都営新宿線が東大島駅の手前で地上へと出ると広々とした風景の中、荒川と並行して流れる中川を渡り、船堀駅を過ぎるとまた地下へと入ります。
今回の散歩のスタートの瑞江(みずえ)駅に到着しました。
地上に出て、今回は瑞江駅西通りを北へと向かいました。
きっと平城京はこんな感じだったのではと思うほど、まっすぐの道が網の目のように通る平らな街がずっと続いています。どこかに田んぼや水路の痕跡はないかなときょろきょろしながら歩きましたが、わかりませんでした。
*「一度堤防が決壊してしまうと海面より低い地域が7割もある江戸川区」*
中学校の前に何か大きな説明板がありました。
堤防は、高波や津波、洪水からまちを守ります
江戸川区は、かつて洪水や高潮、さらに大雨による水害を被ってきましたが、堤防や水門、下水道の整備により近年においては、大水害が防止されるようになりました。
しかし、豪雨による河川の増水で、一度堤防が決壊してしまうと海面より低い地域が7割もある江戸川区では、大洪水となってしまいます。
その「区内の横断面図」をみると、荒川と中川は地形的には低いのですが、その水面は河岸の住宅地よりも高い場所まであり、それを守るためにさらに高い堤防が描かれています。
電車の車窓からは、ゆったりと平地を流れているように見える荒川です。
それに対して、南側には新中川と旧江戸川が荒川や中川よりも高い位置に流れています。
まるで「荒川の河岸段丘の上の台地を流れる川」のように見えるのですが、荒川自体も放水路ですし、河岸段丘というよりはもともと旧江戸川が周囲より少し高い場所に人工的に開削された川(水路)だったからでしょうか。
現代の関東平野の「川」は、江戸時代の川の付け替えや新田開発で造られた水路の歴史がありますからね。
そして新中川、旧江戸川ともに沿岸の家の一階の屋根ぐらいの高さを流れ、それよりも高い堤防で守られていることが描かれていました。
もうひとつ、江戸川区全域の地図「区内の地勢」では、江戸川右岸に沿ったごく一部の地域のみ「高潮対策基準潮位以下の区域」として薄緑色に塗られ、それ以外は「満潮面以下の区域」の青と「干潮面以下の区域」の濃紺です。
これが「7割」の意味のようです。
「区内の地勢」での色分けについて、潮位と堤防の高さの説明がありました。
(緑色) 新中川の堤防の高さです A.P.+6.0m
高潮については今井水門で守られています。
(ピンク色) 高潮対策の基準潮位 A.P.+5.1m
昭和34年9月名古屋地方に最大の被害をもたらした伊勢湾台風と同程度の台風が最悪のコースで襲来した場合を想定した高潮の潮位です。
(黄色) キティ台風の最高潮位 A.P.+3.15m
昭和24年8月この台風により高潮を発生させ、区内に甚大な被害をもたらしました。
(水色) 大潮の満潮位 A.P.+2.10m
大潮とは潮の干満の大きい状態で、新月や満月の前後数日間のことです。
(青) 大潮の干潮位 A.P.+0m
A.P.(Arakawa Peilの略)とは隅田川の河口近く霊岸島のあった量水標の零位を基準とした水位表記で、明治6年に荒川水系の水位を測るために設置されたものです。概ね A.P.±0は大潮の干潮位になります。
この学校のグランドの高さは A.P+2.1mです。
あ、「A.P知ってる、リンド技師だ」と思ったら、それはY.P (Yedokawa Peil)、江戸川から利根川の水位標でした。なかなか知識が身につかないですね。
通学時にこの自分が住んでいる場所の説明板を目にした中学生の中から、将来防災に関心が広がる人がきっと出てくるでしょう。
*「江戸川区のこれまでの水害」*
堤防や川の水面よりも低い位置に家がある。
台地の上でほとんど生きてきた私には想像がつかないものでしたが、遠賀川(おんががわ)のような「天井川」を知ったのは、プラタモリの初期の頃の番組だったでしょうか。
ちょうど都内の川のそばを散歩し始めた頃で、サイフォンで水路と水路を交差させていることにも驚きましたが、江東区の竪川と大横川が交差する場所で、隣接する家の方が川面より低いことには驚きました。
運河と運河が直接交差する場所は、あの大量の水はどういう流れになっているのだろうということだけでも驚くのに、その大量の水が流れている場所の方が屋根のすぐ上を通過しているのです。
東京湾の沿岸部は地盤が低いのに、どうやってこの水を治めているのでしょう。
そんな場所なのに、あまり大きな水害は記憶にないので検索してみると、江戸川区の「これまでの水害」がありました。
江戸川区では下表のとおり、数多くの水害を受けています。なかでも昭和22年9月のカスリーン台風による洪水では、利根川の決壊により、流域の多くが浸水し、多くの人命・財産を失った歴史があります。
近年においては幸い堤防の決壊や堤防を超えるような洪水被害は起きていませんが、大洪水に対して必ずしも十分安全とは言い切れず、万が一、江戸川の堤防が決壊した場合、江戸川区はもとより、首都圏全体で約530平方キロメートル、世帯数は約80万世帯、人口約232万人の被害が予想されています。人口・資産・情報・交通機能が集積した首都圏に与えるダメージは計り知れないものがあります。
荒川や中川・新中川はもちろんのこと、利根川上流の洪水が江戸に流れ込むのを止めるための中条堤を必要とした関東平野でした。
カスリーン台風も、栗橋より少し上流の利根川の堤防の決壊によって江戸川区にも甚大な被害があったようです。
ちなみにその「これまでの水害」の年表は、「昭和56年10月 台風第24号(内水氾濫) 浸水戸数10,289世帯 被災者数31,289人」が最後の記録でした。
1981年ですからまもなく半世紀ですね。
やはり、治水や防災が驚異的に変化した時代だったようです。
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