2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧
海辺でみかけるテトラポットが登録商標であり、一般名は「波消(なみけし)ブロック」あるいは「消波(しょうは)ブロック」であることを知ったのは、1990年代半ばのことでした。 村井吉敬(よしのり)氏とその研究仲間の方たちと、あちこちのダムや公共事業…
住んでいた東南アジアのあの国でなぜあれだけコカ・コーラが広がったのか気になっていたので、図書館で見つけた「コカ・コーラ帝国の興亡」(マーク・ペンダグラスト著、1993年、徳間書房)を借りて読んだ記憶があります。 1990年代半ば頃でした。 読んで記…
Wikipediaのコカ・コーラに「コカ・コーラに関する都市伝説」があります。 謎を抱えたままと大衆に迎合されたコカ・コーラは、その謎に関する都市伝説も数多く生んだ。民間伝承(フォークロア)とひっかけて、コカ・コーラに関する都市伝説は諧謔的にコーク…
東久留米についての記憶というと、コカ・コーラがあります。 コカ・コーライーストジャパンの「工場見学」に多摩工場がありますが、その工場があるのが東久留米市です。 小さい頃、たぶん3歳前後だと思うのですが、その工場の見学をした記憶が残っています。…
散歩の番組といえば「ちい散歩」だったのですが、地井武男さんが急逝されて寂しくなりました。 その後もお散歩番組はそれぞれのキャスターの魅力や視点があるものが続いていますが、「国分太一のお散歩ジャパン」は録画して見ています。 2〜3分と短いので…
2月19日毎日新聞の記事に、「質問なるほドリ:シンクロに男子選手?」と心ときめく話題がありました。 ◇ 今夏から混合デユエット実施、五輪採用の可能性も なるほドリ シンクロナイズドスイミングに男子選手が出ているのを見たよ。女子だけのスポーツじゃな…
NHKのこのニュースへの違和感から連続して書いて来た記事ですが、もうひとつ腑に落ちなかったのが最後のこの部分でした。 このほか、げっぷが出にくい子に対して、東京助産師会は、寝かせるときに顔を横にしてしばらく様子をみることも事故防止につながると…
「思い込みと妄想」で書いてきた記事は、どちらかというと代替療法や自己啓発的な話について書いてきました。 健康や人生に対する不安が強いと、すでにわかっている対処方法は耳に入らないどころか、わかりやすい自分が求めている話のほうが受け入れやすく、…
前回の記事で私が生後2〜3日目の赤ちゃんの死亡に遭遇したのは、1980年代終わりの頃でした。 当時はまだ、臨床では乳幼児突然死症候群という言葉はありませんでした。 今思えば、乳児死亡率も下がって「健康な赤ちゃんが亡くなる」ことは身近には感じられ…
ついさっきまで元気に泣いたり笑ったりしていた人が、突然亡くなる。 それは残された人に深い悲しみだけでなく、何かをし足りなかったから一人の命を死においやってしまったという罪悪感を残します。 何年たっても、何十年たってもその罪悪感は薄まるどころ…
こちらの記事で紹介したNHKのニュースにあった「事故などで突然亡くなった人たちの死因を調べている東京監察医務院では、東京23区で平成24年までの10年間に扱った、5歳未満の子ども119人の事故死の傾向や経緯を今回、初めて分析した」という点につい…
2008(平成20)年の内閣府の白書の「青少年の成育環境」に乳児死亡に関する統計があります。 (直接リンクできないので、「乳児死亡、原因」で検索されると見つかると思います) 昭和30年代には年間7万人近い1歳未満の乳児が死亡していたようですが、現在は…
2月12日に「乳幼児の事故死、授乳後の窒息が最多」というNHKのニュースがありました。 全文は以下の通りです。 乳幼児の不慮の事故で亡くなるケースを減らそうと、東京都監察医務院が平成24年までの10年間に、突然亡くなった5歳未満の子どもの死因や経緯を…
いつ頃からペットボトルの水が売られるようになったのでしょうか? Wikipediaのミネラルウォーターの「歴史」には以下のように書かれています。 一般家庭には1983年にハウス食品『六甲のおいしい水』、サントリー『山崎の名水』が発売されたことをきっかけと…
