沼津駅から9時45分のバスに乗り、江川町バス停で下車しました。 東側から流れてきた狩野川がぐいと南へと向きを変えて「細長いSの字」のように流れたあと、河口へ向かって西へ曲がるあたりから我入道地区のようです。 電柱には「ここの地面の高さ 海抜2.5m」…
下土狩駅のホームで列車を待っていると、かすかに東海道新幹線の走行音が聞こえました。ここからわずか300mほど南側を通っています。 黄瀬川周辺を歩くようになって、東海道新幹線が三島駅をすぎるとすぐにあっという間に通過する黄瀬川を見逃さないようにし…
念願の牧堰の取水口を訪ねることができて満足し、そこから南西へと流れる水路沿いに少し歩いたあと、県道22号線が黄瀬川にかかる大きな橋を渡りました。 振り向くと、秋晴れの中、富士山は雲の中でした。刻々と雲が変化するので、富士山全景を見ることができ…
城山神社のあるあたりは黄瀬川のすぐそばですが、川よりもかなり高い場所に街や田畑が続いています。 水路があり10月でも豊かに水が流れる水音が聞こえてきますが、地図で見るとこのあたりは愛鷹山麓の川から水を得ているのでしょうか。 蔵や小さな堰のある…
朝のノーベル経済賞のニュースからちょっと寄り道をしましたが、私がなぜブログを書きながら頭の整理をしているのか少し課題が見えたような気がしました。 20代の頃の植民地主義から新植民地主義へと変わっていったあの当時はどういう時代で何が見えていなか…
すり鉢状の渋谷駅周辺ですが、国道246号線と首都高3号線の高架橋がぐんと上って西へと向かう途中の南側の地域が南平台(なんぺいだい)です。 「あの日」以来、南平台に岸元首相の邸宅があったことをしばしば目にするようになりました。 10代終わり頃から渋…
ノーベル経済学賞についてはその後ほとんどニュースにならなかったのですが、日本が「敗戦国から先進国入りした時代」の雰囲気がわかる記事がありました。 「あの日」から統一教会関係の記事を追うようになったのは、私の世代がまだ歴史として学ぶには近すぎ…
昨年10月中旬の深良用水と狩野川を歩く散歩の二日目の朝、ホテルでテレビをつけながら支度をしていると、ノーベル経済賞が「植民地時代の搾取についての研究」だと聴こえてきてあわてて画面を見ました。 ノーベル委員会 「国家間の所得格差を是正することは…
深良用水の展示と深良地区の資料に満足して歩き始めました。 JR御殿場線の岩波駅と裾野駅のちょうど真ん中あたりで、裾野駅まで直線距離でも2~3kmはあるでしょうか。 計画ではさらに長泉なめり駅まで歩くつもりでしたが空腹でしたし、久しぶりの遠出の第二弾…
深良用水特別展示室に満足し、こうした内容の資料がないかたずねたところ、すぐ近くの裾野市生涯学習センターなら何かあるかもしれないと教えていただきました。 国土交通省が発行した深良用水通水350年記念の資料がありましたが、残念ながら非売品のようで…
富士の裾野を下りながら田んぼを眺めて歩いた時にはゆったりした下り坂に感じたのですが、県道394号線を裾野市民文化センターへ向かって100mほど北へ戻るときには息が切れそうに感じました。 雄大な富士山の麓ですね。 2022年2月に水仙が咲き、雪を抱いた富…
10時14分の三島行きに乗り、富士岡駅から一駅の岩波駅で下車しました。 駅から南へ歩くと、2022年2月中旬に訪ねた「一級河川 深良川」があります。 真っ青な秋空に真っ青な水面、相変わらず美しい流れです。 前回はここから黄瀬川の方へと歩きましたが、今回…
こんこんと湧く泉が、黄瀬川左岸の高台の田んぼへと流れている江戸時代からの用水路を眺めて満足し、黄瀬川を渡って対岸の県道394号線沿いに富士岡駅へと戻ることにしました。 交通量が多い道路ですが、沿道には蔵や白壁と石で造られた壁がある大きな屋敷が…
小田急ロマンスカーの終点の御殿場駅で下車し、目の前に停車しているJR御殿場線に乗りました。 通勤通学の時間が終わり、車内はガラガラです。 秋晴れの空、雲ひとつなく富士山が見えています。お天気に恵まれました。 二駅で目的の富士岡駅です。ホームに立…
小田急線は子どもの頃から馴染みのある鉄道だったので、その沿線の風景の記憶がけっこうあり、近くを散歩するたびに記憶と現在を行き来しています。 さらにここ数年、全国の川や干拓地を歩くようになって各地の鉄道に乗る機会が増えて、その歴史に関心が出て…
