水のあれこれ 116 水との闘いの用語

台風19号関連のニュースを聞いていると、水との闘いを表す用語はこんなにもあるのかと、今更ながらに驚いています。

 

小学生のころには「洪水」という言葉でひとくくりにして覚えた状況も、毎年毎年ニュースを聞くたびに、「氾濫」「越水」「溢水」「冠水」と、大人になるにつれて語彙が増えてきました。

そして洪水は夏だけでなく、4~5月ごろに起こる融雪洪水という用語を知ったのはここ数年のことでした。

 

今回の台風で被害が伝えられる地域は実際に歩いたり車窓から眺めていた場所と重なるので、今年はなおさらその用語が何を意味しているのかより正確なことが気になりながらニュースを追っています。

「洪水」と一言では言い表せない、それぞれの地域の被害状況でした。

 

とりわけ、つい最近乗った北陸新幹線と、最近歩いた郡山市内福島交通のバスが水に浸かってしまっている状況は、私が今まで知っている「浸水」という言葉だけでは表現できない状況に感じました。

 

気象庁の「河川、洪水、大雨浸水、地面現象に関する用語」の中の「洪水、大雨浸水に関する用語」を読んでみました。

 「出水」:大雨や融雪などにより川の水量が増大すること

「増水」:平常の推移よりも水かさが増すこと

「溢水」:河川の水があふれ出ること

「越水」:河川の水が堤防を越えてあふれ出ること

「浸水」:ものが水にひたったり、水が入りこむこと

「冠水」:農地や作物、道路が水をかぶること

「決壊」:河川の増水により、堤防が壊れること

「氾濫」:河川の水がいっぱいになってあふれ出ること」

「外水氾濫」:河川の水位が上昇し、堤防を越えたり破堤するなどして堤防から水があふれ出ること

内水氾濫」:河川の推移の上昇や流域ないの多量の降雨など(要因によって湛水型とか氾濫型等の表現も用いる)により、河川外の住宅地などの排水が困難となり浸水すること

 

今回の広範囲の地域での水害のニュースが次々と伝えられ始めた時には、すべて、「川のそばの地域で堤防が決壊した」ように想像してしまったのですが、数時間もしないうちにまたそれぞれの原因が伝えられ始めたことが印象に残りました。

ある地域では堤防の決壊、ある地域では堤防を越えて水が溢れ、あるいはある地域では排水ができずに内水氾濫を起こしたことなど、状況と原因はさまざまなことがわかりました。

 

短時間で状況を把握し、原因と対策が検討されていく。

常に水の動きを観察しているからに他ならないと、圧倒されました。

 

そして、まだまだ水との闘いには、言葉では表現できないことや「こんなことが起こるのか」ということの闘いでもあるのかもしれませんね。

 

 

「水のあれこれ」まとめはこちら。 

 

 

食べるということ 44 災害時にも食べる

先日の台風19号関連のニュースで次のニュースが目にとまり、もし私の勤務先が被害を受けていたら食事を提供できただろうかと考えてしまいました。

停電の病院、患者はビスケットやゼリーでしのぐ・・・住民の救助続く

(2019年10月15日(火)配信 読売新聞)

 

 台風19号に伴う豪雨で千曲川が決壊し、多くの住宅が浸水被害を受けた長野市穂保地区などでは、14日も早朝から救助活動が行われた。雨の中、自衛隊や消防は住宅に取り残された住民をヘリコプターでつり上げたり、ボートに載せたりして次々と救助していた。

 同地区近くの豊野病院と、隣接する高齢者施設では、周囲が浸水したため患者や入所者ら計約280人が孤立状態になった。内部は停電し、患者らはビスケットやゼリーを食べながら不安な夜を過ごした。

 排水が進んだため14日朝から救出作戦が始まった。消防隊員らは、体調の悪い患者らを救急車に乗せ、他の病院に搬送した。施設にいた90歳代の女性は「怖かった」と話した。

 

 

今年9月にふらりと立ち寄った東急ハンズで、「7年保存クッキー」を見つけて購入しました。それと、水を入れるだけで食べられるパックのおこわなども我が家の備蓄食品にしました。

7年後に、無事にこのクッキーが使われることなく過ごせたら、防災の日に開けて食べようと思っています。

 

いつだったか、やはり台風か豪雨の後に、袋入りのインスタントラーメンに水を入れて20分ほどおくと食べられるという目から鱗的な話を知ったのですが、ちょっと塩分が多すぎるので備蓄するのは見送りました。