前回の記事で、「私自身、水害の被害の記憶がほとんどなかった」と書きましたが、こちらの記事の「おまけ」に書いたように、幼児の頃に、住んでいた官舎の近くにあった神田川が氾濫したことがありました。 どこからどこへ避難するためだったのかはよくわから…
ブログのタイトルに「水」を使っているように、なにかと水のことが気になっています。 子どもの頃に「水があるのは地球だけ」と習ったような気がするのですけれど、本当だったのか気になって検索したら、宇宙情報センターのサイトに「太陽系で唯一、水と生物…
村井吉敬氏とその仲間と訪ねたダムには、新潟県と山形県境にある奥三面(おくみおもて)ダムもありました。 奥三面ダムについては、頼みの綱のWikipediaにはまとめられたものが無いようです。 村上市のホームページに奥三面ダムがありました。 奥三面ダムは…
1990年代初めの頃に、私がホームステイしていた東南アジアのある地域では、日本やアメリカの開発援助あるいは世界銀行やアジア開発銀行の融資で大型のダム建設計画があちこちで進んでいました。 その地域に住む大半の住民がその計画を知るのは、立ち退きがす…
先日の「妄想ニホン料理」のテーマは福神漬けで、中国のコックさんがハヤトウリを使おうとして店になかった場面がありました。 「あ、なつかしい!ハヤトウリだ」と、また回想の世界へ。 東南アジアで1年ほどホームステイさせてもらった時に、一緒に市場へ行…
昨日の記事で触れた八ッ場(やんば)ダムですが、なぜ1990年代の八ッ場ダムについて記憶があるかというと、実際にその建設予定地を訪れたからです。 村井吉敬(よしのり)氏とその研究仲間の方々と、埋没予定地であった川原湯温泉の養寿館を訪ね、「八ッ場ダ…
新宿といえば超高層ビル群というイメージかと思います。 私が看護学生だった1970年代終わり頃にはまだあの西新宿のビルは少なくて、その向こうにはだだっ広い淀橋浄水場の跡地が広がっていました。 子どもの頃から現在に至るまで新宿にはよく出かけるのです…
10年ちょっと前までは、テレビを持たないし観ない生活をしていました。 本を読む方が多かったので、観る時間がなかったというところです。 NHKの受信料徴収に来られると、きっとテレビを持っていないと嘘をついているように思われているのだろうなといつも…
昨日の記事で、保育所はもともと明治時代に託児所から始まったことを紹介しました。 大正時代にはスラム地域で保育所があったようですが、本格的に保育所が日本社会に広がったのは1950年代以降のようです。 ふと、気になりました。 「保育」という言葉が作ら…
昨日紹介した「乳児保育」という保育教育で使われていた教科書を読みながら、「保育」はどのように日本の社会に広がり、変化したのだろうと気になりました。 記憶に新しいのは、1999(平成11)年に、「保母さん」から「保育士さん」へ名称が変化したことです…
新生児や乳児の授乳方法について、明治以降からすでに「規則授乳」が広がっていたことや1950〜70年代に「自律授乳」が見直されていたことはこちらやこちらで紹介しました。 なぜ私は「1960年代に医療機関で出産が行われるようになってから、規則授乳や母子別…
「体温が上がると『免疫力』が上がる」と聞いただけで、「ああ、あの界隈の話しか」とピンときて眉につばをつける人の方が日本では少ないのでしょうか。 昨日に続き、朝5時台のNHKで先日放送されていた「話題」です。 どこかの小学校の校長先生が始めたこと…
日勤に出勤する前は5時頃からNHKをつけっぱなしにしていますが、先週か先々週にあのベジブロスをまた話題にしているコーナーがあって驚きました。 しかも同じ内容を同じ週に2回、放送されていました。 ただ、2回目はさらにジャーサラダまで「便利ですね」「…
父が入院している認知症専門病院は、病院に入ってから出るまで、スタッフの方々がいつも温かく声をかけてくださいます。 いつも玄関に案内の方がいらっしゃってドアをあけて迎え入れてくれ、そして帰るときもドアのところまで見送ってくださるのです。 また…