気持ちの問題 8 <煽動されない>

父の面会から戻った日曜日、偶然つけたニュースでデモが行われたことを知りました。
・・・というぐらい、日常の政治のニュースには疎い私です。


「あれだけの規模のデモを知らない人がいる」というのは、賛同している方々にはあり得ないほど政治や戦争について無関心な人に映るかもしれません。


でも子どもの頃からあの戦争を意識させる父を見て育ちましたし、20代から40代まではあの戦争でたくさんの犠牲者がでた国を行き来して、日本人の責任についてずっと考えてきました。


またその国の中にも内戦があり、太平洋戦争の被害から立ち直る間もなく独裁政権のもとで国内難民になった人たちと知り合いました。


太平洋戦争、つまり植民地を拡大するための戦争のために「土地は神のもの。私たちはそれを借りているに過ぎない」という社会は、未開の人たちとみなされました。
そして戦後は、その土地にある地下資源を求めて大規模開発が先進国によって計画されました。
「援助計画」という名前で。


そのために内戦だけでなく、開発予定地からの強制退去で生活の場を追われる人たちがたくさんいました。


日本のODA(政府開発援助)もあちこちで関係していました。


「経済的に貧しい私たちを助けようとは思わなくてもいい。そのかわり、今、ここで起きていることを日本に伝えて、日本人が何をすべきなのか考えて欲しい」


ODAの問題については少しずつ報道されるようになりました。
でも、社会を大きく動かせるほどではありませんでした。
何が人を動かすには足りなかったのだろう。あの頃はそう考えていました。
それこそ、情報を発信する能力やセンスがなかったのかと。


反対に今回は、何がこれだけの人を大きく動かすのでしょうか。


その答えはよくわからないのですが、日本の戦争に反対するための教育や運動を見ていると、「戦争はいやだ」という自分たちが戦争の被害者になった感覚が強いように感じます。


兵士を送り出す側の家族の感情や空襲などの戦災の惨さなど、たしかに伝えて行かなければいけないのですが、戦争には相手があり、その相手国側の当事者について考える機会が少なかったのではないかと思います。


それは自責の念を少なからず感じなければいけない作業ですから、感情の波に足元をすくわれそうになります。


でも朝鮮半島や中国、東南アジア、太平洋諸島そしてさらに南アジアまで、日本兵が出向いて行った地域のその後の生活に関心を持っていれば、もう少し落ち着いて戦争と平和について考える社会になっていたかもしれないと思います。


時に声を上げ、行動することは大事ですが、たくさんの人が同時に行動することの怖さをも感じるのです。
何がこの人たちを突き動かしたのだろうと。






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