事実とは何か 109 熱海市伊豆山土石流災害

熱海駅から来宮駅まで歩き丹那神社と慰霊碑を訪ねたあと、初川沿いに海岸沿いまで歩き、また急な上り坂を熱海駅まで戻ったので、距離的にはそれほどではないのですが「膝が笑う」ような疲労感でした。

 

そうそう、途中で「ゼンリン」の方とすれ違いました。ああやって足を使って地図を作っていくのですね。ほんと、「平和でなければ地図づくりはできない」ですね。

 

*バスで逢初川水系をぐるりとまわる*

 

熱海駅に戻り、14時42分の伊豆山循環のバスに乗りました。市街地を出るとすぐに海岸線になり、定年後の方たち向けのマンションでしょうか、数人が下車しました。

 

逢初橋のところでぐんと東海道本線東海道新幹線の高架橋が近づき、「通行止め」が見えました。あの災害のあと、いつも新幹線の車窓から見逃さないようにしているのですが一瞬で過ぎてしまう場所です。

しばらく北東へ国道135号線を走ると、途中で「つの字」に曲がりながら県道102号線へと曲がりました。

 

そこからぐいぐいと急カーブの続く上り坂になりました。

通常の大型バスが、細い道沿いに張り付くように建っている家の軒先をかするように登っていきます。対向車とすれ違うことも多く、ドキドキしながら乗りました。ちょっとアクセルの踏み方がゆるければ後ろへ滑り落ちていきそうです。

あちこち遠出をするようになって、細い道も坂道もものともせずに運転している各地の路線バスの運転手さんの技術に敬意が増すこの頃ですが、もしかしたらこの路線が日本一ではないかと思うほどでした。

 

どんどんと見晴らしの良い場所になり、14時50分伊豆山神社前で下車しました。父とのつながりが何かわかるだろうかと立ち寄ったのですが、見上げるような石段に百数十段で挫折しバス停に戻りました。

 

こんなに急峻な地域だというのに、路線バスが1時間に2本もあります。

15時7分にバスに乗ると、すり鉢状の地形を山肌に沿って反対側の尾根のような場所へと走ると、一面茶色の土のままの場所がありました。

尾根を越えるとまた下り、そして上って熱海駅に到着しました。

 

 

*「熱海市伊豆山土石流災害」の記憶*

 

2021年7月3日、土石流の映し出された動画が拡散されていて、発生直後に見ました。「伊豆山」そろそろ訪ねてみようと思っていた矢先でした。

そしてその3日ほど前には児島湾干拓地を訪ね、10日ほど前は佐賀の干拓地を訪ね、この場所を新幹線で2週間に2往復していた時にもGPSでこのあたりかなと確認していたのでした。

2021年のカレンダーを引っ張り出してみたところ、3日のところに「伊豆山土石流」と書き込んでいました。

 

こんな急峻な川の流れのそばを通過していたのかと改めて驚いたことと、高架橋は無事で翌日には運転再開していたことも驚きました。

当時の記憶はもうあやふやになっているので確認してみたら、たまたま事前に新幹線と東海道本線は終日運転見合わせになっていたようです。

 

そしてあの動画に映し出されていた濁流は高架橋をすり抜けていたという記事がありました。

新幹線の橋の下、すり抜けた土石流…専門家「大きな被害出ていたかもしれない」

山中に伸びる土石流の跡は岩盤がむき出しになり、下流側では新幹線の線路脇に大量の土砂が押し寄せていた。国生(こくしょう)嗣治・中央大学名誉教授(地盤災害工学)が5日、読売ヘリに搭乗し、静岡県熱海市の土石流現場を上空から視察した。

国生さんが注目したのは、海岸近くを走るJR新幹線。雨の影響で災害発生前から運休しており、土石流も大部分が鉄道橋の下をすり抜けたとみられる。

ただ、土砂の一部は線路沿いにたまっており、「より多くの土砂や木々を巻き込んでいれば、橋にせき止められて線路にあふれ、大きな被害が出ていたかもしれない」と指摘した。

上流側の谷筋では、土石流が通った幅が比較的狭いことが確認できた。周辺の木々があまり巻き込まれず、下流への流出が少なかったとみられる。土石流の跡には、表層の土砂が削り取られて岩盤が露出していた。(以下、略)

(読売新聞、2021年7月5日)

 

 

*逢初川も過去に「甚大な水災害は記録されていない」*

 

Wikipedia 熱海市伊豆山土石流災害がまとめられています。

熱海市伊豆山土石流災害(あたみしいずさんどせきりゅうさいがい)は、2021年(令和3年)7月3日午前10時半(JST)頃に、静岡県熱海市伊豆山地区の逢初川で発生した大規模な土砂災害である。災害関連死1名を含む28名が死亡した。最多時は約580人避難し、建物136棟が被害を受け、2022年6月時点で被災地は原則立ち入り禁止となっている。

 

映像でもたくさんの家が建っている様子で、「土石流の幅が狭い」割には大きな被害が出たようです。

 

当時はなぜあの急峻な場所に家が多いのだろうと思っていました。

ところが「しずおか河川ナビゲーション」の「逢初川(あいぞめがわ)水系」の「治水事業の沿革」にはこう書かれていました。

*過去の水害

伊豆地方・熱海市においては、狩野川台風(昭和33年(1958年))をはじめ、度重なる台風・豪雨災害に見舞われてきましたが、逢初川(伊豆山地区)においては甚大な水災害は記録されていない。

 

そして「歴史」では「伊豆山地区では1万年ぐらい前には人々の居住が始まり」とありました。

 

当時被害の状況が少しずつ伝えられる中で、「建設残土」「盛土」を耳にすることが増えました。

被害が拡大した原因として上流山間部の違法盛土の崩壊があり、さらにその後の調査で国や自治体の杜撰な盛土規制と大量の違法盛土が全国的に存在していることが明らかになり、盛土規制の大幅強化へと発展した。

 

専門的なことはわからないのですが、こうしたニュースから自然災害というよりも人が関与していた「事故」とも言えそうな災害という印象になりました。

だましあうような社会になってきた、そんな自分が生きてきた時代を映した災害なのでしょうか。

 

 

*おまけ*

 

現在のMacのマップではあのすり鉢状の被災地に「逢初川」が描かれていません。上流と海側には水色の線があるのですけれど。

暗渠になっていくのでしょうか。残された住宅地を守るためのどのような工事が続けられているのでしょうか。

バスの車窓から見た限り、川を見かけなかったような気がするのですがすでに記憶が曖昧です。

 

 

 

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