出産の正常と異常について考えたこと 1

前回の記事にhaccaさんがコメントをくださいました。ありがとうございます。

どんなことでもあるところまでは正常、それがある時異常に転ずるということでしょうに。


私も日頃「正常分娩」「異常分娩」という表現を使っていますが、haccaさんのコメントを機に「正常」と「異常」をもう少し深く考えてみようと思いました。



「正常な妊娠経過」「正常な分娩経過」という表現が使われますが、そのより正確な表現は、「今のところ明らかな異常や問題はなさそう」ぐらいのニュアンスです。


さらに詳しく表現すれば、「今のところ現在解明されている明らかな異常や問題はなさそう」ということになります。



<まだわかっていない「異常」がある>


私が助産師になって2年目の時に、妊娠33週の妊婦さんが胃痛を訴えて来院されました。血圧が異常に高くなっていたので大学病院へ搬送しましたが、赤ちゃんは胎内で死亡、産婦さんは腹腔内の大量出血で転院先で亡くなられました。


妊娠後期の「胃痛」「血圧上昇」といえば今は当然HELLP症候群を考えながら対応しますが、当時はようやくその疾患の概念ができ始めた頃で助産婦学校でもまだ教わってはいませんでした。


血栓塞栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)、GBS(B群溶血レンサ球菌)感染もA群レンサ球菌感染も、まだ教科書にも載っていませんでした。
帝王切開後はじめて歩き出したときに産婦さんが突然亡くなることがあるらしい」「妊婦さんが風邪のような症状から、急激に全身状態が悪化することがあるらしい」など、うわさでは聞いてはいたのですがまだまだ「疾患」として診断・治療法が明確になるまで数年は必要でした。


そういうわけで二十数年前に助産婦学校で学んだ「異常」に比べて、格段に異常は増えました。


つまり、妊娠・出産の中ではこれが正常と定義できるものはなく、まだまだわかっていない異常がある状態だと言えるでしょう。


<妊娠は病気ではないから正常なのか>


妊娠の10ヶ月で3kg前後の胎児を育てるための、母体の変化は病気ではないけれども正常な状態とも言えないとつくづく思います。


胎児を育てるために循環血液量がおよそ1.5倍に増える、それは正常な状態といえるのだろうか。
母体の体温よりも高い38℃近い子宮を体内に保持している、それは正常な状態といえるのだろうか。
胎児という母親にとっては異物となる生命を体内に保持している、それは正常な状態といえるのだろうか。
母子が別の血液型の場合、異型輸血に匹敵するようなリスクを体内に保持している、それは正常な状態といえるのだろうか、などなど。


分娩時の母体の変化もまた然り。
少し考えただけでも、驚異的な変化の連続です。


妊娠・分娩中の母体の変化というのは、「正常」とか「疾患でない(健康)」では表現しきれない特殊な状態ではないでしょうか。


<妊娠分娩を表現するならば>


やはり「母と胎児の二つの生命がいつでも救命救急を要する状況になり得る状態」というのがふさわしいのではないでしょうか。


そして「結果的に問題がなかったので正常な妊娠・出産だった」と振り返って総括することはできても、経過途中で「正常」とは言えないということですね。


妊娠出産にはこんな(怖い)こともあるのか、というケースはもちろんそれほど頻度が高いわけではないと思います。
毎年、日本のどこかであるいは世界のどこかで少しずつ起きた珍しい症例から研究が積み重なり、新たな異常の概念として私たちは対応可能になっていきます。
HELLP症候群が、今は産科異常の常識的な知識になったように。
帝王切開術後の初回歩行時に起きる肺血栓塞栓症に対する予防法が確立してきたように。


新たに産科異常として報告されると、今までそんなことが起こるとは考えもしなかったけれどその症例に当たらなかったのは単に運がよかっただけだったのだといつも身が縮む思いです。
まだまだ知らない異常が起こり得る、そう考えるとやはり妊娠出産は「正常」とは表現できない状態だと思います。


産科に勤務して産科異常を経験しても、なぜ「妊娠・出産の大半は正常に終わる」と思えてしまうのでしょうか。
そのあたりを引き続き考えてみたいと思います。





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