2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧
1980年代頃からの、母乳のための食事についてはいくつかの流れがあるのではないかと考えています。 ただ、1980年代前半というと私自身はまだ20代前半でしたし、産科には全くといってよいほど関心がなかったので、今回は1980年代終わり頃からの記憶…
1980年代終わり頃に助産師になった当時、母乳育児に関する助産師向けの実践的な専門書は皆無といってよいものでした。 その頃に勤務した総合病院は、当時でもまだまだ珍しい母子同室、入院中にはミルクを足さない(足させない)方針の施設でした。 分娩後、…
こちらの記事で、母乳と水分摂取に関してどのようにお母さんに説明するか、案外、教科書や文献にも書かれていないことを書きました。 では授乳中の食事はどうでしょうか? 「Q&Aで学ぶ お母さんと赤ちゃんの栄養」(「周産期医学」2012年増刊号、東京医学社…
産後に良い食べ物、特に母乳を出すための食べ物と言われてきたものは文化的にいろいろあるようです。 韓国や中国などの方の入院が時々あります。 産後に母国から手伝いにいらっしゃったお母さんが、毎日のように食事時になにかを運んで来られることがしばし…
ぽむぽむさんの「母乳育児に成功した理由」の中に、「事前に勉強していた」として次のことが書かれています。 ・よい母乳にするための食事のこと ・水を2リットル以上飲むことなど 「よい母乳」やそのための食事についてはまた改めて書いてみようと思います…
さて、またぽむぽむさんの「母乳育児で悩まなかった理由」の内容について引き続き考えてみようと思います。 ぽむぽむさん、ありがとうございます。 上記の記事の中に以下のように書かれています。 ●帝王切開だった 帝王切開だと母乳が良く出る人が多いそうで…
1980年代の看護の中で、交流分析という心理学の一方法がしばしば研修などで取り入れられていました。 心理学については専門知識はほとんどないので、現在この交流分析が心理学の領域でどのように評価されているのかはわかりません。 私も1980年代にこの交流…
母乳関連の話題はまだ続きますが、テクニック的なアドバイスやノウハウを書くことよりも、私はむしろなぜそういう「行き違いが起こりやすいのか」という視点から考えたいと思っています。 とりわけ赤ちゃんの世話が始まる入院中の数日間というのは、とても短…
10年近く定期購読している「通販生活」の表紙や内容に残念な思いが積み重なってきたので、今期限りで購読をやめようかと考えています。 カタログハウスのお店が近かったこともあって、いくつか購入した商品がけっこう優れものだったことが購読のきっかけでし…
経産婦さんの産後2〜3日ぐらいで強いおっぱいの張りは、だいたい1日で改善していきます。 ただ、赤ちゃんがまだ生理的黄疸がまだやや強めに続いている場合などは深い吸い方が少なく、お母さんの母乳の生産よりも消費の方が少なくなりやすいのか、数日ぐらい…
産後2〜3日目に起こる強いおっぱいの張り。 思い出しても恐怖を感じられる方もいらっしゃることでしょう。 「お産が終わって、もう痛いことから解放された」と安堵していると、傷や後腹(あとばら)の痛みがあり、そしてこのおっぱいの張りがとどめを刺すか…
「母乳が出すぎて困った」という方がたまにいらっしゃいます。 本当に「水を飲んだだけでも張ってくる」こともあり、「困った」を越えた恐怖感が湧き上がるような状態で悩まれる方もいらっしゃいます。 「母乳分泌過多」とか「母乳分泌過多症」と臨床では表…
ぽむぽむさんの「母乳育児に成功した理由を考えてみました」の中で、「母乳が出すぎると、今度は乳腺炎の心配」があったことが書かれていました。 母乳が出すぎると、今度は乳腺炎の心配が。 私は、退院後しばらくして、産褥入院したのですが 産褥入院したと…
桶谷式マッサージを受けた方からは、「マッサージの後にはおっぱいが『つきたてのおもち』のように柔らかくなる」という表現がよく聞かれます。 実際に桶谷式マッサージの後は、本当におっぱい全体が柔らかくなることは私も実感しました。 そして乳輪も乳頭…
妊娠中に乳頭マッサージなど「お手入れ」をしましょうと説明された方は多いのではないかと思います。 あるいは、積極的に乳頭マッサージを取り入れていない施設もあると思いますが、前回のぽむぽむさんのように妊娠中のイベントや雑誌なのでそういう情報を知…
母乳について書き始めると力がはいっちゃいますね。 ということで、今日は一休み。 こちらの記事で一時期なんちゃってヴェジタリアンだったことを書きましたが、ヴェジタリアンをやめたことはまだ書いていませんでした。 あまりはっきりした記憶もこれといっ…
産後の乳房と母乳分泌がどのように変化していくのか、案外、標準化されたものは見つかりません。 たとえば、産後、刻々とおっぱいが変化していく状況というのは文字でなかなか表現しずらいものですし、さらに初産と経産ではまったく状態が違います。 乳房の…
自律授乳という言葉が使われ、母子同室が取り入れられ始めた1990年代の母乳育児支援は今思い返しても本当に混沌とした状況でした。 ■日本全体の看護実践を把握する組織がない 1990年代、母児別室・規則授乳をそのまま続ける施設と、母児同室・自律授乳を基本…
昨日の記事で紹介した私の助産婦学生時代の教科書には、ラッチオン ポジショニングと同じ内容が、きちんと書かれています。 1980年代の教科書です。 g.授乳時の姿勢 乳児の小さいうちは、毛布やクッション、枕などを児の体の下にいれて高さを調節する。乳児…
日本の産科施設で、母乳育児支援はどのように変化してきたのでしょうか? わずかに手元に残る教科書や資料をもとにした回想ですので、記憶違いの点もあるかと思いますが、私が看護職になってからの変化を思い出してみようと思います。 50歳前後から上の世代…
今回は、ぽむぽむさんのブログ記事「母乳育児に成功した理由を考えてみました」であげられているいくつかの「理由」について考えてみようと思います。 お母さんひとりひとりの状況も考え方も違うし、新生児もひとりひとり違います。また産科スタッフの授乳支…
こちらの記事にコメントをくださったぽむぽむさんに約束をしていた記事を書こうと思います。 ぽむぽむさん、おまたせしました。 そして、私にとっても久しぶりの「完全母乳という言葉を問い直す」シリーズです。 ぽむぽむさんは、「妊娠出産をただただ記録す…
「母乳育児支援スタンダード」(日本ラクテーションコンサルタント協会、医学書院、2009年)では、途上国で粉ミルクが広がった様子と理由が以下のように書かれています。 1960年代のアフリカは独立したばかりの新興国家が多く、政府の機関は体制が貧弱なため…
1970年代に医師の問題提起によって始まった途上国における粉ミルク販売への批判から40年ほど過ぎましたが、その間に医療の中でも大きな変化がありました。 それは1990年代に広がった「根拠に基づいた医療」です。 私にはとてもこの言葉の全体像を説明できる…
1970年代以降、どのような理由で途上国で粉ミルクを使うことが問題とされてきたのでしょうか? wikipediaのネスレ・ボイコットに、途上国での粉ミルクの「問題」が以下のようにまとめられています。 ●人工ミルクの使用により、本来母乳が十分に出る母親の母…
1980年代に2年間の難民キャンプでの任期を終えたあと、「背後カロリー」の考え方に影響を強く受けた私は、肉を食べないベジタリアンになりました。 それとともに、自分が贅沢な生活をしている先進国側に生きていることに強い罪悪感を感じるようになったので…
途上国で粉ミルクがどのような影響を与えたのかについて語られてきたことをもう少し具体的に見ていく前に、多国籍アグリビジネスに対する批判のひとつとしてネスレ・ボイコットが行われ始めた時代、そこにはどんな考え方があったのか自分が影響を受けたことか…
「ネスレ・ボイコットまでの経緯ー医学的議論はあったのか」で紹介した「母乳推進運動と人工乳の販売促進を規制する運動の歴史」年表では、1938年にシシリー・ウィリアムズ氏が加糖練乳について「ミルクと殺人」と講演をしたあと、一小児科医による粉ミルク批…
1977年にはじまったネスレ・ボイコット、それは多国籍アグリビジネスの粉ミルクを買わない、買わせない運動といってもよいかもしれません。 前回の記事で紹介した「世界の母乳育児推進と人工乳の販売促進(マーケティング)を規制する運動の歴史」年表からも…
前回の記事で紹介した「母乳育児スタンダード」(NPO法人日本ラクテーションコンサルタント、医学書院、2009年)の「世界の母乳育児推進と人工乳の販売促進(マーケティング)を規制する運動の歴史」という表を、今回はもう少し細かく見ていこうと思います。…