記憶についてのあれこれ 39 <こんなに暗くて人が少なかったのか>

父が入院したので最近、実家の近くへ頻繁に往復しています。


通常は朝早めに出て午後早いうちに戻るようにしているのですが、先日は少し遅い時間の面会になってしまいました。
病院を出たのは夕方五時半だったのですが、冬ですからもうあたりは真っ暗でした。


父の入院している認知症専門病院は、市街地から離れた場所にあります。
タクシーを使うと往復で数千円が飛んでしまうので、節約のためにバスを使うようにしているのですが、バス停までの数分が真っ暗で人通りもない道です。


数十メートルおきに街灯があるのと、たまに民家の明かりがある程度です。
途中に1台あった自動販売機の明るさが、こんなに安心させてくれるものなのかと感じました。


人にはもちろん出会いません。
たまに車が通ると、むしろ緊張が走りました。
「こんな誰もないところで、何か事件に巻き込まれたら」と。
でもよく考えると、地元の人にとってはいきなり暗がりに人が歩いている方がドキッとしたかもしれません。


バスは通勤・通学時間帯でも1時間に2本しかありません。
昼間のバスは閑散としていて2〜3人しか乗っていないくらいですし、バス通りの道は交通量はそこそこあるのですが、歩いている人を見かけることはありません。


その日は、帰宅時間帯なのにバスにはほとんど人が乗っていませんでした。学生は期末試験中だったのかもしれません。


高校卒業までは、私もこの近くの似たような道をバス停まで歩いて通学してました。
当時もこんなに真っ暗だったのだろうか、こんなに人が歩いていなかったのだろうかと記憶をたぐり寄せてみるのですが、当時は今よりバスを利用していた人が多く、通勤・通学時間帯はぎゅうぎゅう詰めでしたから、暗い夜道でもバスから降りた人が歩いていたのだろうと思います。


過疎が原因ではなく、むしろ人口は当時に比べて3倍以上増えているのです。
私が高校を卒業して以降、企業がたくさん誘致され、また観光地としても着実に発展してきた街です。
たまに帰るたびに、車も家も増えたことを実感していました。


でも、道を歩く人はいない。


<街の明るさ>で書いたように、当時に比べれば街灯も、家の明かりも増えました。
先日も晴れていたのにも関わらず、高校生の頃には満天の星が見えていた夜空だったのに、星があまり見えなくなっていたのはやはり街が明るくなったからではないかと思います。


でも私には、小さい頃に都内の明るさからその地域へ引っ越した時の心細さが蘇ってくるので、両親はその地に根をおろすことを選んだのですが、私には自分のふるさととは思えないのです。
今でも実家から戻って都内の明るさが近づくと、自分の場所に戻って来たとほっとします。



その反動で、私は水や電気のないところへ魅かれて出かけてきたのかもしれません。





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