、被害が少ない台風でありますように。

 

 

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シュールな光景 13 「胎児期から始まる食育」

母の面会には、お昼ご飯を持って行きます。

ちらし寿司が好きなのは母も私も同じだったのですが、半世紀以上も離れて暮らしているとここまで好みに違いが出るのかと驚くこともあります。私が「これなら絶対に母も好きそう」と思って買っていっても、母の口に合わないこともしばしばあります。

 

両親はそれぞれ生まれ育った場所が異なり、相当な味覚の東西南北差があるのですが、そのはざまで育った私はどちらの味も大丈夫だけれど、どちらかというと父寄りになりました。

 

「家庭の味」なんていっても、そんなものですね。

 

*「特集 知って起きたい小児の栄養」*

さて、ときどきふらりと立ち寄る書店の周産期医療のコーナーで、「小児科臨床 4月号 特集 知っておきたい小児の栄養」(日本小児医事出版社、2019年)が目に入りました。パラパラとみて見ると、「乳児期の栄養」「母乳栄養と食育」「人工乳の種類と栄養」「栄養不足と脳の発達」「乳幼児期の体重増加不良」といった目次にひかれて購入しました。

 

産科施設ではどうしても「母乳が出ているか」「授乳方法は母乳かミルクか」という大人側の視点からの栄養への関わり方が多く、目の前の赤ちゃんの今必要な栄養は何か、今後どのように成長発達していくのかという少し長い目でのとらえ方ができにくいものです。

 

とりわけ、生後4週間までの新生児期の授乳の難しさは、多くの周産期関係者が経験しているはずなのに、なかなかその観察が言語化されていないのではないかと思います。

 

退院時には母乳もそこそこ出ていたので「母乳中心で大丈夫そう」とアドバイスしたら、その後体重が横ばいのままとか、生理的黄疸のピークがゆっくり出て体重が減ってしまった赤ちゃんとか。

あるいは初産と経産の赤ちゃんの違いとか、経験的に感じている何かがそろそろ表現されてきたかと期待して購入しましたが、まだそれほど目新しいことは書かれていませんでした。

 

まあ、ヒトの新生児をただひたすら観察することも試みられていないので、拙速に理論化を求めてはいけませんね。

 

*「母乳栄養と食育」*

 

その中で「母乳栄養と食育」という文があり、「胎児から始まる食育」にこんなことが書かれていました。

食嗜好(food preference)を獲得していく過程には臭いの学習過程と似ている。遺伝的に獲得される嗜好に加えて、胎児期は羊水の風味・味を通して、生まれた後は母乳を通じて、母親が食べたものの風味を学習し好みを獲得していく。羊水や母乳には、直接母親が摂取した食物やスパイス、飲み物を反映する風味がでる。妊娠後期ににんじんジュースを与えた母親と与えなかった母親とで生まれてきた児のにんじんフレーバーの受け入れ方が違うという報告もある。

 

にんじんジュースの話は20年ぐらい前にも聞いたような気がするのですが、参考文献では2016年のものでした。

母乳関連では「母乳を与えることは社会階層のはしごを登るチャンス」といった、野心的研究課題に時々驚かされますね。

 

胎児や乳児の気持ちはわからないし、家庭の味は父親とか他の家族の存在もあるのですけれど。

 

母乳は万能かのような「願いをかなえる科学を装った話」を入れないほうが、よりすんなりと社会に受け入れられていくし医学的にも信頼されると思うのに、母乳の話はなかなか難しいですね。

 

 

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発達する 26 自転車をやめた

大人用の大きな自転車に乗れるようになったのが、確か小学校4年生の頃でした。

まだ足がつかないけれど乗れるようになった時の記憶があります。

それ以来、半世紀ほど自転車を活用していた生活でしたが、2年ぐらい前に廃棄しました。

 

数カ所の図書館やちょっと遠いプールへ行ったり、新生児訪問などに大活躍の自転車でした。

もう一回、新しい自転車に買い替えようかなと思っていた頃、踏切のレールに車輪がはまって立ち往生していた高齢の方を手伝おうとしたら強く拒否された経験が、気持ちを変えるきっかけになりました。

 

まだまだ自転車に乗り慣れているので大丈夫だと思っていると、いつか手放せなくなるのではないかと。

 

ちょうどあちこちを散歩をするようになり、歩き慣れてきたこともありました。

 

*身体能力や判断力が衰えてくるとどうなるか*

 

それ以前からも、高齢の方が自転車に乗っている様子が気になって、何がその特徴なのだろうと観察していたこともありました。

 

後ろから見ると、両肘が横に張ったような姿勢になるかたがほとんどです。

どうしてなのかは正確なことはわかりませんが、あちこちの筋力が衰えてきて体を支えるのに必死になるのも一つかもしれません。

 

また自転車だけでなく歩行の際にも、道路の端によって歩くことができなくなるのか、真ん中へよっている人が多い印象です。

後ろから来ている車や人の流れは見えていないようで、後ろに追い越したくても追い越せない車が連なって来ていても気にならないようです。

 

自転車への乗り降り、そして漕ぎ始めにも車体がふらついて、ドキッとさせられます。

 

*できることだけが発達ではない*

 

若い頃にはなんでもなかった動きが徐々にできなくなり、あるいは交通ルールを身につけて来たはずなのに周囲まで注意を払えなくなる。

「発達する」とは全く反対の方向へと向かうのが老いるということですが、それを自覚することや、今までできていたことをやめるタイミングもまた難しいものですね。

 

ただ、老いることも発達の一つだと思えば、引き際を決めることもまた立派な発達だと思うこの頃です。

人間の行動は、学習によらないで自然の結果として成熟していくことはまれであると言われている。老年期においても、生活していく中で学ぶことができる。したがって、生涯におけるこれらの課題をマイナスととらえるのではなく、自分の人生の完成に向けての課題とらえ、前向きに対応していけば、老年期をその人らしく納得のいくものとすることができる。 

 

 

自転車を廃棄するときには困るだろうなとしばらく葛藤していましたが、手放してみたらまた新しい生活のスタイルになりつつあって、自転車があったことさえここ最近忘れていました。

 

「自分は79歳でバリバリ働いている」「発想の転換を」という財務大臣の言葉で、自転車のことを思い出したのでした。

 

 

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