丹那トンネルの殉職者慰霊碑を訪ねた時のメモにこんなことを書いていました。
小田急沿線、山肌まで家ぎっしり。相変わらず小さい部屋。
人口減少を問題にするが、今まで生まれた人は大事にされたか。
今の今まで、人口が増えても生活が成り立つような仕事もなかったではないか。
誰かを貧困、奴隷にして成り立つのであれば、人口を増やすより先に今いる人がまず充実した人生を送れるようにしなければならないのではないか。
子どもの頃から乗っている小田急線で、かつては駅周辺の賑わいがうらやましいと思っていたのですが、当時は駅周辺以外はひと気のない田畑や山の風景が続いていました。
ほんの半世紀ほど前は資源の少ない日本でたくさんの人口は養えないといっていたことが嘘のように小さいながらもそれぞれの家を持つことができ、教育も医療も受けられるようになったのかもしれません。
崖っぷちに家を立たせる技術もあるかもしれないし、かつてないほど多くの人が一戸建てを求める時代になったり、後継者不足や相続税対策で農地を宅地にしたという状況もあるかもしれないし、土地や家を持った者がちのような時代だし、家だけでなく生活全てにローンを利用することが当たり前のようになったとか時代のさまざまな変化からできた風景ですね。
*人口の増減を「人口問題」とすることが問題*
では1億2000万人に増えた一人一人の人生はどうなのだろう。
土地を相続した人以外は、1970年代80年代ごろまでは「余剰人口」として男性であれ女性であれ出稼ぎや移民が奨励されていた時代もありました。
1990年代になると逆転して日本は海外からの移民を受け入れるようになりましたが、かつて世界のあちこちへ国策として移民していった人たちが「日系」として受け入れられたり、エンターテイナーや「ジャパゆきさん」あるいは農村の嫁不足のための国際結婚という形だったり、その後は「研修生」と形を変えながら労働力不足や出産する人を確保することでした。
2013年にその「ジャパゆきさん」や「出稼ぎの女性化」を書いてわずか10年、最近、まさかの「日本では生きていけない。稼げない」と海外へ働きに出る雰囲気が出てきました。
中には海外での「性的な労働」を目的にする人もいるようです。
国民総大学進学化とも言える時代に借金をしてまで高学歴化したというのに、自国では生活もできない人が増えた上に、円安だけでなく労働対価が低い国になってしまいました。
「少子化対策」というと高齢者と対峙させる話ばかりですが、これまで人口が急増した時に国はどうしていたかの歴史が振り返られることがないですね。
結局は使いやすい労働力だったり、戦力(兵員)を確保したいのだろうと思えます。
「産めよ増やせよ」から一転して人口が増えすぎることに対しての「産児制限」の時代になり、そしてまた「産めよ増やせよ」と言われる。
人口問題を語る政策に対して、「国の政策で増やした人口は幸せにできたか」と今までの失敗の歴史に慎重になった方が良さそうですね。
ヒトの歴史は、「自分が大事」なように「他の人も大事」であり、生まれたひとりひとりが大事にされなければならないというあたりまで進歩しているはずだと思うのですけれど。
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