その点、そのおこわは一食の食塩相当量が1.5gですから優れものだと思いました。

 

それ以外にも、普段から置いてある缶詰やレトルトのおかゆレトルトの魚などで自宅ではなんとかしのげそうです。

思えば1970年代ごろからの食品の貯蔵性とでもいうのでしょうか、すごい進歩ですね。

 

ただし、勤務先が被災していたらどうなっていたでしょうか。

たとえ浸水などの直接の被害を受けなくても、食事をつくる人が出勤できなければ、入院中の方に食事を提供できなくなるので大変です。

 

病院だと食事制限が多岐にわたるので実現は難しいかもしれませんが、コンバット・レーションの医療施設版があるといいなと妄想しています。

 

とりあえずこちらの記事で紹介した「災害発生直後のフェイズ0の栄養」だけでも確保できるセットがあるといいですけれど。

 

 

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運動のあれこれ 31 運動には生活の余裕が必要

今日の「運動」はmovementではなく「体育」とか「スポーツ」の方の話です。

ややこしいですね、日本語の「運動」という言葉は。

 

今年は以下の記事を読んで、「そうだった、あの日は体育の日だったのか」と思い出したほど非日常的な日でした。やはり平和な日常でなければ、運動も楽しめませんね。

高齢者の体力向上なお続く 60代後半女性の記録更新 スポーツ庁18年度調査 

(2019年10月15日(火)配信 共同通信社

 

 スポーツ庁は13日、体育の日を前に、2018年度体力・運動能力調査を公表した。高齢者の体力は上向き傾向が続き、60代後半の女性は体力テストの結果を点数化した合計点はこれまでの記録を更新。70代後半の女性も「6分間歩行」で前年度から6メートル記録を伸ばすなど、活力ある高齢者の姿が浮かんだ。同庁では高齢者いついて「若いころから運動に親しみ、健康への意識が高い」と分析している。

 今回の調査は18年5〜10月、6歳から79歳の男女6万4020人を調査した。選択項目を含め、握力や上体起こしなど6〜19歳は8〜9項目(60点満点)、20〜79歳は6〜7項目(60点満点)を調べた。

 合計点を見ると、最年長の70代後半の年代は、男性で35.51点、女性で35.77点だった。20年前と比べると、男性は5点ほど上回った。60代後半の女性は42.36点で初めて調査対象となった1998年度から5点ほど伸びた。

 運動やスポーツを「ほとんど毎日」か「時々」する70代後半の男性は77.2%、女性は76.9%。10年前と比較し、男性は10ポイント、女性は12ポイントそれぞれ上昇した。

 運動頻度と生活の充実度合いを調べた結果では、週1日以上運動していた男性の4割ほど、女性の5割近くが「充実している」と回答。週1日未満とした男女を上回った。

 6〜19歳の若い年代は、多くの項目で横ばいが上向き傾向。ただ、体力がピークだったとされる85年度ごろに比べ、中高生男子の50m走を除き、低い水準のままだ。11歳男子のソフトボール投げは今回27.86メートルで、85年度に比べても6メートルほど低い記録だった。

 30〜40代の働き盛り世代も伸び悩み、最近10年は握力や幅跳びなどの点数が下がる傾向となっている。

 

 

ソフトボール投げ」「幅跳び」は、とび箱と同じく日常ではなかなかやらない動きなので、「体力」って何だろうとちょっと疑問ですね。

 

この調査方法と結論について専門的なことはわからないのですが、30年ほどの間のプールに来る人たちの変化をみると、「若いころから運動に親しみ」というよりも20年ほど前から中高年向けの教室が増えたことが「泳ぐ」ことに関しては大きな影響があったように感じます。

 

私が利用しているいくつかの公共プールに限っていえば、平日・休日に関係なく「30〜40代の働き世代」の利用者は少なく、どの時間帯も半数以上、時にはほとんどがおそらく60代以上という印象です。

 

私は交代制勤務なので、平日の日中の空いている時間帯にも泳ぎに行けるのですが、月曜から金曜まで朝早くから夜遅くまで通勤している人は、まずプールに行く時間の余裕はないことでしょう。

 

もう一つ、だいたいどの自治体にもあると思うのですが、65歳以上の方々は利用料金が半額になる減額制度があります。

私が1年間泳ぐためにの利用料金はどれくらいかというと、週に2〜3回ペースで泳ぐと、数万円ぐらいです。

現金収入が少なくなる世代になったらこの減額制度はうれしいですが、収入が少ない若い人たちにとっても負担が大きいのではないかと想像しています。

 

