カンガルーケアを考える 8 <カンガルーケアの具体的な安全対策?>

<カンガルーケアの具体的な安全対策とは?>


カンガルーケア・ガイドラインの「正期産児に出生直後に行う『カンガルーケアー』」をもう一度書き出してみます。

健康な正期産児には、ご家族に対する十分な事前説明と、機械を用いたモニタリングおよび新生児蘇生に熟練した医療者による観察など安全性を確保*注6 した上で、出生後できるだけ早期にできるだけ長く*7、ご家族(特に母親)とカンガルーケアを実施することが薦められる。
*注6  今後さらなる研究、基準の策定が必要です。
*注7  出生後30分以内から、出生後少なくとも最初の2時間、または最初の授乳が終わるまで、カンガルーケアを続ける支援をすることが望まれます。


1.機械を用いたモニタリング


ガイドラインの「機械を用いたモニタリング」というのは、経皮的動脈血酸素飽和度を測定する機械(サチュレーションモニター)のことです。新生児では手のひらや足の指に小さなセンサーを貼って、血中の酸素濃度をモニターします。
出生直後の呼吸状態が不安定な時期に呼吸を止めたり、何らかの原因があって酸素濃度が下がるとアラーム音で知らせます。


カンガルーケアをしていない施設であれば、このサチュレーションモニターを正期産児に装着するのは赤ちゃんの皮膚色が白っぽかったり、紫色だったり、あるいは異常呼吸が出ているとき、新生児仮死でしばらく厳重な観察が必要な時ぐらいだと思います。


カンガルーケアを実施するには全員の赤ちゃんにこのサチュレーションモニターを装着する必要がある、というのは何か「ただならぬ」状況に感じるという感想しかありません。
まして、「カンガルーケアをしなくても出生直後の不安定な状態は同じである」というのであれば、今すぐに全ての赤ちゃんに装着する必要があるという意味にもなってしまいます。が、現実にはそこまでのモニター(医療介入)の必要性はないと思います。


またこのようなモニター類は危険を知らせるアラーム音が設定されています。新生児のサチュレーションモニターも、赤ちゃんが少し動いただけでも正確な数値を感知できずにアラームが鳴ります。
それに対し、ガイドラインの評価メンバーからは以下のような意見も出されたようです。

機械的モニタリングが母子相互関係を阻害する可能性について危惧する意見も見られました。(2008年5月)

「医学的ケア」が前面に出てしまうと出生直後のカンガルーケアを通して動く「自然のプロセス」が妨げられる意見も寄せられました。(2008年7月)

赤ちゃんが動くたびに、あるいはお母さんが動いてもサチュレーションモニターのアラームが鳴るわけですから、落ち着かないことこのうえないですよね。「自然なお産」で出産しても、とても不自然な状況と感じる方もいらっしゃるでしょう。


でも「うるさいから」といって、アラーム設定をoffにすることは医療安全上許されません。あるいは、アラーム音に慣れてしまって、鳴っても「また動いたからでしょう」と深刻に受け止めなくなりやすくなる危険性もあります。今までも医療機器のモニター音に関しては、うるさいからとモニター音をoffにしたり、鳴っても駆けつけなかったために重大な医療事故が起きて報道されています。


ちなみにこのサチュレーションモニターのプローベ(赤ちゃんにつけるシール状のセンサー)は、1個7000円ぐらいします。使い捨て製品なので、30分から2時間程度の使用のために7000円です。もちろん命のためですから値段ではありませんが、カンガルーケアの明確な効果の根拠もなく「やってみたい」だけで安全策として確立もされていないことに7000円のコストをかける。なんだか無意味で贅沢な医療というのは言いすぎでしょうか。
WHOがカンガルケアーの手引きを出して推奨しているとしても、世界中でサチュレーションモニターという安全策を受けられる赤ちゃんはとても限られてしまい恵まれた国だけということにもなるでしょう。


2.新生児蘇生に熟練した医療者による観察


これは全ての分娩に必要なことです。スタッフ全員でなくても、少なくとも一人でも蘇生に熟練したスタッフが時間内にいることは大事だと思います。


ただし、前回フランスの調査にあるとおり、出生直後の赤ちゃんの急変というのはかなり頻度が低いものです。
新生児仮死の蘇生を対象にした「新生児蘇生術」に熟練することは大事ですが、通常は新生児仮死や出生直後からの異常呼吸などなければその後は観察による異常の早期発見が第一だと思います。だいたいは無呼吸で顔色が悪くなっていることで発見できるでしょうから、まずは泣かせて呼吸させるという簡単な「蘇生」です。
それに対して、カンガルーケアの事故調査では、「心肺停止」「新生児一過性多呼吸」「低体温」「低血糖」などが報告されているので、ただ「新生児蘇生術」だけではなく全身管理の必要性が出てきます。


通常、新生児に一過性多呼吸、低体温、低血糖などがあれば子宮内感染の可能性も考えて、髄液検査(腰椎穿刺)、血液培養、血管確保して抗生剤投与と厳重な管理を行う場合もあります。免疫の不十分な新生児は、一気に敗血症や髄膜炎を起こして危険な状況になるため、諸検査の結果を待たずに治療を開始していきます。


事故調査報告の中で一過性多呼吸、低体温、低血糖などを起こした児が、たまたま子宮内感染を起こしていた児であったのか、カンガルーケアによってそのような症状が出たために全身管理を必要とする状況になったのかはわかりません。
でも後者であるとすれば、元気に生まれた赤ちゃんにしたらカンガルーケアは命がけの「ケア」であったということです。


また、カンガルーケアの事故調査報告にあるように、「転落しそうになった」という危険性もあります。カンガルーケアをしていなくても抱っこだけでもそれは起き得るので、お母さん(あるいはお父さん)が抱っこをしている時にはスタッフはそばを離れないようにするというのは大事です。


それでも分娩後の後片付けや入院中の他のお母さんや赤ちゃんのケアも同時にしなければならないし、分娩が重なる時もありますから、安全のためにはお母さんと赤ちゃんのそばを離れるときには温めたコットに赤ちゃんを寝かせて無呼吸センサーマットを使用しています。


カンガルーケアを安全に2時間実施するためにずっとそばで見守るスタッフが必要となるのであれば、たとえば私の勤務先のクリニックでは誰か一人スタッフを呼び出すしかありません。
もしお産が重なったら、さらにもうひとりカンガルーケアの安全のためにスタッフが必要ということになります。


うちのクリニックでは、分娩が重なったり緊急帝王切開の時には安全を最優先にしてスタッフを呼び出すシステムにしています。
仕事が終わってほっとしてようが、夜中や朝方で眠っていようが緊急の呼び出しで皆駆けつけてきてくれます。そのあと通常勤務で、20時間近い連続勤務も珍しくありません。
他の診療所はどのようなシステムかわかりませんが、産科というのはこういうマンパワーで支えられているのだと思います。


カンガルーケアのためにスタッフの呼び出しをするほどの人的余裕はありません。
カンガルーケアになんらかの効果があって日本全体で進めるような方向であるならば、その前に施設側が実施可能な状況であるかどうか詳細な調査をして欲しいと思います。
おそらくどこの施設も、カンガルケアー以前に通常業務でさえもっと人手が欲しいし、そのための人件費が必要という回答になることでしょう。
効果が明確でないカンガルーケアであるとすれば、意味のない贅沢だと思います。




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