父が入院している認知症の介護療養病棟は、60人ぐらいの方が生活をされています。
廊下には写真や絵などがかけられていますが、居室にいくとベッドだけが置かれています。
通常の病室のように、床頭(しょうとう)台やサイドテーブルもありません。
父のベッドサイドにも、父が好きだった日めくりカレンダーがかけられていますが、今は同じ日でとまっています。
もうそのカレンダーも父には必要がなくなったようです。
ベッドの枕と布団、そしてベッド柵。
父の居住空間は、必要最低限のものだけになりました。
他の認知症の方々を見ても、もう物に執着はなさそうです。
「執着」というのは記憶があってこそといえるのかもしれません。
この必要最低限の居住空間、何かに似ていると思いました。
そうだ、毎日見ている新生児のコット(ベッド)です。
マットにタオルを敷いて、掛け布団がわりのバスタオルがあるだけです。
時々、上の子が赤ちゃんのためにと描いた絵や小さなぬいぐるみをコットにいれてくれたりするのですが、新生児はもちろん気にしていません。
きっと私が「お父さんが寂しいだろうから」と何かを買って飾っても、もう父の視界には入らないだろうと思います。
清潔な寝具と、汚れたらオムツや着物を替えてもらうケアの手。
そして自由に手足を動かせる空間。
それが父と新生児の共通点。
入院した当初は、それまでのグループホームと比べても生活感がないと感じたのですが、今は潔いほど執着がなくなった居住空間なのだと思うようになりました。
広い廊下やホールを皆さん好きなように歩いたり車いすで動き回っていますが、誰に制止されるわけでもなく、自分が止めたくなるまで自由に動き回ってよい空間でもあります。
閉鎖病棟は看護学生の頃に実習で行った記憶がありますが、こんな一面があることに、面会に行くたびに思いを新たにしています。
「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら。