2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

医療介入とは 57 <明治から昭和の出産と風習>

引き続き「叢書いのちの民俗学1 出産」(板橋春夫著、近代評論社、2012年9月)から、明治以降の出産に伴う「血のケガレ」からくる風習について紹介してみたいと思います。 この夜詰めと関連して、明治中期の通過儀礼を報告した井上頼寿『改訂京都民族史』に…

医療介入とは 56  <「血のケガレ」とさまざまな風習>

1980年代以降の「自然なお産」の動きの中では、昔の産婆の聞き語りがよく用いられていました。 出産を取り仕切ってきたのは女性であったこと、医師(男性)が介入する現代のお産ではなく助産婦(女性)に出産の介助の主導権を取り戻せば、昔のような温かいお…

医療介入とは 55 <物のなかった時代のお産>

二十数年前に助産婦学生だった時に使った教科書には、約20ページにわたって「家庭分娩」つまり自宅分娩での分娩介助方法が載っています。 ちょうど助産所での分娩が見直され、さらに自宅分娩を介助する助産師も出始めてきた時期でした。 (略)家庭分娩のも…

医療介入とは 54   <昔は「自由に」動いていたのか>

アクティブ・バースやフリースタイル分娩について書かれたものには、必ずと言ってよいほど「昔は産婦さんが自由に動き回っていた」という内容が書かれています。 たとえば、11月16日の「医療介入とは 49 <アクティブ・バースとフリースタイル分娩>」で紹介…

医療介入とは 53 <赤ちゃんを「取り上げる」こととトリアゲバアサン>

赤ちゃんを「取り上げる」。よく耳にする表現です。 昔の無資格の産婆さんのことを「トリアゲバアサン」とも呼んでいました。 私自身はほとんど使わないのですが、助産師になって二十数年にして初めてこの「取り上げる」という表現の由来について最近知りま…

医療介入とは 52 「分娩第2期のケア」学生時代の教科書より

お産が始まって陣痛を乗り越える分娩第1期には、昔から「産婦のとるべき体位、姿勢の原則はないので、産婦が最も安楽だという体位にまかせればよい」という認識が助産師にはあり、教育の中でもそのように教えられていたことを前回の記事で書きました。 その…

「分娩第1期のケア」学生時代の教科書より

お産で入院した産婦さんにどのように具体的に対応するのか、二十数年前に学んだことを昨日に続けて振り返ってみようと思います。 日本看護協会出版会の「母子保健ノート2 助産学」(1987年)からの引用です。 ちなみに編者は青木康子氏、内山芳子氏、加藤尚…

「産婦の快適性」助産師はどのように教育されるのか

「産婦の快適性」について、助産師はどのように教育されてきたのでしょうか? 私が二十数年前に助産婦学校で使った教科書、「母子保健ノート2 助産学」(日本看護協会出版会、1987年)を参考に振り返ってみようと思います。 とても基本的でよいことがたくさ…

医療介入とは 51 「終始自由な体位」とはなにかー分娩第1期

分娩進行中に自由な姿勢をとれることが産婦さんの快適性を高める、という点に関しては反論は出てこないのではないかと思います。 今日は、分娩進行の中の分娩第1期の産婦さんの自由な姿勢と快適性について考えてみたいと思います。 <「自由な姿勢」の主張の…

医療介入とは50 「仰向けのお産」は医療者の都合?

アクティブ・バースやフリースタイル分娩について、医学的あるいは看護学・助産学的には統一した定義はまだなさそうです。 「医療介入とは 49 <アクティブ・バースとフリースタイル分娩>」で紹介したように、フリースタイル分娩では「産婦の身体や精神を抑…

「看護の本質」というタグをつくってみます

いつの間にか「医療介入とは」で始まるタイトルが50近くになってしまいました。 ブログを訪れてくださる方も、「あれ?まだやっている」とタイトルを見ただけでお腹がいっぱいになられているかもしれないとひそかに心配しています。 「医療介入とは」は、…

医療介入とは 49 <アクティブ・バースとフリースタイル分娩>

「アクティブ・バース」や「フリースタイル分娩」とは、具体的にどのような内容を指し、何を求めているのでしょうか。 11月6日の「医療介入とは 41 <主体的なお産とはどのようなことか>」の中で厚生労働省科学研究の「科学的根拠に基づく快適で安全な妊娠…