3ヶ月の猛暑から解放された10月中旬の早朝、小田急線の新宿駅へ向いました。 途中の電車内のテレビに馬の絵が映し出され、手先が器用だった父が描いた数々の馬の絵や木の鉛筆立ての回想に浸りました。 もう跡形もなくなってしまいましたが、とっておけばよか…
昨年の3ヶ月の猛暑は遠出の計画を考える気力をも削ぐものでしたが、リハビリ的に1泊2日で千曲川から信濃川を歩いたところ、また行きたかった場所が次々と思い出されてきました。 2022年2月中旬に深良用水とその神様らしい神社を訪ねました。 芦ノ湖から人力…
2024年12月27日に久しぶりに母乳バンクの記事があったので読んでみましたが、「母乳バンク、知らない人ほど『自分以外の母乳を与えることに抵抗感』 小さく生まれた赤ちゃんを救う」(withnews)というタイトル通り、「他の人の母乳を我が子にあげることに抵…
久しぶりの「母乳のあれこれ」です。 時々、「母乳バンク」についてのニュースが流れてきます。昨年12月27日にもまた話題がありました。 1500g未満の早産児・極低出生体重児には母乳が良いが、人工乳によって壊死性腸炎のリスクが高くなるので母親の母乳が得…
なんと充実したただひたすら千曲川から信濃川へと川と水路と潟を訪ねる2日間だったと、上堰潟公園を出ました。 あとは巻駅に戻って新潟駅へ向かって帰るだけですが、バスがくるまで時間があるので、一つ手前の松山バス停まで歩いてみようと思いつきました。 …
岩室駅からのんびり歩いていたら、残念ながらもう一つの巻郷土資料館に立ち寄る時間がなくなってしまいました。また次回の宿題ということで。 巻駅前から11時50分のバスに乗り、西へと水田地帯を走り、途中で北へと向きを変えて潟の山裾沿いを走ります。稲穂…
地図の中の水色が交差する場所の歴史を知ることができ、大通川放水路のサイフォンの部分を眺めました。 地図ではここから西川の右岸に沿って集落が描かれています。 実際に訪ねてみると、「古川原工業団地」で十数件の工場がある案内図がありました。 確かに…
地図で見つけた山を貫く排水路らしい施設が樋曽山隧道で、かつては「岩室村樋曽」だったようです。 地図でその水色の真っ直ぐな排水路とともに「樋曽」という地名があったことも、この場所に関心が出たきっかけでした。 「樋」 私がブログを書き始めた2012年…
大通川(おおどおりがわ)放水路の名前がわかったので帰宅してから検索してみると、今までも各地の農業と治水・利水のまとめを読むことができた「水土の礎」の「新川ー期 農業水利事業」に詳しい説明がありました。 その中に、あの岩室民俗資料館で見た江戸…
岩室民族資料館の展示とこの地域の雰囲気に満足して、西川沿いをまた歩き始めました。 次に目指すのは、今回は断念した、山を貫通した排水路らしい場所の東側にある、その水路と西川がサイフォンで交差している場所です。 和納(わなみ)の住宅地を抜けると…
岩室民俗史料館で撮らせてもらった写真の中に、戦争中の話が額に入って展示されていました。 生きるための米を没収された悔しさ 母・姉妹で知り合いの横曽根から米を譲り受け、それぞれの米を背負い歩いて山道に入る。当時間瀬に入る道は一本道、戦時中統制…
岩室民俗史料館の展示物の量に圧倒されながら、私は目指す地図や写真を見落とさないようにと見学しました。 なかなか見つからないので「潟がわかるような古地図はありますか」と尋ねると、「それとは関係ないかもしれませんが」とその場所へと案内してくださ…
岩室民俗史料館には運営協力友の会があるようで、立派なパンフレットがありました。 風景の中に先人の歩みを遺して この地には、先人が残した自然や産業・民俗があり、史料館には長い歳月をかけて収集した往時のなごりが展示され、学べる資料館となっていま…
今まで聞き流してしまっていたのでしょうか、年も押し詰まると政治の世界は色々とニュースがありますね。 まるで歳末バーゲンセールのような気軽さで。 今年もまたありました。 「自民裏金議員、5人を起訴猶予 特捜部、65人一斉不起訴」(2024年12月26日、KY…
無人駅の岩室駅の前はひっそりとしていましたが、消雪パイプが通る茶色い道が続き、駅前の小さな公園も夏草がきれいに刈られて整備されています。 公園の一角に「良寛歌碑」と案内板がありました。 良寛は、和納の医師楽斎と友人であった。この為、鳴琴堂(…