もう一歩たりとも歩きたくないと思ったのに、平城宮跡の心が広々とする風景と、どこ歩いても歴史を知ることができそして幻のため池や水田が見えたことで何だかもうひと頑張り歩けそうな気がしてきました。
1月中旬、少し日が長くなって日没の17時9分までまだあと1時間ちょっとあります。
予定では巻向駅で下車して箸中古墳の周濠をみたいと思っていたのですが、さすがにこれは無理そうなので、三輪駅から宿泊先の桜井まで「1.7km、約23分」のひと駅を歩くことにしました。
2022年11月に晩秋の山辺の道から大神神社までの水田地帯を歩いた時のあの美しさに、いつか三輪周辺をもっと歩いてみたいと思っていました。
*三輪の神々しい風景*
15時58分にJR奈良駅から万葉まほろば線に乗り、三輪駅で下車し西口へ出ました。参拝客の多い東口の大きな駅舎とは違い、西口はこじんまりとしています。そばに大きな木があり、鄙びた駅舎にちょうど夕日が当たって、なんとも神々しい風景でした。
駅前の商店街を抜けて、三輪児童公園の前の道を歩きました。
ひっそりと神社があり、ふらりと立ち寄って読んだ御由緒にまた「かなわないなあ」と思いました。
日本最初市場 三輪坐 恵比寿神社由緒略記
御由緒
当神社は八重事代主命(三輪明神の御子神)他二柱を奉斎し、日本最初の市場海柘榴市(つばいち)の守護神として、悠久の昔創祀せられ「つばいちえびす」と称えられエビス信仰の本源をなす大和の古社であります。
顕幽両界に亙って働かれるご神徳が敬仰されています。
事代主神(ことしろぬしのかみ)とか「海柘榴市」とか「亙(わた)って」とか、街を歩いているだけで歴史と漢字の勉強になりますね。
地元の酒蔵もある静かな古い街並みで、家の前の水路にはきれいな水が流れています。
ふと1960年代ごろの近所を歩いているような気持ちになりました。当時は、日本の文化から西欧的なものへと魅力を感じていた時代の雰囲気だったので気づかなかったのですが、なんとすてきな街並みがあちこちにあったことでしょう。
長い間、手入れをして守ってきたものには代え難い魅力があるものですね。
この日の朝に歩き始めた大和川のそばに出ました。
ちょうど橋を渡ろうとした時に夕陽が沈み始め、橋と大和川一帯が黄金色に輝きました。
まさに神々しい風景です。
橋は「昭和橋」で、朝通った時には寒風の中近くの堤防の改修工事が行われいました。今日の仕事が無事に終わって、工事に携わる方々が帰った後でした。
古代からこうして大和川の両岸を守ってきたのですね。
*振り返ると三輪山*
大和川左岸へと橋を渡ると神明社の鎮守の森があり、集落の中の道を南へと曲がると田んぼが見えてきました。
真冬でしたが、水路には勢いよく水が流れています。
あの大和朝倉駅まで歩いた時に、仏教伝来の地の少し上流にあった堰からの水路のようです。
大和川の水によって潤されてきた田んぼの、いつか田植えから稲刈りまでさまざまな季節の風景も見てみたいものです。
ふと後ろを振り返ると、夕日に輝く三輪山が田んぼの向こうに見えて鳥肌が立ちました。
もう「神々しい」としか表現しようがない風景でした。
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