「若いうちから運動に親しむ」ためには、いろいろな意味で生活に余裕があることが大事だと思います。

10年後、20年後の「体力」はどうなっていることでしょうか。

 

 

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小金がまわる 19 軽減税率ってなんだろう

あのイートインの10%は私だけでなくけっこう波乱があったようですね。イートインのためのシールまでできたというので本末転倒感があります。

 

10月1日からの家計簿をつけていて、忸怩たる思いになっています。

軽減税率に変更する前に、もっとしっかり情報を得て反対しておくべきだったと。

何年も、「今年こそは消費税が上がる」という雰囲気になりつつ、政局というのでしょうかふと風向きが変わって実施されなかったことに慢心しきっていました。

今回は、8月ごろから軽減税率の計算できるレジ機の話がニュースなどで多くなったのですが、きっと今年も見送られるだろうとタカをくくっていたのでした。

 

毎日の細々した買い物を家計簿につけていく際に、酒類が10%になったのは仕方がないとしても、洗剤やら日用品が10%だというのが納得がいきませんね。

食品は8%ですが、ちょっと高級な贈答用のお菓子も8%だというのに、なんで日用品が10%なのだろう。いえ、もちろん高級菓子もそのままの税率でいいですけれど。

 

もうひとつよくわからないのが、軽減税率とキャッシュレスの話がごちゃごちゃになっていることです。

消費税を上げた分、カードで購入すれば5%が戻ってくるからみなさんキャッシュレスへって、誰が得をして誰が損をしているのか。

それなら増税は意味がないのではないかと、狐につままれた気分。

 

消費税は年末調整とは無関係の2倍近い所得税増税のようなものですから、これなら最初から所得税増税の方がお金を持っている人からも持っていない人からもそれなりにという感じでスッキリするのですけれど。

 

そういえば先日、官房長官がパンケーキを食べている様子がアド街ック天国で紹介されていました。

政治の価値観は脇に置いて、いつも激務そうな方が嬉しそうに食べていらっしゃる姿に、楽しく食べることは大事だなと印象に残りました。

それが「高いおやつ」だと批判もあったようですが、80年代90年代は私もけっこう食事にお金をかけていたけれどあまり気にしていなかったと思い返しています。

でも今は、「3000円って税込かな、それとも300円の消費税がかかるのかな」「300円あればお昼ご飯を買えるのに」と思ってしまいます。なんだか世知辛いですね。

 

「鵺(ぬえ)のような社会の雰囲気」を見極めるのは難しいのですが、「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度もだまされるだろうという一言が身につまされるこの頃です。

 

 

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散歩をする 171 日比谷花壇大船フラワーセンター

大船観音に参拝したあと、北鎌倉方面を歩こうかと地図を眺めていたら、柏尾川沿いに広大な植物園があるのを見つけました。

大船駅を過ぎてすぐの東海道本線沿いにあります。

なんども通っているのに、全然気づかなかったのでした。

 

9月下旬でも30度以上ある日でしたし、境川遊水池大船観音の参道を歩いたあとにそこまで歩けるだろうかと少し不安になりながらも、せっかくだから訪ねてみようと思いました。

 

*日比谷花壇大船フラワーセンター*

 

日比谷花壇といえば、日比谷公園やちょっと高級なブーケなどを扱う花屋さんのイメージです。

Wikipediaの説明を読むと、あの夢の島熱帯植物館新宿御苑にも関わってきたようです。

 

9月下旬であまり花の多い時期でもなかったし閉園まであと1時間という時間でしたが、散策を楽しむ人が結構いました。

なにはさておいてこのところ魅せられているへ向かいました。季節は終わり頃で、すっかり果托へと変化していましたが、これもまた美しいものです。

 

そして案内図を見るとの植わっている場所があるようです。

白や、やや黄色みを帯びた棉は東南アジアにいた時には身近に見ていましたが、なんとうすピンク色の綿花がなっていました。

 

大温室ではオニバスの花が咲き始めていました。

水中にはもう少しで開きそうなつぼみが見えています。なぜ根腐れしないのだろう。なぜ水中でつぼみができ始めるのだろうと不思議です。

なんだかわからないけれど、「人間なんてちっぽけな存在だなあ」と思う一瞬です。

 

*神奈川県農業試験場だった場所*

 

検索すると元々は神奈川県農業試験場で、1967年に県立大船フラワーセンターになり、2018年から現在の名称になったようです。

 

