河原撫子

40代ごろから急に、身近にある植物が気になりだしました。


いつも何気なく歩いている道ばたの見慣れた雑草からよその家で育てている草花や樹木まで、目がいくようになりました。
子どもの頃には見たこともなかった植物が増えていることもありますが、子どもの頃には目に入っていなかったことが見えるようになったということもあるのかもしれません。


そんな草花の中で、最近あまり見かけなくなったものに撫子があります。


玄関先にいつも季節の花の鉢を飾っている家が近所にあります。
どうやってこのひとつひとつの植物の鉢を手入れされているのだろうと尊敬するぐらい、丁寧に育てられた草木が、季節ごとに次々と玄関の入り口に飾られていて、通る人の目を楽しませてくれます。
もしかして、この家全体が植物園のようになっているのではないかと思うほどです。



8月に入って、河原撫子が飾られている日がありました。
ああ、懐かしい。子どもの頃から大好きな花のひとつです。


冒頭でリンクした「季節の花300」には「6月から8月頃にかけて開花」と書かれていますが、私は大好きな花だったにもかかわらず、秋に咲いていたような記憶違いをしていました。
たしかに「秋の七草」ではあるのですが。


小学生の頃には、近くの空き地にはどこでも咲いている花でした。


ところが最近は、父の面会に行く道端でも見かけることがほとんどなくなり、河原撫子はどうしたのだろうと気になっていました。


「多摩の緑爺の『多摩丘陵の植物と里山の研究』」というサイトでは、「環境省指定の絶滅危惧種」と書かれていてびっくりしました。


Wikipediaカワラナデシコには以下のように書かれています。

日本では、自生地の開発や園芸用の採集、動物による食害、外来種の影響で減少している地域もある。また。カワラナデシコは草原等の開けた環境を好む種であり、そのような環境が遷移の進行に伴い、日当りの悪い陰的な環境に変化すると生育に適さなくなる。これは自然現象ではあるが、昔は草原や山地、河原等の環境は人の手により草刈りや枝打ち等され、里山的な利用が行われてきた。これで、日当りの良い開けた環境が継続してきたという背景がある。近年の人間の生活環境の変化で、このような「人為的なかく乱」が行われなくなると、カワラナデシコに代表される人間と密接な関係のある普通種が、その自生地や個体数を減少させてしまう結果となる。


人間によって環境破壊されたというよりも、人間の手が入らなくなった環境の変化が影響していることもあるのですね。


カワラナデシコは幻の花になりつつあるのでしょうか。