記憶についてのあれこれ 111 <天然と人工のもふもふ>

「もふもふ」という言葉を私が耳にするようになったのは、ここ数年のことでした。実生活で使う人は周囲にいなかったので、主にインターネット内でしたが。
「言い得て妙」だし、擬態語の多い日本語なのにどうしてこの表現が今までなかったのだろうと、この言葉をおもしろいと受け止めたのでした。


先日の記事で、両親が「子どもを喜ばせようと連れて行った」のに不機嫌になった話を書きましたが、それでその時に着ていた服を思い出したのでした。
あれは、私にとって人生最初のもふもふかもしれないと。


両親が私たちを連れて行こうとしたのは、クリスマスイブの夕方に車で1時間ほどの遊園地でした。
1960年代半ばですから現代ほどのきらびやかさはなかったでしょうが、クリスマスイブに特別、遊園地が遅い時間まで解放されて、イルミネーションで飾られてロマンチックな雰囲気だったのでしょう。


ただ、そこに行くまでには峠をひとつ超えなければいけないので、街灯がほとんどない真っ暗な道を行くことの怖さと寒さのほうが、遊園地へ行く楽しさを感じさせないほど私には苦痛だったのだと思います。
あるいは、「子どもたちのため」といいつつ、本当は両親が行きたかったことをうすうす感じていたのかもしれませんね。


もう一つの理由は、ふくれっつらの写真には母親手作りのクリスマスケーキが写っています。
生クリームとイチゴのショートケーキです。
1960年代ですから、本当にごちそうでした。
ケーキができ上がるのを本当にわくわくして待っていたのでしょう。
ところができ上がったとたんに、着替えさせられて「遊園地へ行くよ」といわれたのですから不機嫌になったのだと思います。


<うさぎの毛皮>


私の不機嫌ともふもふと、なんだか脈絡のない話ですね。


その時の不機嫌と寒さを癒してくれたのが、毛皮でした。
母手作りのコートの襟にはうさぎの毛皮がつけられていて、襟元にはうさぎの毛皮で作られたボンボンがついていました。
その手触りと暖かさを今でも、あの時の気分とともに記憶に残っているのが不思議です。


たぶん、その毛皮はまだその地域に引っ越す前に都内で購入しておいたのだと思います。
周りの友達の防寒具といえば、毛糸で編んだマフラーしか無かった中で、一人浮いた存在だったかもしれません。


じきに、「きつねの襟巻き」が流行り始めたような記憶があります。
何の毛皮かはわからないのですが、長細く縫った毛皮の先端に狐の顔をしたクリップがつけられて、首に巻いてクリップできつねのしっぽをはさむタイプです。


寒冷地でしたから、それは本当に暖かく感じました。
ただ、雪がつくと水分でペシャッとしてしまうので、雪の日は毛糸のマフラーでしたが。


あの感触は、まさにもふもふだったと懐かしく感じています。


<天然から人工のもふもふへ>


Wikipedia毛皮に以下のように書かれています。

1959年1月14日に皇太子明仁親王・正田美智子婚約の折り、正田側が実家を出る折りに身につけていたミンクのストールが当時のテレビで大々的に放映され、世の女性たちはミッチー・ブームで熱狂、ミンクのストールも注目された。

たぶん、母もこの時代の雰囲気に影響されて、娘のコートの襟にうさぎの毛皮をつけたのではないかと思います。


高校を卒業して以降、都内で暮らすようになった私は、また毛皮とは無縁の生活になりました。
ちょうど動物の権利意識の高まりから反毛皮運動が広がり始めた時代でした。
正義感から行動することが多かった私が、この動物の権利運動には少し距離を置いたのは、こちらの記事に書いたように、欧米のNGO(非政府団体)によくみられる我こそは正義という押しの強さへの警戒感が出始めていたからかもしれません。


あるいは、人工ファーがより改良されて生活の中に広がったからかもしれません。


さて、冬場に欠かせないマフラーもウール素材が多く、チクチクして困っていました。
何年か前に、ポリウレタン性の手触りはウールだけどチクチクしないマフラーを見つけて助かりました。


そのマフラーがだんだんとくたびれてきて、次のマフラーを探していましたが、フェイクファーのもふもふのマフラーを試しに買ってみました。
暖かいし、軽いし、本当に快適です。
寒風の中での散歩でも大活躍です。


化学繊維の開発と、そしてこの「もふもふ」という言葉がある時代に生きられて本当に良かった、というのはちょっとおおげさでしょうか。




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