私が大船観音に初めて行った頃、この辺りはまだ住宅地は少なかったのでしょうか。

 

目の前に柏尾川が流れていますが、その「災害」にこの地域の治水の歴史が書かれています。

柏尾川は、大雨が降るたびに氾濫し、また晴天が数日続くと干上がってしまい流域の住民を困らせていたが、近世以降に度々行われた治水工事によって次第に水害・干害は減少して行った。 

 

しかし1955年ごろから始まる周辺地域の急速な宅地化によって、それまでの水を蓄えていた水田・森林が減少すると、柏尾川の保水能力は低下し再び氾濫が頻発するようになった。1965年ごろより遊水池の設置や川幅の拡張、川底の浚渫などさらなる治水環境の整備がたびたび行われたため、1982年以降は大きな反乱は耐えることになる。 

 

久しく水害とは縁のなかった柏尾川だが、2004年10月9日に関東地方を襲った台風22号では、低地となっている大船駅周辺など広い範囲で氾濫を起こし大きな被害を残した。2014年10月6日に襲った台風18号では、柏尾川の避難判断水位を超え、「内水はん濫」の状態隣大船駅東口など10件の道路冠水が発生。横浜市営地下鉄ブルーライン戸塚駅が浸水し、鉄道各社も大幅な遅延や運休が生じた多大な被害を起こした。このため、地域住民からは治水対策の見直しを訴える声も聞かれた。 

 

半世紀の間に治水が大丈夫というレベルになったと思ったら、また水害が起きたようです。

 

今までは東海道本線がぐんと曲がりながら大船駅を通り、大船観音だけを見ていた場所ですが、その地形や川が、そして周辺の歴史が少し見えた散歩になりました。

半世紀前の、この地域の写真を探してみようと思います。

 

 

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記憶についてのあれこれ 149 大船観音

東海道本線大船駅を通過する時には、少し前から窓に顔をつけて大船観音を見逃さないようにする習慣があります。

なぜかというと、数少ない幼児期の記憶のひとつとして、この大船観音に行った日の記憶があるからです。

真っ白で優しい顔の観音像があともう少しというところにあるすごい坂道を、泣く泣く親に手を引いてもらって歩いた、そんな記憶です。

 

もう一つ、大船観音を見て思い出すのがウルトラQでした。大船観音から帰宅した時に、あのおどろおどろしいテーマソングと画面が当時の白黒テレビに映っていて、なんだかとても怖かったのでした。

でもWikipediaを読むと、放送が始まったのは1966年1月からのようですから、こちらはどうも記憶違いのようです。

やはり記憶はいい加減ですね。

 

柏尾川に沿って、バスが大船駅に近づいてくると、しだいに大船観音の横顔が見えてきます。

予想に反して、柏尾川は水も澄んだ川でした。なぜか、東海道本線から見える川はドブ川のようなイメージだったのは、やはり子どもの頃の川は汚くて臭いものという印象がどこかに残っているのかもしれません。

 でもWikipedia柏尾川の説明を読むと、実際にひどい時期もあったようです。

流域は工場や宅地が数多く立ち並んでいるため、高度経済成長期ごろになると大量の工場排水・生活排水が川に流れるようになった。このため川はヘドロで淀み、夏場になると悪臭が漂うドブ川となっていたが、下水処理網の整備が済んだことなどにより近年では川鳥や川魚が生息できるような状態に改善されている。

柏尾川にはアオサギが何羽もいて、観音さまと似合っていました。

 

大船観音寺

 

父だけでなく母も写経をするような宗教的な家庭で育った私は、その反動でキリスト教に関心が深まり、そしてまた反動で今は宗教とは無縁な生活になっています。

 ですから仏教の世界に関しても、宗派の違いなどほとんどわかりません。

観音像についても、人の気持ちを鎮めるために建てたくらいの認識でした。

 

大船観音寺を読むと、1929年(昭和4年)に築造が開始されたものの途中戦争で20年ほど放置され、完成したのが1960年(昭和35年)4月とあります。

 

幼児だった私は古いお寺に連れていかれたと思っていたのですが、完成してまだ数年にもならない時期だったようです。

 

大船駅から歩いて2〜3分で参道があります。急な坂道を登ると、さらに階段があります。私の記憶にあるのは、この階段でした。

目の前に大きな真っ白な観音様がいて、そこに向かって一歩一歩と泣きそうになりながら歩いたあの日でした。

今、大人の足でも大変な参道です。

 

