思い込みと妄想 5  <不安と退屈へのあてがいぶちの解決策>

「思い込みと妄想」は「パソコンをMacに変えた」という唐突な題から書き始めましたが、ここで言いたかったのは最後の方の「専門用語がわからないからわかりやすさを求める」ということでした。


「代替療法と妄想」では、「妄想」とは「ちょっとした思いつきが思い込みになり、荒唐無稽な話が現実味を持ってその考えを支配してしまう」ようなものではないかと私の考えを書きました。


さらに健康や生活への不安について、そういう妄想は専門用語の形新しい疾患や情報をたくみに取り入れて近づいてくるのではないかというところまで書きました。


代替療法ニセ科学的を考える中で、「不安」というのは大事な点であると思います。


もうひとつは「退屈」があるかもしれないと思うのです。


<待つ事に耐えられない>


たとえばこちらの記事に書いた生後1〜2ヶ月頃にピークになる脂漏性湿疹も代替療法の入り口になりやすいかもしれません。


おそらくアトピー性皮膚炎への不安、そこからアレルギー性疾患の長期的な対応が必要になることへの不安があるのだろうと思います。


不安もひとそれぞれで、養育者ご自身がアレルギー性疾患で苦労された方などはむしろ現実的な経過と対応策をイメージしやすいのかもしれませんが、「友人の子どもで大変だった話を聞いた事がある」となると不安は増幅して行く可能性もあります。


とりあえず脂漏性湿疹は2〜3ヶ月頃までには大半が落ち着くので、皮脂や汚れを落として保湿しながら様子をみて改善しないなら小児科へと説明しているのですが、もしかしたらこの「2〜3ヶ月様子を見る」、変化を待つということが耐えられない一面もあるのかもしれません。


それこそ時間が経つのが速い年代とは違い、20代、30代の養育者にすれば、2〜3ヶ月というのは退屈になるぐらいの長さなのかもしれません。


「何かしていないと落ち着かない」という不安もあるのかと思います。


そんな時に、代替療法(効果が実証されていないもの)は近づきやすいのではないかと。


<何かをしていないと落ち着かない>



妊娠・出産も、「何かしていないと落ち着かない」長さかもしれません。


そういえば学生の頃は、10ヶ月の妊娠期間をとてつもなく長く感じましたし、その後の子どもを育てる期間はさらに気が遠くなるような長さで、「よくみんなそんなに長い期間を耐えられるな」と思っていました。


今は、「あらついこの間、妊娠初期だったのにもうお産の時期なのね」「ついこの間上の子を出産したような気がするけれど、もう3年たったのね」という速さなので、もしかしたら妊娠する年代の女性とは感覚が違ってしまったのかもしれないと思います。


「それをしてもしなくても結果はかわらない」あるいは「結果はわからない」のに、妊娠・出産・育児の周辺にいろいろな代替療法や「セラビー」の類いがあふれるのは、もしかしたら「何もしないで過ごす」ことに耐えられない年代ということもあるのではないかと最近思っています。


時間が長く感じ、退屈には耐えられない年代ですからね。


<何もしてもらえないことに耐えられない>


最近、日本の分娩の半数を担ってきた産科診療所に関心があるので、あちこちの施設のホームページを見ています。
ここ10年ほどで、高級ホテルかと思うような施設やサービスを謳ったところが急激に増えてきた印象です。


私の勤務先は硬膜外麻酔による無痛分娩が選択できることは「売り」の一つかもしれませんが、それ以外は特にこれといったものはありません。


アロマもエステも、豪華なフルコースの食事もないし、妊娠中のマタニティエクササイズの教室のようなものもありません。
マタニティヨガはあるのですが、効果があるというよりは初産婦さんの友だち作りの機会という受け止め方です。これも助産師が提案したのではなく、近所に教えたい人がいたからなんとなく始まったといった理由のようです。


助産師外来」もありません。妊娠中のことこまかな保健指導類もありません。
「こうすれば自然なお産ができる」「こうすれば母乳がよく出る」といった説明もしません。
そうなることが確実にわかっていることは今のところないからです。


そのかわり、「この妊婦さんには今、このかかわりが必要そう」ということを見逃さずに話しかけるようにしています。
経済的な問題、あるいは産後のサポートなど家族関係に調整が必要そう、あるいは精神疾患既往や前回の出産や育児で今回の妊娠に不安がある方などです。


やってみないとわからないし、その時々に必要なケアをする。
そして必要な時には、こちらも全力を尽くして一緒に考える。
それでも、「こんなことがあるのか」と次へと生かしていく必要のある新たな経験が増えていきますが。


ケアに対する思い込みを削ぎ落として行くと、そうなるのではないかと思うのです。


でもこれってきっと「何もしてくれない」ように見えるのかもしれません。


「何もしないで待つことに耐えられない」
そして「何もしてもらえないことに耐えられない」人と、「何かをしてあげないと耐えられない」助産師などが代替療法的なものを必要とするのではないかと思うこのごろです。


それはあてがいぶち、「与える側で適当にみはからって渡す金やもの、またはそうした与え方」(goo辞書)の解決ともいえるかもしれません。






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