水のあれこれ 9 <水を溜める>

子どもの頃はけっこう頻繁に断水があって、「水を溜める」ことが大事でした。


家中にあるバケツや鍋、ヤカンを総動員して水を汲み置く作業を、家族全員でしていた記憶があります。
当時はトイレは汲取りでしたが、現在だったら水洗トイレを流すための水を溜めるとなると大仕事ですね。


蛇口をひねればいつも水が出て来て、溜める必要がない。
本当に豊かな生活と思う事のひとつです。


<水を確保するための道具>


1980年代半ばに東南アジアで暮らすようになって、「水を確保する」ことが再び私の生活の最優先課題になりました。
ちょっと大げさですけれど。


難民キャンプのスタッフハウスには水道が引かれていましたから、水のシャワーでも蛇口をひねれば水は出ました。


ただ、この国の水道は時々水圧が下がるのか出なくなる時間があるので、どこの家にも大きなポリバケツが2個ぐらいありました。
大人の腰ぐらいまである大きなバケツです。
チョロチョロしか出なくなる水を受け止めて溜めておくためです。


チョロチョロならまだいいのですが、だんだんとポタリポタリになると心細くなります。
溜めておいた水で、炊事・洗濯そしてトイレを流すことまでしなければいけません。


そして突然、ジャーッと勢いよく水道から水が復活するのでした。
本当に突然で、誰もその時間を予測できないので、いつも水道の栓は開けっ放しにしておきます。誰かが留守番をしていなければなりませんでした。


<共同の水道や井戸、そして川の水>


そのうちにだんだんと都市部から離れた村に寝泊まりする機会が増えて、あのいきなり出たり止まったりする水道でも各家庭にあることはなんと便利な生活だったのだろうと思うようになりました。


「水を汲んで運ぶ」作業が増えたからです。
共同の水道や井戸から、大きな容器に水を入れて家まで運びます。
それは子どもや女性の仕事でした。まだ5〜6歳ぐらいの幼児でも、自分に持てるだけの容器に入れて運びます。


水道や井戸がないところでは、川や泉から水を汲みました。
どの家にも大きなポリタンクがあって、その中に水を溜めます。



ある島でおもしろい容器を見つけました。
古タイヤを張り合わせて、大きな壷のような容器に作り変えたものがありました。
蓋も古タイヤで作ってあります。
一見、模様がついた大きな陶器の壷に見えておしゃれでした。


4年前の東日本大震災のあとしばらくはやかんや鍋に水を汲み置くようにしていましたが、いつのまにか「水を溜める」ことをしなくなりました。


非常時に備えて水を溜めなければと思いつつ、あの水を溜めていた生活を回想しておしまいになっています。
本当に、喉元過ぎれば熱さ忘れるですね。





「水のあれこれ」まとめはこちら