今回、大船観音寺曹洞宗のお寺であることを、初めて知りました。

終戦直後の精神的に不安定だった父が座禅に出会って気持ちを立て直し、その後家庭を持ち、我が子を連れてこの大船観音寺に来た時、どんな思いだったのだろう。

 

期せずして、父の記憶を辿る散歩になったのでした。

 

 

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赤ちゃんに優しいとは 15 災害時の授乳方法に本当に必要な情報は何か

12日から13日にかけて通過した台風19号の被害の全容が徐々にわかってきて、その広さ、深刻さに、今こうして日常生活を送れているのはたまたま運がよかっただけだと、勤務先の近くの大きな川がいつでも堤防が破綻する可能性があったことを思い出しては戦慄しています。

 

今回の報道で、8年前とは格段に変化したこ とを感じました。

NHKは24時間、いつものように粛々と状況を伝え続けてくださって本当に助かりました。そして民放の各局では要所要所で集中して台風関連のニュースを伝えて、それ以外はあの文字スーパーL字型画面)がない時間帯もあって、通常の放送をしていました。

日常の番組に気持ちを切り替えられて大人でもちょっとホッとしたので、きっと小さなお子さんがいらっしゃるご家庭では助けられたかもしれません。

 

そして、どの局のアナウンサーも落ち着いた声でレポートしてくださっていた印象です。以前のように「スクープ!」というニュアンスが、災害時の報道から減ったように感じました。

 

*この情報を必要としているだろうか*

 

さて、発生直後の「フェーズ0」そして「発生72時間以内のフェーズ1」をすぎた昨日17日でしたが、NHKのニュースからまた紙コップが聞こえてきました。

 

検索しても17日のニュースの内容は見つけられませんでしたが、14日に放送された「台風19号 避難所での注意点 助け合って乗り越えよう」の「避難所の注意点:赤ちゃん」と同じものでした。

専門家でつくる「日本新生児成育学会」では、哺乳瓶が使えない時のミルクの飲ませかたや赤ちゃんの保温の方法について、ホームページで公開しています。

それによりますと、哺乳瓶がない場合は紙コップを使い、赤ちゃんが目覚めている時に縦抱っこして、紙コップを赤ちゃんの下唇にあてて、ゆっくりと少しずつ飲ませるとしています。

また、粉ミルクが足りない場合は、コップ1杯の湯冷ましに砂糖大さじ1杯を溶かしたものやおかゆの上澄みを飲ませると、一時的に脱水を防ぐことができるとしています。 

 

こうした呼びかけを私が初めて耳にしたのは、東日本大震災の直後でした。一般の人の「善意の行動」かと思ったら、小児科医の先生方の中からもあったことに驚きました。

東日本大震災では、実際に紙コップで服を汚しながら飲ませたり哺乳瓶の消毒ができない状況に心をいためた海外在住の方々が、液体ミルクだけでなく使い捨て乳首もつけて支援物資として送ってくれました。

赤ちゃんだけでなく、子どもや大人まで栄養を取ることができたようです。

 

それから6年経って、九州北部記録的豪雨の時にもこの情報がライフライン情報で流されていました。

 

今年は念願の液状乳児用ミルクが発売されました。

ですから呼びかける内容が変化すると思っていました。

 

そして小児科医の先生方の団体なら、災害の多いこの国では調乳済みミルクの本体に使い捨て乳首をすぐにつけられるタイプのものが必要だと言ってくれるかと思っていました。

 

なんで、紙コップなのだろう。

なんで今時、重湯やら湯冷ましに砂糖をくわえるといった情報なのだろう。

 

赤ちゃんに必要な災害時の情報とはなんだろう。

 

 

「赤ちゃんに優しいとは」まとめはこちら

 

 

「紙コップ」について書いた記事はこんなものがあります。(本文と重複するものもあります)

新生児にとって「吸う」ということはどういうことか 7  「乳頭混乱」という仮説の広がり

災害時の液状ミルクについて考えたこと

完全母乳という言葉を問い直す 26   「災害時こそ母乳」は誰に向けたメッセージだったか2

完全母乳という言葉を問い直す 28   国際的な完全母乳『戦略』

完全母乳という言葉を問い直す 30  災害時の母乳代用品の監視行動

必要な答えは液状乳児用ミルクではないか

なぜ哺乳瓶が必要とされたか

補完食とカップフィーデイング

ミルクと濃度

災害時の乳児の食糧の短期・中期・長期視点

液状乳児用ミルク関連のまとめ

行間を読む 67  「若手小児科医に伝えたい母乳の話」

水のあれこれ 82  水と腐敗や劣化

 

