生活のあれこれ 43 同じ時代だったはずの半世紀

山々と川と田んぼが夕日に照らされる神々しい風景に、古代から同じような風景を眺めながら生活をしてきたのだろうかと、疲れているはずなのにふわふわとした足取りでホテルへと戻りました。

 

テレビをつけると古墳群の展示や木造建築密集地域の防火対策のニュースをしていて、ああやはり私は奈良にいるのだと実感しました。

そうそう、環濠集落のある田原本町は靴下の生産が盛んで、能登半島地震の被災地へ靴下を送るニュースもありました。

 

朝は1度だったけれど案外奈良の冬は寒くないし、ツルボが咲くのを見逃さないように、そして周濠や水路を歩き回るのに奈良に住む夢も難しくないかもしれないと思いましたが、雪の奈良は未経験ですしね。

まあやはり奈良に引っ越すのは叶わない夢ですけれどね。

そんなことを考えていたら、高齢者の屋内での低体温症に注意というニュースがありました。

どの地域でも最近高齢者の低体温症は注意喚起されているのですが、古い家屋を維持している落ち着いた街並みではさらに寒いかもしれないですね。

 

半世紀以上前の私の子どもの頃の祖父母の家を思い出すような家屋ですからね。

みなさん、どう対応しているのでしょう。

 

 

*同じ半世紀のはずだったのに*

 

 

 

この半世紀は日本の住宅は驚異的に変化した時代で、ひとりに一部屋からひとりに一軒まで可能になり、崖っぷちのような場所から水辺のような場所まで家が建つようになりました。「家を持つ」かどうかが人生の大事な部分になっていった半世紀ですね。

 

ところが遠出をするようになって、水田が健在なのと同じように半世紀前の住宅がどっしりとあって、きっとまた半世紀後も同じ風景を維持しているのではないかと思う場所が多いことを知りました。

 

同じ半世紀のはずなのに、何がここまで違うのだろう。

神々しい夕日に輝いていた街並みを思い出してちょっと眩暈のような気分になったのでした。

 

 

*おまけ*

 

今日のタイトルは「時空を超えて」にしようかと思ったのですが、改めてその言葉を検索すると案外と説明がないことを知りました。

自己啓発の流れで使われているようですから、あぶないあぶない。

唯一、Weblio類語・同義語辞書に「時間や空間の隔たりを飛び越えてくるさま」という説明とともに「異次元からやってくる」とありました。

 

ああ、やはり自分探しの世代が政治家になって国を動かすようになったから、「異次元の」なんていう政策が出てくるのだと思わぬところでつながりました。

 

 

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