2012-01-01から1年間の記事一覧

「ペリネイタルケア 1月号」、おまえもか・・・。

助産師向けの雑誌には2誌あることを「これはないと思う『助産雑誌9月号』」で書きました。 医学書院の「助産雑誌」はどちらかというと民間療法や開業助産師の「技」のような文化的スタンス、それに対してメディカ出版の「ペリネイタルケア」は周産期医学に基…

オカルトな世界が広がる助産雑誌

年末になって「今日はちょっと黒」のタグを使うことになるなんてトホホな気分ですが、こんな内容を載せる雑誌は一旦出版を停止して編集方針を見直したほうがよいのではないかと思うくらい、「助産雑誌 11月号」は驚きでした。 「『冷え』を科学する?助産雑…

「冷え」を科学する? 「助産雑誌11月号」

無痛分娩については一旦おいて、またまた「助産雑誌」を読んで驚いたのでご紹介します。 医学書院から出版されている助産師向けの雑誌「助産雑誌」については、「これはないと思う『助産雑誌9月号』」から連続4回の記事を書きました。 代替療法に対する無批…

お産に対する気持ちを考える 5 <無痛分娩、助産師は否定的なのか?>

今回もまた「無痛分娩の基礎と臨床」(角倉弘行著、国立成育医療センター手術集中治療部産科麻酔部門主任、真興交易(株)医書出版部、2011)を参考にしながら、助産師(あるいは医師)にとって無痛分娩とはどのように映っているのか考えてみたいと思います。…

お産に対する気持ちを考える 4 <日本の無痛分娩>

前回の記事に続いて、「無痛分娩の基礎と臨床」(角倉弘行著、国立成育医療センター手術集中治療部産科麻酔部門主任、真興(株)医書出版部、2011)から日本の状況をみていきたいと思います。 「本邦の現状」(p.28〜)の冒頭部分を引用します。 残念ながら本邦…

お産に対する気持ちを考える 3 <世界各国の無痛分娩 2>

引き続き「無痛分娩の基礎と臨床」(角倉弘行著、国立成育医療センター手術集中治療部産科麻酔部門主任、真興交易(株)医書出版部、2011)から、世界各国の無痛分娩について見てみたいと思います。 <米国での現状> 「アメリカでは8割以上が無痛分娩」という…

お産に対する気持ちを考える 2  <世界各国の無痛分娩 1>

世界各国で全分娩に対して無痛分娩がどれくらいの割合で実施されているかという統計は、私のような研究者でもない臨床で働く助産師の立場ではなかなか把握することができません。 「欧米では8割が麻酔だ」「日本は遅れている」という話を聞くこともあれば、…

お産に対する気持ちを考える 1  <まだ語られはじめたばかり>

さて「医療介入とは」のシリーズはまだまだ続く予定なのですが、一旦ひと休みして、「医療介入とは 47 <再び、『主体的なお産』とは何か>の記事とすみれさんのコメントで課題にしておいた硬膜外麻酔を使った分娩について書いてみようかなと思います。 ただ…

活字中毒とリーディンググラス

今日はお産の話を離れてのひとり言です。 リーディンググラスって? あれ、あれですよ、老眼鏡。 老眼鏡どころかシニアグラスとも呼びたくない気持ちが、まだあるこの頃。 数年ぐらい前までは本当に視力だけは誇れるものがあって、近くの超細かい字でも遠く…

「救急処置」 学生時代の教科書より 、出産は母子二人の救命救急

私は、外科系と内科系の病棟で看護婦として勤務したあとに助産婦になりました。 病棟での急変の対応はそれなりに経験もしていた私でしたが、産科救急というのはまた違った怖さがあると感じながら助産婦学生時代には学びました。 産科救急の特殊性は、妊娠中…

医療介入とは 69 <出産の医療化と分娩室>

しばらく分娩台と分娩時の姿勢、あるいは快適性とは何か考えてきました。 大事なことは、分娩台だけがあっても不十分で、分娩室の中にあってこそではないかと思います。 分娩室はたしかに出産の医療化とともに作られた場所だといえるでしょう。 しかし病院や…

医療介入とは 68 <再び分娩台について>

なぜ分娩台というものが必要なのか考えているうちに2ヶ月近くが過ぎてしまいました。 このシリーズは「医療介入とは 33 <産婦さんにとって快適な姿勢>から始まっています。 最近の出産は「女性には産む力がある」「赤ちゃんには生まれる力がある」といった…

助産師だけでお産を扱うということ 4 <開業助産婦と嘱託医>

「助産師だけでお産を扱うということ 3 <産婆から助産婦へ、終戦後の離島での出産の医療化>」では、離島という特殊な状況の中で助産婦が出産中の異常をどのように医師につないでいったか、また島民が出産時に医療を受け入れるようになるまでの助産婦の苦…

現代の産椅とヨトギ  完全母子同室とか完全母乳とか

6月16日の「完全母乳という言葉を問い直す 32 <再び「母親の英知」より>」にいただいたやみゃムトさんのコメントを読んで、ふと完全母乳を目的にした完全母子同室は現代のヨトギかもしれないと思いました。 そんなわけで、今日はちょっとお産の話から離れ…

助産師だけでお産を扱うということ 3 <産婆から助産婦へ、終戦後の離島での出産の医療化>

前回は1930年代頃の信州で、近代産婆が村の出産に医療を引き入れる過程での苦労について書きました。 今回は終戦後、1948年(昭和23)に保健婦助産婦看護婦法によって産婆から助産婦へ名称が変った時代あたりについて、いままで参考にしてきたいくつかの文献…

