水のあれこれ 351 奈良盆地で一本の大和川になり大阪平野へ

今回の3泊4日の前半の2日間百舌鳥古墳群から古市古墳群、そして大和川の付け替えが行われた場所のあたりまで歩きました。

事前に航空写真で確認していた時には大阪側の周濠の付近にはほとんど水田がないことがわかっていたのですが、実際に歩いてみても周濠の水面には心が惹かれるものの、用水路や水田の痕跡がほとんどない風景でした。

 

近鉄安堂駅から近鉄大阪線に乗ると水田の広がる奈良へ「早く帰りたい」という気持ちになり、山あいに入り府県境を越えるとすぐに奈良平野が見えて全く違う風景になりました。

この先にあの吉野川分水西部幹線水路が潤す田んぼが広がっています。

そして近鉄五位堂駅を過ぎると見える高台にはるばる吉野川から取水された水をさらに奈良盆地の西側へと分ける香芝の円筒分水工を感じながら、川や用水路が張り巡らされため池や水田があちこちにある風景です。

 

耳成山のそばを通り、三輪山が近づき、桜井駅に到着しました。

散歩の3日目は奈良盆地大和川沿いを歩く予定です。

 

 

奈良盆地大和川から大阪平野大和川へ*

 

大阪から奈良盆地へと向かうには、北から近越けいはんな線近鉄奈良線、JR大和路線近鉄大阪線そして近鉄南大阪線とありますが、大和川の説明を読むと、それらの路線の車窓から見える奈良盆地の川や水路はすべて大和川へと流れ込むのだと改めてわかります。

 

 奈良県笠置山地を源流とする大和川の幹川流路の延長は、68kmです。上流部では初瀬川と通称され、初瀬ダムをさらにさかのぼったところに源流位置があります。この初瀬川が奈良盆地に下ると、盆地にある多くの河川が次々と合流しながら西へと流れて行き、やがて奈良盆地を出る頃には1本の川にまとまります。これが本流「大和川」です。そして生駒山地金剛山地の間の谷部を抜けて大阪平野に出て行きます。

(「Web 風土記 ふじいでら」、「藤井寺市の川と池 ー大和川ー」より)

 

奈良盆地を出る頃には1本の川にまとまります」

これが2020年に訪ねた王寺のあたりの大和川です。

たしかに地図で奈良盆地の西側に1本の川として描かれているのですが、その後奈良盆地を頻繁に訪ねて歩くようになって、奈良盆地の小さな川から水路まで全てが集まってきていることを実感するようになりました。

そう、車窓の風景に見合える水路や川は全て大和川水系なのですね。

 

その1本の大和川は府県境を越えると石川を合流して大阪湾へと流れているのですが、かつては柏原のあたりで北へと向かい、いく筋もの旧大和川に分かれて淀川へと合流していた様子がその流路図でわかりました。

 

山の向こうの奈良から1本にまとまって流れてくる大和川に対して大阪平野側の治水や流路変更の歴史を少しずつ知ると、古墳内の村やその周囲の田んぼなどかつての田園風景を思い描けるようになってきました。

 

大阪平野大和川と旧大和川のあたりを眺めていると、また水路を訪ね歩きたくなってきました。

そしてかつての河内湾や潟の痕跡も。

山を境に風景が異なる大和川水系の、その歴史を歩き尽くしてみたいものです。

 

 

*おまけ*

 

多くの大河川は都道府県境を越えると川の名前が変わることが多いのですが、大和川は府県境を越えてもそのまま大和川で、しかも付け替えが行われたあとも「大和川」と呼ばれてきたようです。

それぞれの時代に、それぞれの地域でどんな思いでこう呼んできたのでしょう。

 

 

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