「記録の大事さ」として思い出す話があります。
Wikipediaの「概略」には以下のように書かれています。
ユダヤ人モルデカイの養女エステルは、ペルシャ王クセルクセスの后に選ばれる。そのころ、権力者ハマンはモルデカイに対する個人的な恨みからユダヤ人を皆殺しにすべく、陰謀をめぐらせていた。エステルの機転によってユダヤ人は救われ、逆にハマンは死刑となる。これが物語のあらすじである。
初めてこのエステル記を読んだのが20代終わりの頃だったと思います。
当時の私は、このエステル記があまり好きではありませんでした。
たとえば、「ユダヤ人を皆殺しにしようとした」というような残虐な時代のことや、Wikipediaの「エステルは王妃になる」に書かれているように、最初の王妃ワシュテイが王に逆らったことに怒った王が「全国各州の美しい乙女を一人残らず後宮に集めさせ」、選ばれたのがエステルだったという話が苦手だったのです。
その苦手だった話が、「記録」という点で印象深く今でもよく思い出す話になりました。
<眠れない王、宮廷日誌を読む>
ハマンがモルデカイを失脚させ、処刑するために大きな柱を準備していた頃、ある晩、眠れない王が宮廷日誌を読み返すことで運命が一転します。
その夜、王は眠れないので、宮廷日誌を持ってこさせ、読み上げさせた。そこには王の私室の番人である二人の宦官、ビグタンとチレシュが王を倒そうと計り、これをモルデカイが知らせたという記録があった。そこで王は言った。「このために、どのような栄誉と賞賛をモルデカイは受けたのか。」そばに仕える侍従たちは答えた。「何も受けませんでした。」
王が宮廷日誌を読み返したことがきっかけで、ハマンはモルデカイを処刑するために準備した柱に自らくくりつけられることになったのでした。
この「王が記録を読み返して事態が一変した」話が強く私の中に残って、分娩記録を残そうという気持ちになったのかもしれません。
ところで、聖書学的にはこのエステル記の歴史的信憑性についてはわからないようですが、宮廷日誌はどんなことがどのように書かれているのだろうと、今でも気になっています。
事実だけを記録することは大事だと思うと同時に、客観的に事実だけを書くと言うのはどういうことか、分娩記録をつけていても悩みます。