境界線のあれこれ 41 <学歴よりも専門職がさらに経験を深めていくための場を>

1990年頃を境にして、これからの看護職も大卒の学歴が必要になるという「雰囲気」が強まったように感じます。


当時、一緒に働いていた20代、30代の同僚の中にも大学卒の資格をとるために、大学に入ることを決意した人もいました。


大学といっても、看護学部に入りなおすわけでもなく、看護学部に臨床経験がある人を受け入れる場所もなく、別の分野、たとえば教育とか経済、心理などを学んで大学卒の学歴を得ようとしていました。


看護以外の視野を広めることも大事なことですし、決してそれが無駄になることはないとは思いますが、せっかくの臨床経験を深めるような学問の場はなく、学歴を得ることが目的となっていました。


特に、師長や看護部長などを目指す人は、その後大学卒の看護師たちとやりあっていかなければいけないことへの不安から、大卒の学歴を求めていたような印象を受けました。


私も大学を受けるかどうか少しだけ悩みましたが、看護以外の勉強にエネルギーをとられてまで大学で学びたいものもありませんでしたし、管理職は避けたいという思いが強かったので大学を受けることはやめました。


<他国との看護教育課程に編入できない>


一度だけ、「大卒という学歴があったら・・・」と思ったことがあります。


それは、1980年代半ば、まだ日本で看護教育の大学化が本格的になる前のことでした。
私が助産師を目指したのは、インドシナ難民キャンプでカナダ人とオーストラリア人のシスターと一緒に働いたことがきっかけでした。
医師のいない難民キャンプで分娩介助をしているシスターたちをみて、「国際医療協力の母子保健にかかわりたい。そのために助産師になろう」と思ったのでした。


オーストラリア人のシスターから彼女の出身校なら外国人も入学できると勧められ、英語で勉強できてオーストラリアの資格を取れば世界中で働きやすいかもしれないと、大きな夢をいだきました。


帰国してすぐに、翌年には助産師学校へ進学するための準備を始めました。


ところが、オーストラリア大使館であっけなくその夢は破れました。
「日本の看護教育の単位は大学とは異なるので、オーストラリアには編入できません」とのことでした。



何か別の方法もあったのかもしれませんが、若い頃はせっかちですから、とにかく早く助産師になりたいと考えて国内の助産師学校へ進学したのでした。
結果的には、それが良かったと思っていますが。


<専門職がさらに専門を深めていける場を>


20代後半から30代は中堅として、看護や助産実践をさらに深めていける時期です。
目の前の事象をより深く観察しそこに潜在する問題点に気づいたり、仮説をたててさらによい看護を組み立てていく力が磨き始められる頃ではないかと思います。


管理職、教育や研究に進みたいと思う人もいると思います。
あるいは看護師として働いて初めて、助産師や保健師になりたいと思う人も多いことでしょう。


臨床に出て、実際に働き出してみて見えてくることではないかと思います。


そういう時に、もう一段上って学びなおしたいと思う人に門戸が開かれているような看護の高等教育への編入の機会を充実させていくことのほうが、大学化をあせるよりも先だったのではないかと私には思えます。


臨床実践の経験をもっと深めるように学びたい、あるいは深めたものをまた臨床へ活かしたい。
そう思っているダイヤの原石のような人は、たくさんいるのですけれど。
宝の持ち腐れかもしれませんね。




「境界線のあれこれ」まとめはこちら