観察 する 55 <観察の方法が積み上げられた時代>

前回の記事で紹介した「東京の公園の歴史を歩く」の、「都市の肺」という公衆衛生の側面から公園が生まれたことについて、以下の部分で「ああ、何かそれは違う」としばし考え込みました。

ただしその配置の考え方は、公衆衛生という観点から排水状態の悪いような土地を選ぶなど、「瘴気論」というその後科学的には否定されるコレラ等の伝染病の要因説に基づいて土地を乾燥・浄化しようとするものであった。欧米の都市を含めて19世紀に公衆衛生のために上下水道の整備が進んだのも瘴気論に基づいており、今ならトンデモ科学とされるようなものが現実の社会を変えていったことは興味深い。


トンデモ科学が現実社会に組み込まれたのではなく、観察からうまれた仮説を長い時間をかけてふるいにかける科学的なシステムがあるからこその医療・医学、公衆衛生なのではないかと。


例えば、こちらの記事で引用したように、17〜18世紀ぐらいではまだ壊血病の原因がビタミンCであることもわからず、壊血病が倦怠感を引き起こしているのに「なまけ者がかかる病気」と原因と結果を取りちがえる、今では信じられないほど未熟な医学でした。


<トンデモではないもの>


医学史は不勉強なのですが、この17〜18世紀あたりまでというのは「観察の方法」が積み上げられていた時代だったのかもしれないと想像しています。
その後、19世紀に入ると看護についてもフローレンス・ナイチンゲールが観察することの重要性を言語化したのだと思います。


こちらの記事の途中でその「看護覚え書」の目次を紹介しましたが、「換気と保温」「部屋と壁の清潔」あたりがまだ唯一、当時の感染症への予防策だったのではないかと思います。


「瘴気論」が否定されたのは、それが「トンデモ」だったからではなくてWikipediaの「否定する考え方」の「1876年、ロベルト・コッホ炭疽病の病原体と推測されていた炭疽菌が実際に病原体であることを、実験で証明した。その後も次々と感染症の病原体が発見され、瘴気は否定された」というように、病原菌を次々と確認できる時代になったのでしょう。


冒頭で引用した筆者が「トンデモ」を「ニセ科学」と同義語で使われたかわからないのですが、この瘴気論が否定されたあたりの時代は、「現代を生きるための科学リテラシー(ニセ科学問題と科学を伝えることなど)」(菊池誠氏)の「ニセ科学でないもの」(p.17)を読むことで、私の中では整理ができました。

●間違っているだけではニセ科学ではない
  ●科学の手続きに従った上での間違いは「単なる間違い」
未科学ニセ科学ではない
  ●未科学を科学的事実とするとニセ科学
●科学かどうかは「手続き」
  ●ニセ科学的な題材でも科学的な研究はしうる
●「メカニズムがわかない」からといってニセ科学とは限らない
  ●再現性がある客観的事実は科学的事実


瘴気論の詳細は知らないのですが、長い目でみると現代医療へとつながる、科学的な観察方法と議論が培われていたのではないかと思えるのです。



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