記憶についてのあれこれ 28  <退屈に耐えられない>

最近、目が覚めるのが早い高齢者型の生活になりました(笑)。


3時4時とかに目が覚めるとそのままブログを書き始めることもしばしばです。
以前だったらそれぐらいの時間に目が覚めてもすぐにもう一度眠くなって、気づいたら8時10時ということもあったのですが、今はシャキーンと起きられます。


そしてそれだけ早く起きてもなぜか昼寝をしなくても大丈夫になり、いろいろなことをする時間が増えました。
「早起きは三文の得」・・・のはずなのですが、とにかく時間が過ぎるのが早く感じるようになって予定していたことの半分もできないままのこともあります。


「なぜ年をとると時間が経つのが速いのか」と検索してみたら、そのまんまの題の本が1990年代に出版されていてびっくり。
さらにこちらの70代の方の回答、「若い時は、一日の中で沢山の事ができましたが、今は1個か、数個だけのような気がします」にそうそうとうなずいてしまいました。


20代の頃は手帳やカレンダーに予定を書き込むのが好きでした。
1ヶ月先ぐらいまで毎日何かしら予定が書き込まれていないと落ち着かなく感じるほどでした。
休日になると友人との約束や買い物、あるいは片付ける事のリストを作って、自分を追い込むかのように予定をたてていたのに不思議と忙しさを感じませんでした。


今では、手帳は予定を書き込むものではなく真白のままで、むしろその日の出来事を書き込む日記帳、つまり「過去を記録する」ことが目的のものになりました。
ToDoリストにはすることが書き込まれているのですが、「今日できなくてもいいじゃない」とどんどん先送りされています。


やる気がなくなったというより、毎日なんだか時間が経つのが速くて「今日もできなかった」のです。
極端な話、起きてからちょっと家の中のことをしていたらもう午後になり夜になり、一日が終わりという感じです。


<若さゆえの退屈>


若い時はやりたい事もたくさんあったこともひとつですが、「何も予定がない時間の退屈」を恐怖にも感じていたのではないかと思い出しています。


休日に予定がはいっていないと、買い物でも何でもとにかく手帳に予定を書き込んで安心していたように思います。予定のない3連休なんて苦痛で、「こんなに連続した休みはいらないので勤務したい」とさえ思っていました。


仕事の合間に習い事をいくつか掛け持ちでしたり、今思い返すとよくあれだけの時間があったと不思議です。


今は何も予定がなくてもぼーっとしているうちに休みが終わり、「1週間ぐらい休みが欲しいな」と思うほどです。
「退屈」という気持ちを感じなくなってずいぶん経ちます。
「ぼーっと時間を過ごす事ができる」心の余裕ともいえるかもしれません(言い訳)。


この「退屈」という言葉で思い出すのが、20代の私が大きな影響を受けた犬養道子氏の著書に書かれていたことです。
うろ覚えなのですが、「若い時には退屈さに耐えられなくてあてがいぶちの楽しみで満足したような気になりやすい」といった内容でした。


<「あてがいぶちの楽しみ」>


1980年代当時、漫画も増えあるいはゲームが出始めてそれに没頭する若者という批判的な捉え方があったと記憶しています。
犬養道子氏はそういうことを批判しているのかと漠然と理解していたのですが、「あてがいぶち」という言葉で犬養氏が伝えたかった事はもう少し違うのかもしれないと最近思うようになりました。


たとえばgoo辞書では「あてがいぶち」は以下のように説明されています。

与える側で適当にみはからって渡す金や物、またはそうした与え方

どちらかというと受け取る側の態度ではなく、与える側の態度からきた言葉のようです。


犬養氏の真意はよくわからないのですが、この若者の退屈について書かれた箇所にもうひとつこんな話が書かれていたと記憶しています。

自分の外へと関心が広がる幼児たちを見ていると、自分の指ひとつでさえ目を輝かせて飽きもせずにながめている。
どうしてこの指が動くのか、どのように動くのかといったことを一生懸命に見続けている。

記憶に頼った内容なので不確かなのですが、犬養道子氏は自分の体という日々見慣れた当たり前としか感じないこともこの指が動く事さえ奇跡のようなことであり、少し見方を変えれば退屈なんて感じる事がないほど世の中にはおもしろいことがある、そんなことを伝えたかったのではないかと思います。


当時の犬養道子氏と同年代になり、通勤途中でみつける草花にもどんどんと知りたい事が増えてくるようになりました。
考えだすとおもしろくて興味が尽きない、そんな毎日ですから退屈どころか時間がいくらあっても足りません。


犬養道子氏の退屈について書かれた箇所に出会わなかったら、今頃、退屈な50代を過ごしていたかもしれないと思うのです。





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