 

散歩をする  170 境川から大船へ

計画をしている段階で、境川遊水池を訪ねたあとはどうしようかとあれこれ候補がありました。

歩けば小田急江ノ島線の駅まで20分ぐらいのところですから、駅から駅の間を境川に沿って歩き、また小田急線に乗って久しぶりの江ノ島、鎌倉を回って帰るのも一つです。

 

でも小田急江ノ島線江ノ電、あるいは東海道本線は何度も乗っているので、何か違う風景をみてみたくなりました。

境川の近くにバス路線があるのを発見。なんと大船駅行きのバスがあるようです。

これに乗れば、今まで車窓から見ていた沿岸部の小さな山々の内側を通って見ることができそうです。

 

*ドリームハイツバス停留所

 

バス停の名前は「ドリームハイツ」でした。

地図上では遊水池から直線距離300mほどの所にこのバス停がありますが、これまでの散歩の経験から、きっとひと山登った所にあるに違いありません。

そこに至るまで、つづら折りを想定させる道が描かれているとおりの場所でした。

 

遊水池を見渡せるような小高い場所に出ると、低地とは違う涼しい風に感じました。

そこからバス停は近道をすれば100mほどなのですが、どうやら元々は畑だったところに住宅地が点在していて、近道をするには人様の畑を横切ることになるので、またぐるりと遠回りをしてバス停に辿りつきました。

 

小高い山の上には広大な県立団地があって、バスが頻繁に通っています。

 

多摩ニュータウンなどと同じ1960年代から70年代くらいの開発かと思ったら、横浜ドリームランドという遊園地の跡地を住宅地として2000年代から開発されたようです。

 

まだ次のバスまで時間があったので、歩いて見ました。

広い公園もあり、ちょうど幼稚園の送迎の時間か小さなお子さんを連れた方々も結構歩いていました。

団地内の付近には小児科や歯科もありますし、スーパーやちょっとしたレストランもいくつかあるようです。

こうした小さな生活圏内でさまざまな年代の人が生活が完結できる、ニュータウン時代にできた街が低迷しているニュースが多い中で、これくらいの規模が案外安定した街なのかもしれないと思えました。

 

しばらく歩くと少し急な下り坂になり、横浜薬科大学がありました。Wikipediaの「横浜ドリームランド」に紹介されている大きなビルが見えました。

ホテルだった建物を大学の図書館として活用されていたのですね。

 

薬科大学前からバスに乗りました。

 

*アップダウンの激しい道を大船へ*

 

行く前に、Macの地図の航空写真でどんな地形なのか想像をしてから散歩をしているのですが、残念ながら、この地域の航空写真はところどころ雲がかかってしまってわかりませんでした。

 

そこから大船までの途中には細い川が3本ほどあります。

川が作り出した地形にどんな高低差があるのか楽しみにしていたのですが、小田急江ノ島線湘南台駅から境川遊水池、そして遊水池からドリームハイツまでの高低差だけでも想像以上でした。

横浜薬科大前からけっこうな下り坂を降りると、1本目の小さな川を渡り、そしてまた上り坂です。そこを越えると境川の支流の川を渡り、環状4号線に入るのですが、ここも見上げるような上り坂です。

もう自分がどこを走っているのかもわからなくなるほど、アップダウンがあり、ようやく平坦な場所に出ました。

 

地名は「田谷」とあり、名前の通り、水田が広がっています。

そこからまた少し登ったり下ったりすると、柏尾川に沿って走り大船駅に出ました。

 

東海道本線大船駅を通過する時には、ちょっと小高い場所に大船観音が見える風景が好きなのですが、まさかその反対側にこんな地形が広がっているとは思いもよりませんでした。

 

訪ねたのは9月下旬で稲穂が輝いている季節でしたから、「田谷」の水田地帯の真ん中に新しい道路建設のための橋脚が造られているのを見て、とても悲しく感じました。

ところがその2週間後、今までにない規模の台風が通過し、各地の浸水被害の映像を見ると、こうした低湿地に高架橋をつくることも防災の一つかもしれないと気持ちが変化したのでした。

 

 

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水のあれこれ 115 境川遊水池

暇さえあれば地図を眺めています。

けっこうあちこち歩いたので、地図を見ていても「あ、この辺りは知っている」と思ってしまうのですが、拡大したり縮小したりしていると、やはり見落としている場所がたくさんあり、また散歩の計画ノートに追加されていくのでした。

