気持ちの問題 23 <孤独の感じ方>

私の中には、「人間は死ぬ時はひとり」という諦観に近いものがずっとあります。
ですからもし私が自宅で誰にも気づかれずに死んでいたとしても、「孤独死」と表現されるのは嫌だなと思っています。


「一人で大往生」でいいのではないかと。


まあ、できれば、死を察知してその前には家の中を片付けておきたいし、死んだあとの諸手続きの方が身内や多くの人の手と時間を必要とするので、身辺整理がある程度できた時にこの世からさようならできたらと思っていますが。


「人間は死ぬときはひとり」
いつ頃から「死」をそうやってとらえ始めたのだろうと思い返してみるのですが、「人間はひとりなのだ」ということは子どもの頃から感じていました。


小さい頃から、家庭の中にはあまり会話がありませんでした。
冷たいとか無関心というのではなく、お互いにあまり無駄なおしゃべりはしない、そんな家です。
今思えば、大正生まれの元軍人だった父は、1960年代とか70年代の「マイホーム」の時代になんとか適応しようと、「冗談をいうお父さん」に一生懸命になろうとしていたのかもしれません。


でも基本的に父は一人で本を読んだり、考え事をすることが好きであることは家族もわかっていました。


小さい頃から、食事で顔を合わせる以外はそれぞれがそれぞれしたいことをする。そんな家庭でした。
転勤族でしたから、親戚ともそれほど親しいわけでもありません。


それを「ひとりぼっち」とか「孤独なこと」ととらえる世間があることに気づいたのは、もう少しあとの思春期の頃。


その頃には、兄弟も早々に全寮制の学校に入り、ますます家庭内での会話はほとんどなくなりました。


そして私も看護学校の寮に入り、ホームシックでめそめそしている同級生を不思議に感じるくらい、家族から離れることに寂しさもありませんでした。
孤独ではなく、親から独立した感覚でむしろ満足感がありました。
一人で生きて行くのだと。


そして、いつかは私もこうして病院のベッドで死を迎えるのだろと。
その時に出会った病院のスタッフに看取られて


さて、そんな20代の頃に比べると、むしろ今のほうが父と会い、会話をしています。
面会に行くと、一緒にコーヒーを飲みお菓子を食べて、そしてしばらく肩たたきをして過ごします。


端からみると、ほとんど会話もないように見えるかもしれません。


でも時々思い出して話す父の一言一言に、こんなに耳を傾けたことは子どもの頃もなかったのですから、沈黙の時間も含めてとても充実しています。


そして父が少し眠そうになった頃合いを見計らって、「じゃあ、買物に行きますね」と伝えると、父も「ああ」と返事をしてあっさりと面会が終わります。


片道3時間かけてわずか1時間ほどの面会ですから、スタッフにはドライな娘のように思われているかもしれません。


でも私には、父も一人で過ごすことが苦ではなく、むしろ一人が好きなことを知っているのです。
私も、きっと同じような老人になるだろうと思います。


「孤独」を感じるかどうかも、ほんとうにひとそれぞれだと思っています。





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