気温と湿度が急にあがってくるこの時期に、購入量が増えるのが青じそです。
刻んで薬味にしたり、サラダに入れたり、あの香りを楽しんでいます。
鮭を焼いてほぐしたものと、刻んだ青ジソを鮨飯に混ぜ込むと、夏向きの混ぜ寿司のできあがり。
でも、この青じそは、日本の食卓に広がってからまだそれほどたっていないのではないかと思います。オクラやチンゲンサイぐらいの歴史ではないかと、記憶をさぐっています。
シソといえば赤紫蘇のことで、梅干しにはもちろん、紫蘇の葉のジュースや紫蘇の実など、「シソ」といえば漢字のごとく赤紫色のものを指していました。
初めて青じそを食べたのは、小学校高学年か中学生頃だったような。
夏になって食欲が落ちると、毎日のようにそうめんだけで過ごしていたのですが、それまでネギと生姜ぐらいしか薬味がなかっのに、ある頃から青じそを刻んだ薬味が増えました。
さっぱりとした味、今までの赤紫蘇と同じ葉なのに、色が違うだけでこんなに味が違うのかと驚いたのだと思います。
庭にも植えられて、天ぷらにも青じそのバリエーションが増えたのでした。
当時は、夏が終わると来年まで青じそとはお別れでしたが、いつの間にかスーパーで一年中青じそを買えるようになりました。
頼みの綱のWikipediaには、「ヒマラヤやビルマ、中国などが原産。日本には中国から伝わって来たとされている」と赤じそに関してのざっくりとした説明しかなく、青じそはいつごろからどのように日本で広がり出したのでしょうか。
こんなときには、ニンニクのように生産農家さんたちのサイトにその野菜を導入した歴史が書かれていることがありますね。
「野菜ナビ」を見ると、出荷量が最も多いのは愛知県とあります。
さらに愛知県の中でも豊橋市での生産量が多いようです。
その豊橋温室園芸農業共同組合に大葉部会があって、そのサイトに 歴史紹介がありました。
■導入期 1955年(昭和30年)〜
1955年(昭和30年)頃、石川県から大葉の種を取り寄せて研究を始める。
■第二期 1968年(昭和43年)〜
1968年(昭和43年)、生産者38名、役員6名により大葉部会発足。共撰・共販も開始。1970年(昭和45年)の大阪万博を機に、京都以西への出荷も実現し、名実共に大葉の全国販売生産地となる。
■第三期 1973年(昭和48年)〜
周年栽培の確立、検査体制の充実、保冷輸送や保冷庫の完備などにより、1975年(昭和50年)には過去最大の売り上げに。
■第四期 1980年(昭和55年)〜
1980年(昭和55年)、部員117名に。1988年(昭和63年)には、業務用、量販店の変化に伴い試験的に50枚パックを導入し、部会発足以来の出荷量の伸びを示す。
私の記憶もそう間違いはなかったようです。
あのカンボジア館が印象に強く残った大阪万博を期に、青じそが関東にも広がったのですね。
そして中学生から高校生の頃には、かなり身近な野菜になっていたのだと思います。
今、スーパーで見かける青じその容器は、1988年に作られたものだったのですね。
ひとつの野菜を導入し安定した供給になるまでに、10年、20年という歳月を必要としているのですね。
そして、日本の食卓に野菜の種類が飛躍的に増えたのは、1970年代前後からなのかもしれません。