 

そのひとつが、境川遊水池公園でした。

 

川が緩やかに蛇行しながら相模湾へ流れているのですが、その途中に二つの貯水池のような水色の部分があります。

川の右岸側にはまっすぐ小田急江ノ島線が走っています。

これだけでも、江ノ島線河岸段丘の高台を通っていて、その下に川が流れている低地があることが想像できますが、この目で見て見たいと思いました。

 

江ノ島線湘南台駅から歩いて行けそうです。9月下旬に訪ねてみました。

 

境川

 

境川の上流はどこだろうと地図をたどると、なんと町田駅の横を流れているあの水路のような川でした。

境川(さかいがわ)は、東京都および神奈川を流れ相模湾に注ぐ河川。二級水系の本流である。川の名称はかつて武蔵国相模国の国境とされたことに 由来し、現在でも上流部(町田市最南部まで)は概ね東京都と神奈川県となっている。(Wikipedia)

 

 町田あたりでよく話題にされる、東京都か神奈川県かの地域に流れている川なのですね。

かつては激しく蛇行しており、たびたび洪水を引き起こしたために河川改修が行われ、相模原市緑区橋本付近よりも下流では拡幅とともに流路の直線化が行われた。ところが、左岸の町田市と右岸の相模原市では旧流路に合わせて指定された市境(都県境)の調整作業がほとんど進まず、お互いに「川向こうの飛び地」を多く抱えている。(Wikipedia)

洪水そのものだけでなく、水が流れる場所はいろいろな意味で袂を分かつ歴史があるようです。

 

境川遊水池を歩く*

 

湘南台駅を降りるとすぐ公園がありますが、この途中から境川に向かって急な下り坂になっています。

さらに歩くと、地図では行き止まりの道の先に鯖神社が書かれていますが、実際に歩くと行き止まりの道の先に神社の屋根だけが見えます。

氷川神社のような水の神様できっと河岸段丘の高い場所にあるという予想がはずれました。

ぐるりと迂回して、むしろ境川のそばの低地に立つ神社で、なぜこの場所に「鯖」なのだろうと思いましたが理由がわかりませんでした。

 

神社のそばには栗の無人販売があり、一袋20個ぐらい入っていてなんと300円です。3袋あったので買い占めてしまいたい衝動に駆られましたが、まだ散歩の序盤ですから一袋だけ購入しました。

 

ここから境川遊水池公園のまだ建設途中の今田遊水池のそばを歩きました。

境川の右岸側の広い遊水池にはビオトープが作られているようです。

しばらくすると今飯(いまい)橋があり、緩やかに境川が蛇行して、ここからは左岸に遊水池があり、やはりビオトープになっています。

 

境川ビオトープの間には、昔の境川の堤防と思われるものがずっと残っていて、今の堤防よりはだいぶ低い印象でした。

 

しばらく歩くと、境川遊水池情報センターがあり、休憩所とともに境川の歴史や現在の神奈川県の統合治水についての展示がありました。

それによれば、現在、神奈川県内にはほかにも「大庭遊水池(引地川)」「栗原遊水池(目久尻川)」「恩回(おんまわし)公園調整池(鶴見川)」があるようです。

 

昭和40年代頃までの、まだ住宅が密集していない時代に、境川の洪水で下流の都市部が浸水したときの写真が展示されていました。

境川はいくつかの支流を合わせながら、藤沢を通って、あの江ノ島へ渡る弁天橋のそばへと流れています。

 

*遊水池の変化*

 

遊水池といえば渡良瀬遊水地をすぐに思い出していた80年代から90年代は、まだどちらかというと洪水調整よりは公害問題の認識でした。

 

いつの間にか、あちこちに遊水池ができて、災害時以外は楽しめる場所にもなってきたこの30年ほどの変化です。

遊水池(ゆうすいち)とは、洪水時の河川の流水を一時的に氾濫させる土地のことである。(中略)下流の水害を軽減する目的で設置される。

 

1990年代から進んだ「遊水池設置に向けた動き」ではこんなことが書かれています。

1990年代以降、有識者により提唱された緑のダム構想をうけて、従来のコンクリートダムに代わるものとして森林整備と遊水池を組み合わせた治水計画が各地で模索された。しかし、用地買収に掛かる補償費用が莫大な額となること、住居移転を余儀なくされること、平坦な平野部に計画されることが多く面積の割に有効な水深を大きく得られない(無動力で流出入させる方がポンプが不要な分メンテナンスが低減されるが、河川水位よりも高く貯めることはできず、しかし深くすると排水できなくなる)ことなどのため、地元関係者からの反対などから事業の停滞もしくは白紙撤回を余儀無なくされることもある。

