2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧
とある政治家が話題になったのはその態度についてだったのですが、最近は政治家に対する社会の目が厳しくなったことの一つぐらいで読み飛ばすところでした。 ここまで批判されるのはどんな人でどんな生き方をしてきたのだろうとそのWikipediaを読んで、あの…
一時期、渋谷の駅をつなぐ通路に「スタートアップは渋谷から」だったと思うのですが、そんなポスターが貼ってありました。 「スタートアップ」って起業のことかなと想像したのですが、具体的にどんな仕事なのか思い浮かばない心もとなさを感じました。 坂道…
「なぜレジ打ちという仕事まで私がするのだろう」ともやもやしているうちに、セルフレジはすでに「社会的失敗」という見方があるらしいことがわかりさもありなんと思いました。 いろいろなコメントを読んでいると、「なぜレジを打つ労働を購入者にさせている…
かつての二ヶ領用水が潤した田んぼだろうと思われる平地を、その水路ぞいに歩きました。 通常は下流に向かって水量が増えるのに、その先の矢上川に合流する手前のあたりで急に水量が減りました。 堰のような場所があったので、そこからどこかへと水が分けら…
散歩の出だしからまた歩きたい場所ができてしまったのですが、この日はJR武蔵小杉駅から東急新横浜線新綱吉駅まで歩く計画です。 県道2号線をまっすぐに歩くと4.9kmほどのようですが、東海道新幹線の東側を下末吉台地の端っこを蛇行しながら歩くので、だいぶ…
昨年11月中旬、お昼頃にJR武蔵小杉駅で下車しました。東海道新幹線が並走している場所だというのになんと一本も通過しません。 まあ、これから新幹線の高架橋沿いに見放題ですからね。気を取り直して改札を出ました。 散歩で立ち寄る駅前の地図は必ず写真を…
大崎のあたりのS字カーブを歩いた2週間後、今度は武蔵小杉駅のSカーブの先を歩いてみたくなりました。 武蔵小杉駅を過ぎると、あっという間にまた工場の跡地のような広大な場所が現れます。それでも2019年ごろから少しずつ変化して何かができるようです。 あ…
地図で線路を眺めていると、新幹線は気持ちが良いくらいにまっすぐですね。 このまっすぐにするためには、江戸時代なら雨が降れば数日ぐらいは渡ることができなかった大井川などをものともせず渡る橋や高架橋の技術や、安全にトンネルを造る技術で山をあっと…
このところ、日本の政治とはハリボテのような人たちによって牛耳られていたことが少しずつ見えてきました。 その混乱の中で鳴りをひそめているかのようなマイナンバーカードの行方ですが、あまりの杜撰なシステムに当然見直されることになるだろうと思ってい…
わけのわからないタイトルですね。 自分を証明するために四つの本人確認方法があることを以前知りました。 運転免許書はそのうちの「身元確認」で、信頼できる機関が発行しているので日常的な自分の証明はこれ一つで済みました。 そして無くすことや失効する…
目黒川を越えると品川用水が潤していた田んぼがあったあたりから、新幹線の車窓の両側には尾根から谷地までぎっしりと家が建つ風景が何度か現れます。 あっという間に通過していくことと、A席とE席でも風景が違うので、舌状台地末端の複雑な地形のどのあたり…
大崎周辺の高層ビルのあたりからS字カーブを抜けてきた下りの東海道新幹線がヘリポートの盆踊りの人たちの向こうを静かに過ぎていく風景をみていたら、昭和から平成そして令和の今はいつだったかとちょっと混乱する感覚に陥りました。 すぐに東急大井町線の…
大崎駅から歩き始めた時に、空を見上げたら11月初旬だというのに入道雲が見えました。暑くなりそうと思った通り、東海道新幹線沿いの起伏のある場所を歩いているうちに汗が出てきました。 ようやく少し平らな場所になり、湘南新宿ラインの踏切を渡ると今回の…
品川駅を出てすぐのS字カーブのあたりを歩きたいとずっと思っていたのは、新幹線の線路沿いの地形や地域の歴史を歩いてみたいと思う理由と、もう一つありました。 そのものずばり、第一三共研究開発センターのそばを歩いてみたいというものです。 夢は叶いま…
昨年11月は晩秋というのに熊の活動が各地で活発で近場の散歩になり、初旬に武蔵野台地の舌状台地を確認しながら新幹線を眺めようと出かけました。 大崎から西大井まで線路沿いの地域を歩き、西大井からは立会川の暗渠部分を歩こうという計画です。 *大崎駅…