助産師だけでお産を扱うということ 2 <出産と医療、昭和初期まで>

2012年3月25日に「助産師だけでお産を扱うこと1」として日本で助産婦が出産の責任を負っていた頃のことを書きました。 http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20120325 ずいぶんと間があきましたがその続きです。 「自然なお産」の動きの中で助産婦、特に開業助産婦…

医療介入とは 67 <分娩台への批判、1990年台後半>

1990年代初頭までは、助産所での分娩台上での「仰向け」のお産も「これこそがいいお産」と感動をもって紹介されていたことを前回書きました。 当時もすでにアクティブ・バースの影響で分娩台に対する批判があったことは記憶にあります。 主に「同じ姿勢で動…

医療介入とは 66 <仰向けのお産と「いいお産」、1990年代初頭>

前回の記事の中で、開業助産婦水落ユキ氏がご自身の助産所でアクティブ・バースを取り入れた体験談を紹介しました。 その部分を再掲します。 その講習会の後、私も実践で取り入れることにしました。うちの助産所でお産をする人は、母親学級に1回参加してもら…

医療介入とは 65 <仰向けの出産、近代産婆から助産婦へ>

近代産婆の時代になって、仰臥位(仰向け)の出産介助方法が広がったのはいままで紹介してきた資料の中にも書かれています。 そして1950〜60年代(昭和30年代)になっても地域によっては自宅分娩でなにかがあったら医師や助産婦を呼ぶような無介助分娩が行わ…

医療介入とは 64 <産婦さんがお産のあいだ横になれるということ>

しばらく近代産婆についての聞き語りや資料を見てきました。 このシリーズの発端は、「それまで産婦さんは自由に動いて出産していたのに、医療が出産に介入することによって『仰向けのお産』になり『産まされるお産』になった」ということは本当なのか、そし…

医療介入とは 63 <近代産婆の資料2 信州の産婆>

ネット上で、1900年代前半の長野県で近代産婆による出産介助が広がっていく様子が書かれたものを見つけました。 「長野県における近代産婆の確立過程の研究」 湯本敦子氏 (信州大学大学院 人文科学研究科 地域文化専攻、平成11年) http://www.arsvi.com/20…

医療介入とは 62 <近代産婆に関する資料1 開拓産婆>

自宅分娩を肯定的にとらえる文脈では、「昔は自宅に産婆さんが来て取り上げてくれた」ということが必ずと言ってよいほど書かれています。 この「産婆」さんとは誰なのか。 昔の自宅分娩における近代産婆の役割は何だったのか。 今回と次回は2つの資料から、…

医療介入とは 61 <近代産婆と急がせないお産>

昔の産婆さんのお産は自然で良かったのか。 昔とはいつの時代の、どの産婆を指しているのか。 その疑問を同じ助産師の立場から書かれたものがあります。 和田みき子さんという方のブログ「お産を待ちながら」の2008年10月26日の記事、「昔のお産は良かったか…

医療介入とは 60 <近代産婆の分娩介助、臍の緒を処理する知識と技術>

前回の記事で紹介した開業助産婦さんの聞き語りの中には、その母親が自宅でひとりで産んでいた時代のことが書かれています。 「出産の文化人類学 儀礼と産婆」(松岡悦子著、海鳴社、1985) 明治34年生まれ(1901)のその母親は18歳で初めての子を出産して以来…

医療介入とは 59 <近代産婆と仰向けのお産> 

「自然なお産」や「温かいお産」、「昔のお産は良かった」のような内容のものを読むと、一番もやもやするのが昔の産婆(近代産婆)はすばらしいと賛美する一方で、その近代産婆が社会に広めていった「仰向けのお産」を医療介入として批判している矛盾です。 …

医療介入とは 58 <旧産婆と近代産婆の登場>

前回までの記事で紹介したような「血のケガレ」による出産風俗というのはいつ頃までつづいていたのでしょうか? 「叢書いのちの民俗学1 出産」(板橋春夫著、社会評論社、2012年9月)では、青森県の史料をもとにした話が多く紹介されていますが、著者は以下…

医療介入とは 57 <明治から昭和の出産と風習>

引き続き「叢書いのちの民俗学1 出産」(板橋春夫著、近代評論社、2012年9月)から、明治以降の出産に伴う「血のケガレ」からくる風習について紹介してみたいと思います。 この夜詰めと関連して、明治中期の通過儀礼を報告した井上頼寿『改訂京都民族史』に…

医療介入とは 56  <「血のケガレ」とさまざまな風習>

1980年代以降の「自然なお産」の動きの中では、昔の産婆の聞き語りがよく用いられていました。 出産を取り仕切ってきたのは女性であったこと、医師(男性)が介入する現代のお産ではなく助産婦(女性)に出産の介助の主導権を取り戻せば、昔のような温かいお…

医療介入とは 55 <物のなかった時代のお産>

二十数年前に助産婦学生だった時に使った教科書には、約20ページにわたって「家庭分娩」つまり自宅分娩での分娩介助方法が載っています。 ちょうど助産所での分娩が見直され、さらに自宅分娩を介助する助産師も出始めてきた時期でした。 (略)家庭分娩のも…

医療介入とは 54   <昔は「自由に」動いていたのか>

アクティブ・バースやフリースタイル分娩について書かれたものには、必ずと言ってよいほど「昔は産婦さんが自由に動き回っていた」という内容が書かれています。 たとえば、11月16日の「医療介入とは 49 <アクティブ・バースとフリースタイル分娩>」で紹介…