水のあれこれ 352 環濠集落

ここ数年、奈良盆地のパッチワークのような田んぼとため池を歩きつくせないかと地図を眺めているのですが、いつだったか「環濠集落」という言葉を見つけました。

私の人生では初めて目にする言葉です。

 

地図を拡大したり縮小したりして妄想の散歩をしていた時なので、一瞬で見失い、どこだったのかまたわからなくなりました。

そのうちにまた見つけました。近鉄田原本線沿線に「保津の環濠集落」とあり、今回の散歩ではぜひ訪ねてみたいと思っていました。

周濠とか環濠とか、水に関する用語を学ぶことが多い奈良県です。

 

*保津の環濠集落へ*

 

近鉄線は違う路線の駅が離れていることが多いのですが、ここも近鉄橿原線田原本駅近鉄田原線西田原本駅が50mぐらい離れた場所にあります。

 

その北側の二つの路線が並走する場所の二つの踏切を渡り、北へ300mほどのところを西へと曲がると水田地帯が広がり、その先の集落が目指す環濠集落のようです。神社があるのでしょうか、小さな森が見えました。

 

水路に沿って畦道を歩きます。午後になり風が冷たくなって来ました。

1月中旬、田おこしがすんでいる田んぼもあります。麦を植えるのでしょうか。

 

一見、普通の集落に見えるその場所は水路に囲まれた中に住宅が集まっているようです。

保津の環濠集落

 農家は古くから条里制と環濠集落の中に生活した。環濠の形態は様々であるが、保津のものは最も単純な形式で、集落全部を環濠しており、一部支濠を持つものもある。環濠内部は迷路が多く、内部からの出口は限られていて、これを木戸と呼び、明治中期まで門番を置いて引き橋がかけられていた。農産物や家財道具を外敵から防ぐための農家の小さな城であった。

 

「ほつ」と読むようです。

古くからの家並みも残り、静寂な集落内を少し歩かせてもらいました。

 

 

*どこか懐かしい環濠集落*

 

最近知った「環濠集落」でしたが、歩いてみるとどこか懐かしく感じるのは水路があるからでしょうか。

 

奈良盆地の環濠集落について書かれた説明がありました。

近畿地方、とくに奈良盆地を中心に見られる特殊な集落形態で、幅4~5メートルの濠(ほり)(堀)を人為的に堀り巡らした集落。城壁と外堀を巡らした一般の城砦(じょうさい)都市をさすのではない。その起源は明らかでないが、中世の社会不安の時代に、村落民が自衛のために堀を掘って村落を防御した名残(なごり)とされている。しかし、奈良盆地の村落の環濠は、条里の溝渠(こうきょ)に基づいて、それを中世に拡大したものもあるとすれば、古代にまで起源をさかのぼることも考えられる。また、奈良盆地は夏には降雨が少なく、水不足が生じやすかったので、環濠に灌漑(かんがい)水を蓄えて利用したことも、奈良盆地に環濠しゅうらくが残存した一因ともいえる。

コトバンク日本大百科全書(ニッポニカ))

 

同じコトバンクの「世界大百科事典」に「主な分布地域は、大和盆地、河内平野、山城盆地南部、湖東平野および佐賀平野の底湿地である」とあり、「山川 日本史小事典」では佐賀県吉野ヶ里遺跡も環濠集落であると書かれていました。

 

ああ、どこか懐かしいと感じたのは、海水から淡水を得るために水路が複雑に張り巡らされた佐賀平野のクリークを重ね合わせていたからでした。

 

 

方法は異なっても水を得るために気が遠くなるような時間をかけて来たことに、歩くたびに世界が広がる水田地帯ですね。

 

 

 

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