「すでに東海道新幹線の東京駅から多摩川まではほとんど歩きました」と豪語したのですが、実はまだ片側だけだったり気になっていた場所は歩き尽くせていません。 遠出をする時には品川駅から乗車することが多いのですが、出発するとすぐに左手の切り通しの上…
深谷のねぎ畑は壮観で美しく、そして岡部駅へ向かう途中のブロッコリー畑もそして本庄市の備前渠用水のそばのブロッコリー畑も10月下旬の秋の日差しの中でそれはそれは美しいものでした。 あちこちを散歩をしていると、ほんとうにブロッコリー畑が増えたこと…
備前渠用水路の年表を読んでいた時に、Wikipediaに書かれている1828年(文政11)の用水路の復旧について「漸く取り入れ口の復旧が開始される」という一文でつまづきました。 「漸く」はなんと読むのでしょう。 難しい字でもなく「漸次」で日常的に目にしてい…
散歩をするようになって、水辺にはさまざまな案内板があることを知りました。 それを読むだけで、まるでそこが歴史資料館であるかのようにその地域の歴史や地理が浮かび上がるように見えてきます。 これもまた博物館制定法以降1950年代から60年代ごろの各地…
備前渠用水路のそばに立つ大きな石碑は一見新しく見えたので戦後のものかと思ったのですが、裏に回ると昭和7年(1932)のもののようです。 わずか90年ぐらい前の方々は、難しい漢字や言葉を使われますね。 碑文の一番上に禾黍油油のような4文字が彫られてい…
氾濫原だった集落を抜けて堤防の上に出ました。 青々とした川面が見えると思ったのですが河川敷は防水林で覆われていて、どこが利根川かそして並行して流れる御陣場川かもまったくわかりません。 林を見下ろすように堤防の上を歩いていると、少し先に水門ら…
ブログを書き始めてから、いつか頭の中を整理して書いてみたいと思っていたのが今日のタイトルです。 渋沢栄一氏の「我が人生は実業にあり」の「実業」はどんなイメージだったのだろうと想像しているうちに、少し雲が晴れてきました。 コトバンクの「精選版…
散歩の1日目のメモを読み返していたら今回の散歩はなんと「前夜急遽決めた散歩だったが大満足」と書き残していました。 そうでした。前日なのでもうホテルは取れないかなと思いつつ予約できたので決行し、本庄に宿泊。 見晴らしの良い部屋から新幹線の高架橋…
美味しい煮ぼうとうに満足し、渋沢栄一氏の生家から駐車場のトイレの中まで、渋沢栄一氏の生きた時代について考える場所でした。 13時20分に散歩を再開し、いよいよ「血洗島」という地域へと向かいました。 薬師堂を曲がると、昔懐かしい住宅地と広い畑に祖…
ニュース記事に忽然と「背骨勉強会」なんて言葉が表れたので、びっくりしました。 自民党の人材養成組織「中央政治大学院」が中堅や若手議員などに向けた勉強会を4日から開始する。党派閥の政治資金パーティ収入不記載事件を受けて6派閥のうち4派閥が解散を…
「渋沢栄一が好んだ煮ぼうとう」を食べたら気が変わって生家に立ち寄ったのですが、その駐車場にもまた渋沢栄一氏の説明がありました。 我が人生は実業にあり。 渋沢栄一 天保十一年(一八四〇)豪農、渋沢市郎右衛門の子として誕生。昭和六年(一九三一)九…
渋沢栄一氏の生家の隣にあるお店で、煮ぼうとうを食べることにしました。 ほうとうといえば山梨県ですが、子どもの頃に山梨を訪ねて食べた記憶があります。母の好みに合ったようで、その後時々食卓にのぼるようになったのでした。野菜がたっぷり入ってかぼち…
たしか「ブラタモリ」で深谷の回があった記憶があるのですが、2021年5月1日の放送だったようです。 「埼玉・深谷〜"近代日本経済の父"はなぜ深谷で生まれた?〜」 渋沢栄一の原点はふるさと・深谷にあった!?その秘密をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす!…
20分ほど遅れの湘南新宿ラインに乗り、休日の遠出は車窓の風景に集中できるグリーン席を奮発して出発しました。 2階席の眺めは、いつもの沿線の風景がまた違って見えるのも面白いですね。 住宅が密集して崖線もわからなくなった都内の風景から荒川を越え、北…
深谷へ向かうのに渋谷駅から湘南新宿ラインに乗るつもりでしたが、どこかの駅で人が転落したとのことで大幅に遅れていました。 列車を待つ間、ぼーっと渋谷駅にたたずんでいると、あの山手線の外回りと内回りのホームを一緒にするための線路付け替えで歴史的…