医療介入とは 48 <再び、「主体的なお産」とは何か>

長々と主体的なお産という表現について考えてきたのですが、そもそも妊娠・出産に関することに「主体的」という表現を使うこと自体が矛盾を含んでしまうと思います。 主体的・・・自分の意思・判断に基づいて行動するさま (YAHOO!辞書より引用) あくまでも…

医療介入とは 47 <「自分で産む」という表現>

妊娠・出産そして育児というのは、「努力や準備をしてもどうしようもないことがある」ことを痛感させられる機会ともいえるかもしれません。 それまでの自分1人の人生なら、がむしゃらに努力したり計画的に準備をすればそれなりに結果が出ることも多かったか…

医療介入とは 46 <「産ませてもらう」と感じる時ー出産編>

前回の記事で、妊婦さんに対して医療者側が「『産ませてもらう』と思っている人」に通じる気持ちを抱くのは、妊婦さんが妊娠・出産に対しての見通しがうまく立たないときの言動ではないかと考えていることを書きました。 そして医療者側と妊婦さんの見通しの…

医療介入とは 45  <「産ませてもらう」と感じる時ー妊娠編>

医療者側にとっては、妊娠した女性が前向きに妊娠・出産そして育児までに必要な知識を得て準備してほしいという期待があります。 それが危険な状況を回避し、より順調に過ごすための最低限のことだと医療者側は考えます。 危機的な状況とは妊娠・分娩に伴う…

医療介入とは 44 <「産ませてもらう」と感じる時は?>

私の助産師生活も、できるだけ医療介入をしないことや正常なお産は助産師だけで介助できるということにこだわったり、代替療法的なものや考えもそれなりに取り入れたりしていたので、いやはや人のことは言えませんと思いつつこのブログを書いています。 ただ…

医療介入とは 43 <「産ませてもらう」お産>

昨日の競泳ワールドカップも楽しかった! 応援していた古賀淳也選手も2位、酒井志穂選手も3位、それそれ日本選手の中ではトップに戻ってきたので来年の世界水泳が楽しみです。 そしてハンガリーのカティンカ・ホッスー選手にはまた圧倒されました。 400m個…

競泳ワールドカップ東京2012

「主体的なお産」とは何か書きますと意気込みながら、競泳の話ですみません。 昨日と今日の2日間、東京の辰巳国際プールで競泳ワールドカップが開催されています。 http://www.japan-swim.com/swc2012/index.html これは10月初旬にドバイから始まり、世界…

医療介入とは 42   <主体的なお産とはどのようなことか>

「自然なお産」や「アクティブバース」「フリースタイル分娩」などには、必ずと言ってよいほど「主体的なお産」という表現がでてきます。 それに対して「分娩台」というのは、「主体的なお産」の対義語的な「受身のお産」「産まされるお産」などのメタファー…

医療介入とは 41 <お産と重力>

お産の進み方は、当たり前ですが本当にひとりひとりそれぞれです。 ひとりひとりというようりは、分娩時には母体と胎児のペアですから一組一組と言った方が正しいでしょうか。 分娩介助の経験を積めば、「このお産はこんな感じで進むだろう」と入院時や途中…

医療介入とは 40  <分娩台に対する感じ方のあれこれ>

私の二十数年の助産師生活は、分娩台をどうとらえるかという時代の変化にも大きく影響されました。ちょっと大げさな書き方ですか。 分娩台は医療者側の都合のためであり産婦にとってはメリットがないような意見を見ることが増えて、「ごめんなさい。うちは分…

医療介入とは 39 <畳や床の上のお産、清潔と不潔>

前回の記事で書いたように、分娩が終わった後の分娩室に血液のあとが残っていないように徹底した清掃をする私です。 とても清潔好きかというと、職場を離れるとそれほどでもないと思います。 家の掃除も手抜きです。 住んでいた東南アジアの某国の雰囲気が好…

医療介入とは 38 <畳の上のお産について>

畳というと「畳の上で死にたい」と表現されるように、「自宅」の隠喩とも言えるかもしれません。 それはできるだけ心穏やかな状況を求めている気持ちなのではないかと思います。 現実的にはどうでしょうか。 たとえば、私の両親も高齢になり足腰が弱くなった…