 

折り合いをつけるには試行錯誤や失敗も許容する必要があり、本当に時間がかかることですね。

 

境川遊水池公園も、平日にも関わらずいろいろな年代の人が散歩をしたりサイクリングをしたり、身近な施設として利用されているようでした。

そして、ここがどうして遊水池になったのかということも学べる施設でもありました。

 

 

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記録のあれこれ 48 台風で散歩をキャンセル

勤務中に台風の状況NHKのニュースで追っていたのですが、ここ2〜3年で歩いたり車窓から観ていた地名や川の名前が次々に聞こえてきて、これもまた仕事中なのに心がかき乱されそうになりました。

 

理不尽な人生の手も足も出ない見守るしかない状況の重荷のケアという言葉は、医療だけでなく、こうした災害時の居ても立っても居られない気持ちに煽られないようにするときにも大事かもしれませんね。

 

そして散歩をして実際にあちこちを見ていたことで、ニュースを見ながらどのあたりなのか、どういう地形なのかなど全容を理解するのに役立ちました。

以前は、こうした災害時の映像を繰り返し見ていると、全ての地域が水没したり被害を受けて「日本は終わり」のような絶望感に陥りそうになっていましたが、百聞は一見にしかずですね。

 

*次に計画していた場所に甚大な被害が起きた*

 

2週間ぐらい前に予約を入れて、今週訪れる予定だった地域でも被害が出ました。

 

今回の散歩は、ずっと前から行って見たいと思っていた茨城から福島の海岸線を周り、米沢で最上川上流を見て、翌日には安積疏水の水源である猪苗代湖を回ってから会津若松、そして新潟へ出てもどるという、自分でもなかなかの一筆書きの傑作だと思う計画で、手元にある乗車券を見てはその日を心待ちにしていました。

 

福島県の海岸部を走る常磐線は震災の影響でまだ富岡から浪江間が不通で、富岡から原ノ町駅までは代行バスになっています。今回はこの代行バスにも乗る予定でした。

 

東日本大震災が起きた当時、ニュースで「浜通り」「中通り」と耳にして、すごい大通りがあるのかと勘違いしたくらい、福島の地形には無知でした。

今年、郡山を訪ねて、間に山を挟んだ浜通り中通りの地形を実感しました。

それで、ぜひ浜通りも、そして会津も見てみようと決めたのでした。

 

浜通りのどこかで途中下車しようと地図を眺めていたら、干潟と干拓地がありそうな場所が目に入りました。

相馬市の松川浦で、あの河北潟のように、それぞれの干拓地の歴史を学ぶことができそうです。

地図を見ていると沿岸には松川浦以外にもいくつか干拓地らしき場所があり、列車で通過するだけでも楽しみです。

 

相馬駅で降りて路線バスで松川浦を周り、そのあと歴史資料館と中村城跡を訪ねる計画でした。

 

10月12日の夜10時ごろには、勤務先では雨風も収まっていました。

ここからは台風は勢力を弱めて温帯低気圧になり太平洋へ抜けるという予想に、東北での被害はほとんど考えていなくて、予定通り散歩を決行できると楽観してしまいました。

 

10月13日の朝方のニュースで阿武隈川周辺の氾濫に驚き、そしてテレビではあまり報道されていなかったのですが、列車の運行状況を確認しているときにこの相馬駅が閉鎖になっていることを知りました。

駅周辺が浸水した様子が動画になっていました。

 

10月14日の朝の時点でもまだ相馬駅は閉鎖していますし、相馬から仙台、そして仙台から米沢へ行くために利用する予定だった仙山線もまだ運休、2日目に郡山から会津若松、新潟へと利用する予定だった磐越西線も途中で運休しています。

 

14、15日で列車が運転再開したとしても、相馬駅周辺ではまだ訪れる人を迎える余裕はないだろうと判断して、今回の散歩は中止することにしました。

 

それでも、あれだけの台風なのに1日で安全を確認し復旧していく、各地の鉄道の底力を見るようです。

 

最近、路線図を穴があくほど眺めるようになったので、まだ行ったことがない街のことも人ごととは思えなくなっています。

落ち着いたら、必ず行ってみようと思います。

 

 

ということで、散歩のキャンセルの記録でした。

 

 

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